(東海道編:新橋駅〜神戸駅間) | ||
作詞:大和田建樹 作曲:多梅稚 MIDI制作:滝野細道 明治33年(1900年)頃 JASRAC No.029-6403-1 (下部に難読漢字の仮名) |
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(全演奏時間:19分15秒) (01) 汽笛一声 新橋を はや我汽車は離れたり 愛宕の山に入りのこる 月を旅路の友として |
(02) 右は高輪 泉岳寺 四十七士の墓どころ 雪は消えても消えのこる
名は千載の後(のち)までも |
(03) 窓より近く品川の 台場も見えて波白く 海のあなたにうすがすむ
山は上総か房州か |
(04) 梅に名を得し大森の すぐれば早も川崎の 大師河原は程ちかし
急げや電気の道すぐに |
(05) 鶴見 神奈川あとにして ゆけば横浜ステーション 湊見れば百舟の
煙は空をこがすまで |
(06) 横須賀ゆきは乗換と 呼ばれておるる大船の つぎは鎌倉 鶴ヶ岡
源氏の古跡や訪ね見ん |
(07) 八幡宮の石段に 立てる一木の大鴨脚樹 別当公暁のかくれしと
歴史にあるは此陰よ |
(08) ここに開きし頼朝が 幕府のあとは何かたぞ 松風さむく日は暮れて
こたえぬ石碑は苔あおし |
(09) 北は円覚 建長寺 南は大仏 星月夜 片瀬 腰越 江ノ島も
ただ半日の道ぞかし |
(10) 汽車より逗子をながめつつ はや横須賀に着きにけり 見よやドックに集まりし
わが軍艦の壮大を |
(11) 支線をあとに立ちかえり わたる相模の馬入川 海水浴に名を得たる 大磯みえて波すずし |
(12) 国府津おるれば馬車ありて 酒匂 小田原とおからず 箱根八里の山道も あれ見よ雲の間より |
(13) いでてはくぐるトンネルの 前後は山北 小山駅 今もわすれぬ鉄橋の 下ゆく水のおもしろさ |
(14) はるかにみえし富士の嶺は はや我そばに来りたり 雪の冠 雲の帯 いつもけだかき姿にて |
(15) ここぞ御殿場夏ならば われも登山をこころみん 高さは一万数千尺 十三州もただ一目 |
(16) 三島は近年ひらけたる 豆相線路のわかれみち 駅には此地の名を得たる 官幣大社の宮居あり |
(17) 沼津の海に聞こえたる 里は牛伏 我入道 春は花咲く桃のころ 夏はすずしき海のそば |
(18) 鳥の羽音におどろきし 平家の話は昔にて 今は汽車ゆく富士川を 下るは身延の帰り船 |
(19) 世に名も高き興津鯛 鐘の音(ね)ひびく清見寺 清水につづく江尻より ゆけば程なき久能山 |
(20) 三保の松原 田子の浦 さかさにうつる富士の嶺を 波にながむる舟人は 夏も冬とや思うらん |
(21) 駿州一の大都会 静岡いでて安部川を わたればここぞ宇津の谷の 山きりぬきし洞(ほら)の道 |
(22) 鞘より抜けておのずから 草薙はらいし御剣の 御威は千代に燃ゆる火の 焼津の原はここなれや |
(23) 春咲く花の藤枝も すぎて島田の大井川 むかしは人を肩にのせ わたりし話も夢のあと |
(24) いつしか又も暗(やみ)となる 世界は夜かトンネルか 小夜の中山 夜泣石 問えども知らぬよその空 |
(25) 掛川 袋井 中泉 いつしかあとに早なりて さかまき来る天龍の
川瀬の波に雪ぞちる |
(26) この水上にありと聞く 諏訪の湖水の冬げしき 雪と氷の懸橋を
わたるは神か里人か |
(27) 琴ひく風の浜松も 菜種に蝶の舞坂も うしろに走る愉快さを
うたかた磯の波のこえ |
(28) 煙を水に横たえて わたる浜名の橋の上 たもと涼しく吹く風に 夏ものこらずなりにけり |
(29) 右は入海しずかにて 空には富士の雪しろし 左は遠州洋近く 山なす波ぞ砕けちる |
(30) 豊橋おりて乗る汽車は これぞ豊川稲荷道 東海道にてすぐれたる 海のながめは蒲郡 |
(31) 見よや徳川家康の おこりし土地の岡崎を 矢矧の橋に残れるは 藤吉郎のものがたり |
