白糸の滝殺人事件2             2  4 5 6 

[尋問]

                                  
 ドアの外には、なるほど、目付きの悪い険しい顔をした一目で分かる・・・刑事が居た。二人連れ立って、イガグリ頭で、サイドバッグを抱えているところなど、たちまち刑事だと分かる。それに、あの手帳を出すポーズ。内ポケットから取り出して、ツッと相手の鼻の先に突きつける。一体誰が始めたのか? それとも自然にやるとあのポーズになるのかな?
 手帳から取り出して来た名刺には、<栃木県警察本部 刑事部捜査一課捜査係長 警部 内山悟朗>とある。
 刑事と知って隆一郎には、先ほどの事務所の電話番号をどうのこうの言ってきた電話がピンと連想された。姐さんから聞いた「嘘を言ってはいけない」などの口調は刑事のものである。そして、自分の電話が県警本部付き警部の来訪とどういった関係があるのか、俄然興味が湧いてきた。捜査一課の特別捜査本部捜査主任が直接出張って来るのだから、殺人や麻薬の絡んだ重大な事件に相違ないのだ。栃木方面にそうした事件の記事を見た記憶もないが、ぜひともその理由を探り出さねばならない。探り出して捜査陣に喰らいつかねばならない。
「おっ、特捜主任さん直直のお出ましですか。珍しいですな。何か重大事件でも?」
 ちょっと名刺を眺めただけで発せられた隆一郎の言葉に、内山と名乗る警部は、タジタジとした。何でそんなことを知ってるのか? 名刺には何も書いてないが、確かに県警内部ではその通りに呼ばれる。しかし、あくまで内部の呼称であるし、特別捜査本部の主任警部が自ら捜査に駆け回ることなど、余程の重大事件でもなければめったにないことを熟知していなければ、咄嗟にそのような言葉は出てこないはずだ。
「・・・・・」
 内山警部、声もなし。
「それに、先ほど変な電話でカマを掛けて来たのもあなたたちですな? 所在確認と所有者確認ですか? まさか、私のところの電話番号を書いたメモが死体の傍に落ちていた、とでも仰るんじゃあないでしょうね?」
 たたみ掛けるように言う隆一郎に、内山警部はまた機先を制されて絶句した。
「ちょっと、あんたねえ、聞くのはこっちなんだがねえ」
 後に居た若い刑事が気色ばんで言った。
「あっ、そちらさんは?」
 顎をしゃくられた若い刑事は、内山警部に促されてシブシブ名刺をだした。
 <警視庁渋谷中央警察署 刑事課刑事係主任 巡査部長 兵藤孝則> とある。
「所轄の兵藤部長さん・・・か」
 隆一郎の言葉に二人の刑事は「ん?」という顔をした。再び名刺をチラと見ただけでこれだけの反応をするこ奴は、一体何者なのか? 怪しい奴だとの疑惑が両刑事の胸にムラムラと湧き上がって来た。疑うのが仕事の因果な職業ではあるが。
 一般の人は、刑事部長と部長刑事のどっちが偉いか分からないのが普通だ。ましてや、刑事なのに巡査部長とは何か?
