昭和30年(1955年) 
JASRAC Cord No. 076-0019-4
弁天小僧 【白波五人男】
作詞:佐伯孝夫(C)  作曲:吉田  正(C)   歌唱:三浦洸一  MIDI制作:滝野細道
 
(一)
牡丹(ぼたん)の様な お嬢さん
シッポ出すぜと 浜松屋
二の腕かけた 彫物(ほりもの)
桜にからむ 緋縮緬(ひぢりめん)
知らざァ言って 聞かせやしょう
オット俺らァ 弁天小僧菊之助 

歌川豊国作【弁天小僧菊之介】

この豊国の浮世絵を見た河竹新七(黙阿弥)が歌舞伎の
『青砥稿花紅彩画』(あおとぞうし はなの にしきえ)=『白
波五人男』を書いたと言われています。(詳細は↓)

浮世絵Public Domain   写真:Taken by Hosomichi
(二)
以前を言やァ 江ノ島で
年季勤めの お稚児(ちご)さん
くすねる銭も だんだんに
とうとう 島をおわれ鳥
噂に高い 白波の
オット俺らァ 五人男のきれはしさ 
(三)
着なれた花の 振袖で
髪も島田に 由比ヶ浜(ゆいがはま)
だまして取った 百両も
男とばれちゃ 仕方がねえ
突き出しなせえ どこへなと
オットどっこい サラシは一本切ってきた 
(四)
素肌にもえる 長襦袢(ながじゅばん)
縞の羽織も 南郷(なんごう)
着せかけられて 帰りしな
にっこり被(かむ)る 豆しぼり
鎌倉無宿 島育ち
オットどっこい 女にしたい菊之助  

懐メロ   八洲秀章&抒情歌   童謡・唱歌  「細道のMIDI倶楽部」TOPへ  2013/MAY/17 

弁天小僧がいたという江ノ島岩本院(江ノ島弁財天)     鎌倉由比ヶ浜より江ノ島、富士山を望む 
この『弁天小僧』は、子供の頃江ノ島弁財天の稚児であり、長じて『白波五人男』(日本駄右衛門、弁天小僧菊之助
忠信利平、赤星十三郎、南郷力丸)の一人となったという設定で、歌舞伎作家の河竹新七(黙阿弥)が作り上げた
『青砥稿花紅彩画』(あおとぞうし はなの にしきえ)に基づく架空の物語・人物ということになっています。 他の四人
は実在した盗賊(義賊)をモデルとしていますが、弁天小僧菊之助は、河竹新七が両国橋で目撃した女物の着物の
美青年のことを二代目歌川豊国に話し、豊国が浮世絵としたのをみて、歌舞伎に取り入れたものです。この歌の場
面は、女装の弁天小僧菊之助が呉服店<浜松屋>に強請りに乗り込んで、侍(日本駄右衛門)に男と見破られると
ころから始まり、開き直って自分のことを長口舌で語り出すところです。佐伯孝夫の歌詞は、歌舞伎の浜松屋の場で
正体がばれて、弁天小僧が開き直って啖呵を切る科白と、白波五人男が五人番傘を持って並んで大見得を切る科
白から採っています。弁天小僧菊之助は二番目で以下のような口舌です。
歌舞伎浜松屋の場の弁天小僧の科白 
知らざあ云って聞かせやしょう
浜の真砂(まさご)と五右衛門が
歌に残せし盗人の
種はつきねえ七里ヶ浜
その白波の夜働き
以前を云やあ江の島で
年季つとめの稚児が渕
 
 江戸の百味講の蒔銭を
 当てに小皿の一文字
 百が二百と賽銭の
 くすね銭さえだんだんに
 悪事はのぼる上(かみ)の宮
 岩本院で講中の
 枕さがしもたび重なり
 
 お手長(てなが)講と札付きに
 とうとう島を追い出され
 それから若衆の美人局
 ここやかしこの寺島で
 小耳に聞いた祖父(ぢい)さんの
 似ぬ声色(こわいろ)で小強請りたかり
 菊之助という小若衆さ
 
白波五人男名乗りの場 
さて其の次は江ノ島の
岩本院の児(ちご)上がり  
平生(ふだん)着慣れし振袖から
髷(まげ)も島田に由比ヶ浜   
打ち込む波もしっぽりと    
 
 女に化けた美人局(つつもたせ)
 油断のならぬ小娘も   
 小袋坂に身の破れ      
 悪い浮名も竜の口 
 土の牢へも二度三度
 
 だんだん越える鳥居数
 八幡様の氏子(うじこ)にて
 鎌倉無宿と肩書きも
 島に育ってその名さえ
 弁天小僧菊之助
 
三浦洸一(みうら こういち、1928年1月1日〜、本名:桑田利康)は芸名の通り神奈川県三浦市出身で、当倶楽部に
アップした曲「落葉しぐれ」、「踊子」、「東京の人」、そして当曲のように文芸路線が多い歌手です。東海林太郎や伊藤
久男のように歌曲風に歌謡曲を歌う正統派で、昭和30年代前半は一世を風靡しましたが、歌謡曲の曲想が変遷する
なかで追随していけなかったようです。しかし85歳を超える今も活躍されています。