(32) 鳴海しぼりの産地なる 鳴海に近き大高を 下りておよそ一里半 ゆけば昔の桶狭間 |
(33) めぐみ熱田の御(み)やしろは 三種の神器の一つなる その草薙の神つるぎ あおげや同胞四千万 |
(34) 名だかき金の鯱(しゃちほこ)は 名古屋の城の光なり 地震のはなしまだ消えぬ 岐阜の鵜飼いも見てゆかん |
(35) 父やしないし養老の 滝は今なお大垣を 三里へだてて流れたり 孝子の名誉ともろともに |
(36) 天下の旗は徳川に 帰せしいくさの関ヶ原 草むす屍いまもなお 吹くか胆吹の山おろし |
(37) 山はうしろに立ち去りて 前に来るは琵琶の海 ほとりに沿いし米原は 北陸道の分岐点 |
(38) 彦根に立てる井伊の城 草津にひさぐ姥が餅 変わる名所も名物も 旅の徒然のうさはらし |
(39) いよいよ近く馴れくるは 近江の海の波のいろ その八景も居ながらに 見てゆく旅の楽しさよ |
(40) 瀬田の長橋右に見て ゆけば石山観世音 紫式部が筆のあと のこすはここよ月の夜に |
(41) 粟津の松にこととえば 答えがおなる風の声 朝日将軍義仲の ほろびし深田は何かたぞ |
(42) 比良の高嶺(ね)は雪ならで 花なす雲にかくれたり 矢走にいそぐ船の帆も みえてにぎわう波の上 |
(43) 堅田におつる雁がねの たまえに響く三井の鐘 夕ぐれさむき唐崎の 松には雨のかかるらん |
(44) むかしながらの山ざくら におうところや志賀の里 都のあとは知らねども 逢坂山はそのままに |
(45) 大石良雄が山科の その隠家はあともなし 赤き鳥居の神さびて 立つは伏見の稲荷山 |
(46) 東寺の塔を左にて とまれば七条ステーション 京都京都と呼びたつる 駅夫の声も勇ましや |
(47) ここは桓武のみかどより 千有余年の都の地 今も雲井の空たかく あおぐ清涼 紫宸殿 |
(48) 東に立てる東山 西の聳ゆる嵐山 かれとこれとの麓ゆく 水は加茂川 桂川 |
(49) 祇園 清水 知恩院 吉田 黒谷 真如堂 流れも清き水上に 君がよ まもる加茂宮 |
(50) 夏は納涼の四条橋 冬は雪見の銀閣寺 桜は春の嵯峨御室 紅葉(もみじ)は秋の高雄山 |
(51) 琵琶湖を引きて通したる 疎水の工事は南禅寺 岩切り抜きて船をやる 知識の進歩も見られたり |
(52) 神社 仏閣 山水の 外に京都の物産は 西陣織の綾錦 友禅染の花もみじ |
(53) 扇おしろい京都紅 また加茂川の鷺しらず 土産を提げていざ立たん あとに名残は残れども |
(54) 山崎おりて淀川を わたる向こうは男山 行幸ありし先帝の かしこきあとぞ忍ばるる |
(55) 淀の川船さおさして くだりし旅はむかしにて またたくひまに今はゆく 煙たえせぬ陸の道 |
(56) おくり迎うる程もなく 茨木 吹田うちすぎて はや大阪に着きにけり 梅田は我をむかえたり |
(57) 三府の一に位して 商業繁華の大阪市 豊(ほう)太閤のきずきたる
城に師団はおかれたり |
(58) ここぞ昔の難波の津 ここぞ高津の宮のあと 安治川口に入る船の 煙は日夜たえまなし |
(59) 鳥も翔(かけ)らぬ大空に かすむ五重の塔の影 仏法最初の寺と聞く 四天王寺はあれかとよ |
(60) 大阪いでて右左 菜種ならざる畑もなし 神崎川のながれのみ 浅黄にゆくぞ美しさ |
(61) 神崎よりはのりかえて ゆあみにのぼる有馬山 池田 伊丹と名にききし 酒の産地もとおるなり |
(62) 神戸は五港の一つにて あつまる汽船のかずかずは 海の西より東より 瀬戸内がよいも交じりたり |
(63) 磯にはながめ晴れわたる 和田のみさきを控えつつ 山には絶えず布引の 滝見に人ものぼりゆく |
(64) 七度うまれて君が代を まもるといいし楠公の いしぶみ高き湊川 流れて世々の人ぞ知る |
(65) おもえば夢か時のまに 五十三次はしりきて 神戸のやどに身をおくも 人に翼の汽車の恩 |
(66) 明ければ更に乗りかえて 山陽道を進ままし 天気は明日も望あり 柳にかすむ月の影 |