 部長刑事とは、刑事関係に働く巡査部長の階級にある警察官の呼称である。デカ長などとも呼ばれ、バリバリの捜査の中心である。
 刑事部長は組織の刑事部の部長であるのだから、雲の上の存在だ。
 警察官の階級は、下のほうから、巡査、(巡査長)、巡査部長、警部補、警部、警視、警視正、警視長、警視監、警視総監となっている。巡査長に括弧が付いているのはそれが正式の位ではないからで、警部までは地方公務員、警視以上は国家公務員である。
 日本の警察組織を統括するのが警察庁で、その下に、警視庁や各道府県警察本部がある。北海道警察本部、京都府警察本部、栃木県警察本部などの地区警察本部の本部長は、たいてい警視監が務めるが、首都を守る警視庁だけは、東京都警察本部とは呼ばれずに、ロンドン警視庁(スコットランドヤード)、パリ警視庁などに倣って[警視庁]と呼ばれ、その長は警視総監が務めることになっている。
 警視庁や各警察本部の下に地区警察署があって、どの警察署も本部と同じような組織をもっているが、部、課、係、の長も警察官の階級としては、本部などより1〜2階級低い。例えば、本部の課長は警視正(稀に警視)であるが警察署の課長は警部(渋谷中央署など巨大な警察署の課長は警視、地方の町の警察署の課長は警部補の場合もある)となっている。従って、内山警部は普通の警察署では刑事課長の位にあるわけで、本部の捜査主任でも外へ実捜査に出歩くことはめったになく、デスクで捜査主任として捜査チームの陣頭指揮を取るのが通例なのは先ほども述べたとおりだ。
いくら私立探偵だからといって、瞬時に隆一郎が言ったような言葉が出るはずもなく、内山警部も兵藤刑事もたじろぎ、疑惑を抱いたわけだ。
 隆一郎が「言い過ぎたかな」と思うまもなく、二人の刑事の顔は一段と険しくなり、被疑者を狙う警察官の目つきとなってしまった。そして内山警部が最初に発した言葉が、例のお決まりの、「ちょっとお尋ねしたいことがあるので、渋谷中央署の方までご同行願えませんか?」
 うむを言わせぬ調子である。
 普通、単なる質問で署まで同行させることはない。人権の問題もあるから、訪問先でいろいろ訊ねて、確信に近いものが出てきたら、所轄署に任意の同行を求めるのである。任意であるから行かなくてもよいはずだが、その頃になれば、同行しないと逮捕、をチラつかせ被疑者扱いとなるのが通例だ。
 内山警部としては、自分のキャリアの中で、自ら事件のことを知りたいがため相手を煽る者がいるなんて想像だに出来ない。相手は胡散臭い探偵屋である、警察の内情に詳しく何度も警察の<お世話>になっているに相違ない、しかも「先ほどの変な電話で・・・」、なんぞと間髪を入れず分かったのは、何か事件に係わりがあったから、思わず口を突いてでたのではないか、などと考え、コイツ怪しい、怪しい奴は署の取調室に連れてって徹底的に締め上げてやらにゃあ、となったわけである。
「あ、署までは勘弁して下さいよ。私も商売がありますし。ただ事務員から、3478−4101の電話番号を探しておられるような話を聞きましたので、私の事務所にはそんな番号の電話はないし、使ったこともありませんので、ちょっと言ってみただけなんですから」
 隆一郎は、警察が一度疑惑を抱いたら絶対に後には引かないことは知っていたが、それでも一応やんわりと否定して見た。
「いえ、そんなことはいいんです。私たちの探しておったのは、お宅の事務所の電話だったんだから」と警部は核心に触れてきた。「それは署の方でお訊きするとして、それにしても失礼な事務員さんですなァ。まだ、耳がガンガンしますよ」
 内山警部が耳をほじくりながら言うのに、後ろから黄色い声が混ざった。
「あなたのほうこそ、何を言ってらっしゃるの!『嘘をつくな』なんて失礼なことをおっしゃって。憚りながらこの白糸、嘘と坊主の頭はゆったことはありませんことよ」
 固唾を呑んでドアの陰で聞いていた白糸姐さん、たまらずシャシャリ出て、大時代なことを言って見栄を切る。隆一郎の計略を知らないから、姐さん、必死である。
「えっ、白糸・・・さん?あァ、先ほどは、あなただったんですか。じゃあ、あなたも一緒に署の方へ・・・」
「ええ、ええ、モタさんと一緒だったらどこへでも、例え火の中水の中」
