明治39年(1906年)
JASRAC No.086-0288-7

  龍笛(小枝) 細道:画
青葉の笛

作詞:大和田建樹(PD)
作曲:田村虎蔵(PD)(曲リスト)
MIDI制作:滝野細道

 (一)
 一の谷の 軍
(いくさ)やぶれ
 討たれし平家の 公達あわれ
 暁(あかつき)寒き 須磨の嵐に
 聞こえしはこれか 青葉の笛



 (二)
 更くる夜半に 門
(かど)をたたき
 わが師に託せし 言の葉あわれ
 いまわの際まで 持ちし箙(えびら)
 残れるは「花や 今宵」のうた

昔より乗り物などに<只乗り>することを俗に<さつまのかみ>といいましたが、これは平清盛の
弟<薩摩守平忠度朝臣(さつまのかみたいらのただのりあそみ)>からきたことです。この「青葉の
笛」も、一の谷に果てた平敦盛と平忠度のことを謡っています。
一番は、一の谷の戦で熊谷次郎直実(くまがいのじろうなおざね)に十四歳で討たれた平敦盛のこと
です。直実は海に逃れんとした平家の美麗な侍大将を呼び戻します。件の侍大将は逃れようとすれ
ば逃れられたのですが、大将の一分をもって戻ってきて、格闘の末熊谷直実に組み伏せられ「頚を
斬れ」、と。直実は、白皙の少年を見て、あまりの高貴さに驚き助けようとしますが、名を名乗りませ
ん。周りは功名心に燃えた源氏の将兵が溢れており、泣く泣く討ち取ったのですが、兜の裏には一
棹の笛。「されば夜毎嵐に聞こえし笛の音はこのお方のものだったか!」この笛は<小枝=さえだ
>と呼ばれ須磨寺にあるそうです。。山本周五郎氏はこの笛のことを小説にしています。小説によ
れば正倉院宝物殿にあるということです。

 二番は、高名な歌人でもあり、一の谷の戦で岡部六弥太忠澄(おかべのろくやたただすみ)に討ち
取られた、平忠度のことを謡っています。六弥太もこの武将が忠度であることを知りませんでしたが
、矢を入れておく箙(えびら)に結び付けてあった歌、【行き暮れて 木の下陰を 宿とせば 花や今
の 主ならまし】を見て、朝臣忠度だと知ったのです。歌の中にある、♪更くる夜半に門をたたき、
わが師に託せし言の葉あわれ♪、というのは平家都落ちの時、夜半、途中から都に引き返し、<千
載集>の編者である師藤原俊成に「今後勅撰の歌集が作られるようなことがあれば、この中から一
首でも載せてほしい」と、自詠の歌を師に託した事をいいます。
千載集と旅宿の花の行く末続きはこちら

懐メロ  八洲秀章&抒情歌  童謡・唱歌  「細道のMIDI倶楽部」TOPへ  2007/SEP/01
    
ラン科アツモリソウ属クマガイソウ
一の谷の合戦で熊谷次郎直実が背負って
いた矢除けの母衣(ほろ)に似ていることから
<熊谷草>と名付けられた。
    ラン科アツモリソウ属アツモリソウ
     左のクマガイソウが先に名付けられたが
     同じ種族で、同じような姿で熊谷草より優
     しい姿なので<敦盛草>となった。
This photo taken by Hosomichi      This photo from 季節の花300


田村虎蔵の当倶楽部内の曲リスト
田村虎蔵当倶楽部の作曲
曲  名 作  詞 歌  手 歌 い 出 し
青葉の笛 大和田建樹 - 一の谷の軍やぶれ討たれし平家の公達
一寸法師 巌谷小波 - 指に足りない一寸法師小さな体に大きな
うらしまたろう 石原和三郎 - むかしむかしうらしまはこどものなぶる
金太郎 石原和三郎 - まさかりかついで金太郎くまにまたがり
大黒様 石原和三郎 - 大きなふくろを肩にかけ大黒様が来
花咲爺 石原和三郎 - 裏の畑でポチが鳴く正直爺さん掘ったれ