*2011/NOV/06 | ||
難読漢字及び地名の読み方 |
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(01)我=わが、愛宕=あたご、入り=いり | (02)高輪=たかなわ、千載=せんざい | (03)上総=かずさ、房州=ぼうしゅう |
(04)大師河原=だいしがわら | (05)湊=みなと、百舟=ももふね | (06)大船=おおふな |
(07)一木=ひとぎ、大鴨脚樹=おおいちょう、公暁=くぎょう (08)何かた=いずかた | (09)円覚=えんがく、腰越=こしごえ | |
(10)逗子=ずし | (11)馬入川=ばにゅうがわ | (12)国府津=こうづ、酒匂=さかわ |
(13)山北=やまきた、小山=おやま | (14)嶺=ね、雪の冠=ゆきのかんむり | (15)一目=ひとめ |
(16)豆相=ずそう、宮居=みやい | (17)牛伏=うしぶせ、我入道=がにゅうどう | (18)羽音=はおと、身延=みのぶ |
(19)興津鯛=おきつだい、清見寺=せいけんじ (20)舟人=ふなびと | (21)駿州=すんしゅう、宇津=うづ | |
(22)鞘=さや、草薙=くさなぎ、御剣=みつるぎ、御威=みいつ (23) | (24)小夜=さよ、夜泣石=よなきいし | |
(25)中泉=なかいずみ、早なり=はやなり | (26)水上=みなかみ、懸橋=かけはし | (27)菜種=なたね、舞阪=まいさか |
(28) | (29)入海=いりうみ、洋=なだ(灘) | (30)稲荷道=みち、蒲郡=がまごおり |
(31)矢矧=やはぎ | (32)大高=おおたか、桶狭間=おけはざま | (33)熱田=あつた、草薙=くさなぎ |
(34)鯱=しゃちほこ | (35)孝子=こうし | (36)屍=かばね、胆吹=いぶき |
(37)北陸道=ほくろくどう | (38)姥=うば、徒然=とぜん(X つれづれ) | (39) 馴れくる=なれくる |
(40)瀬田=せた、石山=いしやま | (41)粟津=あわづ、何かた=いずかた | (42)比良=ひら、矢走=やばせ |
(43)堅田=かただ、三井=みい | (44)逢坂山=おうさかやま | (45)山科=やましな、隠家=かくれが |
(46)七条=しちじょう、駅夫=えきふ | (47)桓武=かんむ、紫宸殿=ししんでん | (48)聳ゆる=そびゆる |
(49)真如堂=しんにょどう | (50)納涼=すずみ、(嵯峨)御室=おむろ | (51)疎水=そすい (インクライン) |
(52)綾錦=あやにしき | (53)鷺=さぎ、提げて=さげて | (54)行幸=ぎょうこう(普通はみゆき) |
(55)陸の道=くがのみち | (56)茨木=いばらき、吹田=すいた | (57)一に位して=いつにくらいして |
(58)高津=こうづ、安治川=あじがわ | (59)翔らぬ=かけらぬ、 | (60)神崎=かんざき、浅黄=あさぎ |
(61)有馬山=ありまやま | (62)瀬戸内=せとうち | (63)布引の滝=ぬのひきのたき |
(64)七度=ななたび、楠公=なんこう、湊川=みなとがわ、世々の=よよの (65) | (66) | |
大和田建樹 おおわだ・たけき 【作詞 国文学者】 愛媛県宇和島出身 安政4年4月29日(1857年5月22日)生 明治43年(1910年)10月1日没 明治の唱歌を代表する作詞家の一人。在野の国文学者。当倶楽部には「青葉の笛」「故郷の空」がアップしてあります。「鉄道唱歌」も東北編、山陽編などいろいろなバージョンがあり、それらの多くを作詞しています。 多梅稚 おおの・うめわか 【作曲】 明治2年(1869年)〜大正9年(1920年) 「鉄道唱歌」の作曲の殆どがこの東海道編と同じメロディーを使用しています。宮内庁の楽師から、大阪師範学校の教諭、東京音楽学校の教授となりました。 冒頭イラストはすべてフリー素材です。禁転載 |