 姐さん、またまた大仰なことをいって隆一郎の腕に縋り付いた。いつのまにか<先生>が<モタさん>になっている。
「いえ、この人は関係ありませんよ。何しろ今朝見えたばかりなんですから」
 困惑する隆一郎と白糸姐さんを掻き分けるけるように、今度は城井伊都子が出て来た。
「そうよ、その人はな〜〜んにも関係ありません。事務員はこの私、城井伊都子と申します。私が所長とご一緒します」
「やっ、伊都ちゃんまで。勘弁してくださいよ、もう。刑事さん、私一人で行きますから」
「モタさん一人だけなんて、私、絶対行かせませんわ!」
「私も!」
 もうシッチャカメッチャカである。内山警部もこれには苦笑せざるを得なかった。
「結構です。三人とも来ていただきましょう。いいですね?兵藤部長さん?」
「えっ、はあ」
 渋谷中央署の若い部長刑事は溜息とともに頷いた。
 普段は冷静な城井伊都子も白糸姐さんへの対抗意識からテンションが上がってしまって、女二人はもう、遠足か決闘にでも行こうかという騒ぎだ。

                       
 渋谷中央署はJRや東急東横線渋谷駅東口の、明治通りを挟んだ斜向かいの新しい大きなビルで、刑事課はその六階にある。エレベーターを降りて奥に進むと、廊下の左側が刑事課の事務室で、コワモテの人たちがたむろしている。あまり大きな事件もないらしい。その刑事がたむろしているところを掻き分けるように奥に進むと、取調室が五つほど並んでいて、三番目の部屋に隆一郎は連れ込まれた。白糸姐さんと城井伊都子を隆一郎から引き離すについてはまた一悶着あったが、これは警察のこととて、力ずくで分かれさせられてしまった。他の取調室で事情聴取されるらしい。
「さてっと」
 内山警部が入り口のドアを背にして、取り調べ机の反対側正面に座って言った。
「先ず姓名、住所、生年月日を聞かせて貰いましょうか」
「甕隆一郎、東京都世田谷区奥沢8−16−25緑ハイツ306号、昭和33年10月10日生まれの44歳」
 隆一郎は一気にまくし立てた。
「ち、ちょっと待ちなさい。そんなに早く言っても、モタイという事務所でしたね? モタイとはどんな字を書くのですか?」
「どんな字と言っても・・・ちょっとその紙とペンを貸して下さい。こういう字です」
「ほほう、こりゃまた難しい字を書くもんですな。こんな難しい姓があるから、我々も捜査で勘違いしたり、発表で間違えたなんぞと非難されるんだ」
 苗字の難しいのが諸悪の根源であるような苦々しげな口調でいう。
 多少カチンときたこともあって、隆一郎も、言わずもがななことを言ってしまった。
「難しいって、普通のカメ(甕)って字ですよ」
「普通のカメ?」
 なるほど、よく見ると普通の甕という字である。見る見る警部の顔が恥ずかしさと怒りで真っ赤になった。
「そんな事は分かっとるッ!」
 内山警部はバンと机を叩くと立ち上がって、隆一郎の後ろへ回り、肩越しに言った。
「なああんた、もう面倒掛けるのを止めて、全部ゲロしちまったらどうだね、え?」
「ゲロって、何をですか? 朝食べたものをですか?」もう仕様がないので、もっと煽る。
「何ッ!ふざけるんじゃあないッ!電話の件に決まっとる!」
「ですから、事務所の電話はもう、かれこれ十年以上も使ってまして、今まで何の問題もありませんので・・・」
「そんなことを聞いてるんじゃあない! 何であんたの事務所の電話番号が、あんなとこにあったかって事を聞いとるんだ!」
「あんなとこ、ってどこのことです? なんのことやら一向に・・・死体のヒタイにでも血文字で書いてあったんですか?私の事務所の電話番号が・・・?」
「そうやってシャレた積りで、しらを切っとるがいい。これからじっくり締め上げてやるから」
「ははあ、じゃあさっき当てずっぽうに言ったように、私の事務所の電話番号を書いたメモが、殺人現場にでもあったんですね」
「ほら、そういう風に素直になればいいんだよ。それで?」
「それでって、推測ですよ。推測! 一課の刑事さんが眦(まなじり)決して私の電話番号のことを詰問してくれば、こいつあ殺人事件だな、しかも私の電話番号が事件に、それも重大事件に絡んでるとしたら、死体が握っていた、なんぞとしか思いようがないじゃないですか。ついでに麻薬も絡んでるなんて言うんじゃないでしょうね?」
