JASRAC No.046-0113-1
  屋久島紀行案内図
作詞:加藤省吾
作曲:海沼  実
歌唱:unknown
制作:滝野細道
(一)
空は青空 希望の朝だ
このかたくんで このうでくんで
花も咲いてる 丘の道へ
ぼくらは みんなみんな
元気に行こう
足並み そろえて 
ラランと行こう

(二)
鐘がなるなる 明るい朝だ
歌をうたって この胸はって
くもも呼んでる 丘のかなた
ぼくらは みんなみんな
元気に行こう
あさつゆ ふみふみ
ラランと行こう


  (三)
  とりがないてる たのしい朝だ
  小馬もひずめ ぱかぱかならす
  風もそよかに ふいてくるよ
  ぼくらは みんなみんな
  元気に行こう
  お日さま あびて
  ラランと行こう

懐メロ 童謡・唱歌 八洲秀章&抒情歌   *09/NOV/03 「細道のMIDI倶楽部」TOPへ
  屋久島鯛ノ川の早朝 Photo by Hosomichi

この「楽しい朝」の制作年は色々調べて見ましたが特定出来ませんでした。海沼実は
昭和15年頃から昭和23年頃まで優れた童謡を量産しましたが、戦時中も斉藤信夫
の戦時色の強い「星月夜」の作曲を拒否したように、小国民向けの戦意高揚の童謡は
あまり作曲しませんでした。しかし、この「たのしい朝」を見てみますと、歌詞はとりよう
によっては<団結、みなで行進、元気に行こう>と小国民向けとも読み取れますし、曲
も勇壮な行進曲とも取れます。しかし、翻って見ますと、昭和21年の「朝はどこから」と
似たような曲想で、閉塞した空気が終戦で晴れ、伸び伸びとした気持ちで新しい門出を
みなで歩もう、といったものも伺われます。どちらの時代にも受け入れられるような童謡
ですが、加藤省吾と海沼実の出会いは、伊東出身の作詞家加藤に「みかんの花咲く丘」
の作詞を依頼したのが始めであったというような記述もありますので、多分昭和22〜3
年頃の作であろうと推測するのが妥当であろうと思われます。