【山寺の和尚さん】BGM
作詞:久保田宵二 作曲:服部良一 MIDI制作:滝野細道
(一) (二)
山寺の和尚さんが 山寺の小僧さんが
鞠はけりたし 鞠はなし 町へ行きたし ひまはなし
猫をかん袋に 押し込んで ねずみ相手に 木魚うち
ポンとけりゃ ニャンとなく ポンとなきゃ チュンとなく
ニャンがニャンとなく チュンがチュンとなく
ヨーイヨイ ヨーイヨイ
(三) 山寺のまめだぬき 腹はすいたし えさはなし 丸いおなかを ちょいとなでて ポンと打ちゃ グーとなる グーがグーとなる
ヨーイヨイ
この「山寺の和尚さん」で現在一番問題になっているのが<猫をかん袋に押し込んでポンと蹴りゃニャンと鳴く>という箇所です。一つは『かん袋って何?』というのと、もう一つは愛猫家を先頭に『猫を虐待するような歌を童謡としておいて良いのか』というものです。
大阪堺市に『かん袋』というくるみ餅の老舗があります。この由来は、太閤秀吉が大阪城築城の際のこと、くるみ餅菓子舗の主人和泉屋徳兵衛が餅で鍛えた腕力で、瓦をポンポンと天守閣まで投げ上げると、それが紙の袋がヒラヒラと舞って行くようで、それを見た秀吉が「まるでかん袋が飛んで行くようじゃ」と褒めたところから、<和泉屋>から<かん袋>という屋号に変わったという話があります。三河弁でしょうか、とにかく<かみふくろ=紙袋>が訛ったもので、かん袋は昔は当然和紙だったのですから、とても丈夫で、猫を入れて蹴飛ばしたくらいでは破れなかったのです。
次の<動物虐待を含んだ童謡>云々というのは難しい問題です。人間の楽しみのために動物をかん袋に押し込んで蹴っ飛ばすというのは、今では確かに動物虐待です。しかしこれが猫や犬だからという発想ですと、じゃあ二番三番に出てくる鼠や狸だったらどうなんだ?動物の曲芸は?イルカのショーは?挙句の果てに、スペインなどで人間の娯楽のためにやっている、闘牛はどうなんだ?となってしまいます。
闘牛と言えば、歌ではありませんが一九五六年のアメリカ映画『黒い牡牛』を思い出します。闘牛として生まれてきた黒い牡牛と少年の心温まる交流、成長の過程で闘牛として育った牡牛は、闘牛場に出場する日が近付きます。出場するということは牡牛の死を意味します。少年はあらゆる手を尽くして出場させないようにしようとしますが、少年のする事、とうとう出場が決まってしまいます。牡牛は雄々しく闘いました。観客も感嘆するような動きと攻めで闘牛士を追い詰めます。しかし観衆もだんだん気付きます。牡牛は自分が致命傷を受けないように、また追い詰められて隙を見せた闘牛士も傷付けないようにしているのを。これは闘牛としては失格なのですが、雄々しい闘いを見ているうちに観客も牡牛の心が分かってきたのです。突然、「インドルト!(牛を助けろ!)」の声が上がりました。「インドルト!」「インドルト!」声は津波のように広がって行き、闘牛場を包みました。
この感動の少年名画<黒い牡牛>も角度を変えて見れば動物虐待映画となります。闘牛自体も、関係ない国々から見れば動物虐待ショーで、ヒンズー教徒にとって牛を殺すのを見物させるなど言語道断でしょう。であるから、上映禁止か成人映画とすべきである?
<歌は世に連れ世は歌に連れ>といいますが、歌も映画もある意味では時代の証人です。その時代の人々の生活、文化、風俗の中に息づいていたものですから、現代の知恵をもって完全否定するのはいかがなものでしょうか。そういうことが何の問題もなかった時代があったと良く説明し認識させることこそ、この童謡や歴史を現代に生かすことだと思われます。古い諺『温故知新』が現代でも生きているように・・・
と、以上童謡であることを前提に述べてきましたが、実はこの童謡には元歌があって、童謡どころかジャズ調の<戯れ歌>だったのです。さらに不思議なことに、童謡の作詞者が<不詳>なのです。多分服部良一が二、三番を付加して童謡としたのではないかと言われていますが、当倶楽部では元歌の一番を久保田宵二が<わらべうた>から引用したことが分かっていますので<作詞:久保田宵二>としています。
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