 隆一郎は多少の期待を込めて言った。
はたして内山警部は一瞬、棒か何か飲み込んだような顔となった。
「ほ、犯人(ほし)じゃなきゃあ、どうしてそんなことを知ってる!?」
「えっ、じゃあ、本当に麻薬が絡んでるんですか?さっきも言ったように推測ですよ。推測!」
「推測とは思えないね。あんたは犯人しか知りえないことを言っとる。こいつは自白だ」
「そんな無茶な!」
「何が無茶だ!」
「無茶苦茶ですよ。本当に全然関係なんてないんだから」
「・・・・・」
 警部の目は、最早完全に被疑者を見詰める捜査官の疑惑に満ちた目になっている。これで調書を纏められたら本当に逮捕されてしまう。少し煽りすぎたか・・・
 隆一郎は隆一郎で、自分の事務所の電話番号が殺人事件に絡んでいると確認できて、その偶然に驚いたが、さらに麻薬が絡んでるとなると別の悩みも増える。
 事件に巻き込まれるのには電話番号のお陰もあって容易に成功した。今度は、警部に与えてしまった疑惑を解いて事件の詳細を聞きださねばならないのだが、これは現場に当の番号のメモがあったというのだから、なかなか難しい。しかし、何とかしないと話は先に進まないどころか拘引される危険すらある。一瞬、山田官房長の顔が脳裏を掠めたが、睨み付けて来たので慌てて消し去った。まだ早い。まだ自分で何とかせねば・・・
「驚きましたね、勝手な推測があたってしまったようで」
「推測じゃあないだろ、知っとることは洗いざらい吐いちまって、早く楽になるんだな。まあ、ジックリ聞いてやっから」
 内山警部は懸命に食い付いてくる。事件が発生してからどのくらい経つのだろうか。初動なのか、手掛かり薄の焦りか。自分が関係ないのは分かっているのだから、アリバイでも成立すれば許してもらえるかも知れない。
「栃木県の方で何かあったという記事もここ暫く読んでないし、特捜主任じきじきのお出ましとなると、事件の起こったのは多分昨日あたり、つまり今日は初動捜査ってわけですね」
「ほお、やっぱり分かっとるじゃないか。それじゃあ聞くが、昨日の夜8時から10時ころまで何処で何をしとったか、言って貰おうか」
「あっ、それが死亡推定時刻ですな。やっぱり昨日の事件ですか?」
「余計なことはええから、その時間何処で何をしてたか言ってもらおうか?」
「それなら――――」隆一郎は昨日の経緯を、山田官房長のところだけ抜いて話した。「―――――と言うわけで、その問題の白糸姐さんが私の事務所に来て、警部さんの電話をガチャンと切って、今別室にいるわけですからね。ちょっと聞いて頂けば分かりますよ」
「あの跳ねっかえりの変な女のことかね。ありゃあ、あんたの愛人なんだろ。口裏を合わせりゃそれで良いわけだから、愛人の証言など信用できんね」
 姐さんが聞いたら、怒りそうなことと喜びそうなことを同時に言う。しかし、山田官房長を利用しないとすると、昨日のアリバイを成立させる以外に、上手い手も考え付かない。
「ですから、昨日初めて合ったばかりですって。そう仰らんでちょっと聞いてみてくださいよ」
「どうせあんたと一緒だったと言うんだろうが、ま、念のため、な」
 内山警部はブツブツ呟きながら出て言ったが、暫くすると仏頂面で帰って来た。
「どうも信じられん。あんたとあの芸者は、本当に昨日会ったばかりみたいだな。それなのにあの馴れ馴れしさはなんだね。一夜の座布団芸者かって聞いたら怒って引っ掻かれそうになって、えらい閉口したよ」
「そりゃ、当たり前ですよ。いまどき珍しい潔癖な姐さんなんだから。先ほどお話したとおり、元はといえば、姐さんが客に手篭めになりそうなとこを、助けてやったのが縁だったって、そう言ったでしょ?それに、この顔のアザ。何よりの証拠じゃないですか」
「興奮しておって、とてもそんなことが聞ける雰囲気じゃなかったな。城井という事務員は、所長を返してくれ、と喚くしね。いやはや、えらい者が回りにいるもんだね。まあ、仕方がないから、一晩泊ってってもらおうか」
「ちょ、ちょっと待ってください。そう簡単に留置されちゃ、堪りませんよ。じゃあ、神泉駅の近くの<よし野>の女将に聞いて頂けば一発じゃないですか。女将は一緒にいた鳶や床屋や、そうそうそれに堀田先生と呼ばれていたお医者さんも知ってるでしょうから、そちらにも聞いて下さいよ。全部口裏を合わせるなんてできませんからね。<よし野>は兵藤部長さんもご存知でしょう」
