だそうです。
私が一番最初に触れたマイクロソフトの製品は、当然MS-DOSでした。バージョンまでしっかり覚えているのは「2.11」だったんですが、もう少し古いのも触っていたと思います。PC-9800用だったので、2.0だったかもしれません。
(兄がシステム開発系に居たので、家にフロッピーが転がってました)
この2.11は、FDの起動用にシステム部分だけをバンドルすることが出来たので、大変重宝しました。3.1が主流になっても、アプリケーションの起動ディスクは2.11なんてのが多かったですね。懐かしい。あ、この頃は、まだマイクロソフト日本法人じゃなかったか。
FEPにACE(オーロラエース)、エディタはFinalとかREDでテキストをガリガリ書いてました。
もう少し進んで、MS-DOSが5.xぐらいになると、不可視メモリをいろいろ使って遊んでました。今だと、Linuxのディストリビューションを自分で作るような行為に相当するんですかね。自分が高校生ぐらいで、時間をもてあましてたら、きっと好きなパッケージを集めて作ってたと思います。
ま、数年に一度、こういう懐古ネタ書いちゃう辺り、年を感じる今日この頃。
ああMS-DOS。なつかしーです
バイトして買った初PCの486マシンと併せて入手したOSが98用のMS-DOS6.2で、窓3.1のアカデミック版も入れてましたね
2.11とかそれ以前は雑誌のおまけに付いていた時代ですねー。
なにせソフトにOSがバンドルされていたんですもんね。
私もMS-DOSを触り始めたのは2.11からだったと思います。
その後は3.3とか5.0(A)とかでしたね(PC-9801用)。
それ以前はN-BASICやF-BASICとかでしたから(笑)。
ちなみにウチにはPC-DOS/7.0の入ったThinkPadがあって、今でも動きます。
▼omoteさん
今のPCに繋いだら、とりあえず起動するんですかねぇ。IDE互換モードにすれば、もしかしたら。あ、FreeDOS入れろって事ですね。
▼tanさん
付いてましたね! 2.11。3.xから再配布出来なくなって、アリスソフトがAlice-DOSとか作ったのが懐かしいです。
5.0のシェルの使いにくさは異常でした(>_<)
MS-DOS自体を本格的には3.3dとかからかな。
エディタはRED、ワープロJGだった。
学校ではIBM5550とか触った記憶。情処科で時期OSはO/S2って言われてたっけ。
UMBとかにどれだけ常駐物を上げてフリーエリアを増やすかがキモでしたね。
ま、98系統の前にX64Kでしたから「98ざまぁ」って思ってましたw
高校まで88で就職してからX68K、98の流れだったと思います。Win3.1、95と来てからは互換はアレでもカーネルがちゃんとしたNT系に飛びましたね(Win98はヘルプでしか触ってない)
まだ動くPC486ASノートがありますよ。(VGAのTFTカラー液晶で45万だったと思います。)
▼ちょろさん
学校は富士通系だったなぁ。FMRだった…。
UMBで遊ぶのは楽しかったなぁ。
それにしても、物持ちいいですね。引っ越しの多かった私は、古い物はほぼ処分済みです。