「いえ、本官は先月赴任してきたばかりで、知らんですが・・・警部さん、ちょっと本官が行って来ましょうか?」
「そうだね、私も行くか。じゃあ、おとなしく待っとれや。ただこれだけは言っとくが、アリバイが証明されたとしてもだ、あんたが直接手を出したんでねー、ってのが分かるだけで、容疑が消えるわけではねーからね。教唆ってのもあるし、アリバイなんぞはトリックででっち上げられることもある。どっちにしても、被害者があんたんとこの電話番号のメモを持っとったのは厳然たる事実なんだから」
 内山警部としては、半ば捨て台詞的な物言いをしたものだが、自分の発した言葉がどんなに正鵠を射ているものだったか、そのときは夢にも思わなかった。
  
                            
 内山警部は1時間ほどして、浮かぬ顔で戻って来た。続いている兵藤巡査部長も冴えない風情である。例の決め手ってやつが見付からなかったらしい。
「<よし野>の女将の証言は大体あんたが言っとったとおりだったよ。念のため鳶源を教えてもらって、当の源蔵にも聞いて見たんだが、やつは警察と知って昨日の傷害事件が表沙汰になったもんと勘違いしてえらい慌てていたが・・・・・たしかに、あれは芝居とは思えんかったなあ」
「でしょ、だから私が言ったように・・・」
「ちょっと待てや。女将の話では、あんたは別の男と一緒だったそうじゃないか。あんたが倒れて、女将が元の部屋へ行って見たら、もう、おらなんだっちうことだった。帳場で聞いたら、あんたが払うからちうてそそくさと帰っちまったてえことだ。誰なんだか正直に言ってもらおうか」
「それは・・・ちょっと・・・」
「ホラ見れ、やっぱりやましいとこがあるから言えないんだろ。ヤクの仲間か?」
「まさか、そんな」
「実は、<よし野>の女将からそいつの名刺を預かっとるんだ」
「あ、そんなバカな!」
「何がバカだ!」
「いえ、警部さんのことでなく・・・」
「山田秀男、か。肩書きもなんにも無いな。住所と電話番号だけだ」
「不味いなあ、それ、不味いよね」
「そうだろうな、不味いだろうな。洗いざらい言ってしまえば問題ないんだ」
「・・・・・」
「・・・・・」
内山警部は腕組みをして隆一郎をねめつける。ジックリ待つ方針だろう。
「えーと、ところで一つ伺いたいんですが、どうして殺人と断定できたのですか?」
 沈黙に耐えかねた態で隆一郎がたずねると、警部はまたバンと机を叩いた。
「こっちが訊いとるんだろうが!山田某の素性と関係を早く吐いちまうんだよ」
「単なる友人ですよ。さっきから言ってるでしょ。あそこには偶然いあわせただけなんですから。それに、山田も私も最初からこの件には関係無いんですって」
「この件とはどの件のことを言っとるんだ?」
「いやだなあ、山田と私は全然無関係の話をしてましたし、第一、証拠に残るような電話番号を、証拠に残るような具合で私自身が使うわけがないじゃないですか」
「ふん、犯罪者なんつうもんは、マヌケなとこで間が抜けとるもんさ。それに、あんたんとこの電話番号を書いた紙が、口から出てきたのは紛うかたなき事実だものな。徹底捜査しなきゃあ収まらん」
「エッ?私の電話番号が被害者の口から出て来たんですか?」
 内山警部は、アッと叫んだ。そういえば、死体の近くにあったことは認めたが、<口から>とはまだ言ってなかった。しかし、警部はすぐに体勢を立て直した。
「わしは、<被害者の>とは言っとらん。あっ、今、『私の電話番号が被害者の口から出て来た』って言ったよな。言った、確かに言った。な、兵藤部長、言ったよな!」
 鬼の首でも取ったようとはこのこと。警部はまくし立てた。
「は、はあ」と、兵藤巡査部長。
「犯人しか知り得ないことだ。こいつは自白だ!」
 もう、一気に落とそうという勢いである。
「そんな無茶な!」
「何が無茶だ!」つい最前の繰り返しである。
「無茶苦茶ですよ。私は、そんなこと言ってませんよ。警部さんが<口から>って言ったから、本当かどうか聞き返しただけで、<口から>って言ったら被害者の口からにきまってるじゃ、ありませんか。そんなことで容疑者にされたら堪りませんよ」
「何が<そんなこと>だ。いろいろ知り過ぎとるわ。もう重要参考人だな」
「全部推理ですよ。私も私立探偵をやっておるもんですから、自分の事務所の電話番号が殺人事件に絡んでいるとなると、どうしてだろうな、と思って、俄然興味が湧いてきて、聞きたくなっちゃうし、あれこれ考えるのも当然でしょ?」
「素人さんにそんなことを思ってもらわんでも、こっちがキチンとやるからええ。とにかく、さっきも言ったように、あんたんとこの電話が絡んどることは間違い無いんだから、警察はキチンと事実関係を全部解明せんで、釈放するわけにはいかんのよ。ガサ入れ前に帰したら、証拠隠滅を謀るだろうしな」
「エッ、ガサ入れって、礼状もなしにやるんですか?そんな無茶な!」
 事務所を家宅捜索などされたら、今度は本当に問題だ。内山警部でも誰でもブッ飛んでしまうような麻薬の見本や機密書類が続々と出てきてしまう。簡単には入手できないようになっているが、警察は徹底的にやるだろう。
「もちろん礼状は取るさ。ヤクでも出てくりゃ、決まりだな。そのためにも泊まってもらわにゃ」
「ま、待って下さい。いいです、山田に電話させてくださいよ」
「ははん、慌てるとこを見ると、ガサ入れは困ると見える。ますます怪しいとしたもんだ。まあ、これから刑事を貼り付けるんで、証拠隠滅なぞできんがね」
「山田に連絡させて・・・ちゃんと明らかにしますから」
「今ごろ遅いワイ。ワシが自分でやるからエエ」
「あ、それは止めたほうが・・・」
「今更何を言っとるか。待っとれて!」
 内山警部は本日3回目に取調室を出ていった。五月末の日長とはいえ、日も傾きかけてきた。
 刑事課の部屋は、自分の机の無い刑事がたむろして、雑談をしている。時々手錠を嵌められた人がうなだれて、引かれて行く。内山警部は渋谷中央署本間刑事課長に会釈すると、兵藤巡査部長の席に座って、手にした名刺の番号に電話を入れた。
「ひまわり道産子ラーメンです」明るい女性の声が受話器から飛び出してきた。
「あ、ラ、ラーメン屋さん、ですか?」
「はい、ただ今出前は少し時間がかかりますが」
「あ、いえ、山田秀男さんという方はそちらにいらっしゃるのですか?」
「あ、山田ですか?今はおりませんけど、何かご用ですか?」
「山田さんとお話がしたいのですが、連絡先を教えて下さい」
「連絡先はこちらになっております。ご用件を仰って頂けば、お取次ぎ致しますが」
「ご用件って、こちら警察なんですがねえ。ご当人でないと・・」警部は大方の人が大人しくなる切り札を投げた。
「ああ、警察の方ですか。矢張りね。では、ご用件を、どうぞ」一向に動じた風もない。これが本当にラーメン屋の女性店員なのだろうか。
「どうぞ、って、こちらは職務で質問しておるのですぞ。警察を舐めてもらっちゃあ困りますな。連絡先を教えなさい!」
「何言ってんのよ!さっきから連絡先はここだって言ってるでしょ!そっちこそ早く用件をいいなさいよ」
 突然、砕け切った言葉がポンポン電話口から飛び出してくる。さすがの内山警部も、警察を名乗ってこんな応対を受けたことはなかったので、絶句して、体制を立て直すのに時間が掛った。相手はイライラしたようだ。
「用件がないなら切るわよ!」
「あ、ま、待って!」という間もあらばこそ、ガチャンと切られてしまった。
 内山警部は暫く呆然と受話器を見ていたが、また、リコールボタンを押した。
「ひまわり道産子ラーメンです」
「もしもし、警察ですが」
「あっ、またさっきの失礼な人ね。まだ何かご用?」
「渋谷の中央警察署からかけてますが」
「そんなこと分かってるわよ」
「えっ、そんなこと分かるんですか」
「ナンバーディスプレイってご存知ないの? 0110なんて番号使ってるくせに」
「は、はあ。私は栃木県警の内山と言う警部ですが、昨日、<よし野>で山田さんとお話をしていた、甕隆一郎さんについて疑惑が浮かびましたので、山田さんにも事情を聴取させて下さいと、連絡してくれませんか。必ず渋谷中央署にいる内山までご連絡頂けませんと、疑いは山田さんにも及ぶかもしれませんよ」
「もちろん、こちらからお話いたしますわ。でも、疑いとはどのような?」
 相手の女性の声がトーンを落して、大人しくなったので、警部もやっとしてやったりとほくそえんだ。
「そんなこと言うわけにいかんでしょうが。取次ぎの人に!」
途端に、ガチャンと電話は切れてしまった。

                    
 今日3度目の仏頂面で取調室に入ってきた内山警部は、兵藤刑事にぼやいた。
「最近の、特に東京の女は分からん。白糸だったっけ、あの跳ねっ返り女もそうだが、最初電話に出たときは丁寧だったのに、こっちが警察を名乗ったら、途端にぞんざいな物言いになって、あげくは電話を勝手に切られちまった。栃木じゃ、そんなことはないが、全くどうなっとるのかねえ」
 警部は取調べ机のイスにドカッと座ると、腕組をして瞑目してしまった。
 部屋中に再び冷たい沈黙が流れた。
 内山警部のぼやきは、山田官房長と話を通じることができなかったのを物語っている。どうも、電話番号も住所も連絡にワンクッション置いて、直接本人には繋がらないようになっていたらしい。さすがである。しかし、現在の膠着状態を見ると、それが良かったのか悪かったのか・・・
 栃木県警察本部は、内山警部の報告を聞いてから、日光警察署内に「白糸の滝殺人事件捜査本部」を置くことにしていた。殺人事件と断定して捜査本部を置くことにした最大の理由は、やはり被害者の口中から出て来た数字の入った紙片の検証の結果である。あの紙片は、唾液による濡れ具合からして、生前に奥歯と頬の間に押し込まれたものと推定される。自殺ではないことは、頭部の頭蓋骨の陥没具合で分かっていたし、事故としても偶然起こるから事故なので、事故あるを想定してあらかじめ、この奇妙な紙片を口中に押し込んでおくのも考えられない。ましてや、他人が被害者の生前に押し込んだとしたらもっと奇妙なことになるからだ。
 早朝開かれた捜査会議では、まず、紙片の電話番号に実際に電話を掛けて見ることから始められた。その結果、実際に電話が繋がったのはモタイ探偵事務所のものと、東京の3265−0649、大阪の6251−1530の三つだけで、あとの四つは「この電話は現在使用されておりません」だった。そこで、この数字は電話番号ではないのではないか、と言う意見がすでに出るには出ていた。しかし、実際に通じたのがあったことは間違い無いのだし、数少ない手掛かりの内でもこれは有力なものである。電話番号であるかないかの見極めも含めて、どうしても事件との関係を確認しなければならない。
 隆一郎は知らなかったが、今朝8時過ぎにはすでに栃木県警からモタイ探偵事務所に電話が入っていた。東京と確認されたものは、県警本部の内山警部が、大阪は日光署の中村警部補と石川刑事が直ちに出張った。だから、内山警部としても、白黒も確認しないでは戻れない事情があったのだ。
 農家の主婦に電話を掛けてきた人物の特定や、国籍も不明な被害者の身元確認も、目撃者の割り出しにも時間が掛りそうだ。それに、司法解剖で何かが判明するのも、いま少し先のことになりそうである。
「これは任意の事情聴取でしょ?だったら私はこれで帰らせてもらいます」
 腰を浮かせた隆一郎を、内山警部は黙ってジロリと睨んだ。腕組は解かないで微動だにしない。
「それでは失礼します」隆一郎は立ち上がって取調室の出口の方に向かった。
「兵藤部長!」
 内山警部の声に、兵藤刑事は調書を取っていた机からさっと立ち上がって、出口に立ちはだかった。さすがに見事な呼吸である。
「刑事さん、そこをどいてください。これ以上止められると不当拘禁で訴えますよ」
「不当拘禁?まだあんたからは、何にも真実の話を訊いとらん。山田某の身元もな。つまり我々は公務の執行中だ。あんたこそ、無理をして帰ろうと兵藤部長に手でも触れたら、公務執行妨害罪で緊急逮捕する!」
「緊急逮捕って、そんな手まで使いますか。参ったなあ、もう一体どうすればいいんですか?」
「簡単だ。席に戻って、本当のことをゲロしちまえばいいんだ」
「本当のことしか言ってないんだけどなあ。山田のほうには私から連絡を付けますから」
 その時、取調室のドアが少し開いて、「警部、ちょっと」と顔が覗いた。
「署長!」
「署長!」
 隆一郎と内山警部は同時に叫んだ。
「あっ、甕さん、どうも。警部、ちょっと」
 岩本渋谷中央署長は隆一郎に会釈すると、内山警部を手招きした。
「えっ、本官でありますか?」
 警部は即座に立ちあがったが、何か信じられないものを見たように、口を半ば開けたまま署長を見詰めた。どうしてこんな所に署長が来て、自ら自分を呼ぶのか?誰か呼びに寄越せば済むことではないか。状況が把握できない。
「ちょっと、こちらへ」再び署長に促されて、警部は不得要領のまま取調室の外に出た。岩本署長は別の取調室のドアを開けて、警部を招いている。渋谷署刑事課の面々が、一斉にこちらを注目しているのを見て、栃木県警の警部も閉口した。何が何だか分からず、異国で被疑者かなんぞになった気分である。
 署長は警部に、取調べ記録警官用の椅子を勧めると、挨拶もそこそこ、早速切り出した。
「栃木県警にご協力したいのはやまやまですが、任意の人を何時までも、さしたる理由もなく禁足しておいてはマズイですよ。私の管轄でもありますしね」
「お言葉ではありますが、さしたる理由もなく、と仰るのははなはだ遺憾であります。なにしろ、被害者の口の中からあの探偵事務所の電話番号を書いたメモが出てきたのでありますから、これを明らかにしないで放置しておくわけにはいきません。あの探偵事務所に関係ないならないと、ハッキリさせなくては」
「さしたる理由もなく、と言ったのは撤回します。それに、放置せよとも言っておりません。しかし、兵藤部長に聞いたところでは、電話の通じたのは一つだけではなく、他にもニ、三あるそうじゃありませんか。それに、甕さんも否定しているようですし」
「そりゃあ、本人も最初はシラを切りますよ。ですから、拘束しとるうちに証拠をつき付けてですね、自白を・・・」
「当人がハッキリ否定しているのに、そんなに早く証拠が固まりますかね。とにかく一旦釈放してですね、それから・・・」
「マゴマゴしとるとその証拠も隠滅されちまいますから、早くガサ入れしませんと」
「えっ、令状もなしにですか?」
「勿論、令状は取っていただきますが」
「そうは言いましてもね、電話番号が一致したくらいじゃ、令状は出ませんよ。逮捕状は勿論、家宅捜索のほうもね」
「しかし、今の所これが唯一の手掛かりなんであります。もう少し、もう少しだけお待ち下さい。絶対に吐かせてみせますので」警部、懸命にくいさがる。
「でも、甕さんも、モタイ事務所も逃げて行くわけではないでしょう?だいいいち、当署がそんなことはさせませんよ」
「モタイさん、モタイさんって、署長はよくご存知なんでありますか」
「私も赴任してきて一年足らずですから、それほど良くというわけでは、でも、甕さんには、地域団体のことでよくお手伝いいただいております。交通安全協会の役員とか、警察四団体の副会長とかですね。甕さんに付いてはまあ、信頼しています」
「ああ、それでおかばいになるのですか?しかし、それはマズイのではありませんか?捜査や取調べに、知人だから、とか情実があっては」
「情実とは失礼な!かばってなどおりませんよ。ただ本官は・・・」
「失礼いたしました!そんな積りは毛頭ありません!」
 警部はさっと立ち上がって敬礼した。今度は署長が驚いて、「まあまあ」と、座るよう警部をうながした。
「しかし、兵藤部長は、甕さんにはハッキリとしたアリバイがあった、と言っていました。それに、通じた電話も他にいくつかあって、当人も否定しているとなりますとね、これは一旦釈放するというのが筋、というものじゃあありませんか?勿論、甕さんを含め、捜査は継続するわけですから」
「分かりました。そのことは分かりましたが、そのモタイ探偵は、昨夜、実に怪しげな男と密会しておったのですが、その正体を吐かんのであります。本官も手づるがあって途中まで追求しましたが、実に奇妙な具合に糸が切れてしまいまして・・・せめて、その正体なりとも炙り出しませんと宇都宮に帰れません。お願いします」
「うーん、弱りましたね」
 岩本渋谷警察署長は、本当に困り果てたように腕組みしてしまった。内山警部は、その姿を固唾を呑んで見詰める。取調室は沈黙に覆われた。この署では本日三度目の息詰まる沈黙だ。

 署長は腕組みを解くと、膝をポンと叩いて心を決めたように言った。

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