明治34年(1901年)
JASRAC No.
箱根八里
作詞:鳥居  忱(まこと)
作曲:滝廉太郎
歌唱:中学唱歌
制作:滝野細道

(一部新字体使用旧字体解説は)

箱根旧東海道付近「飛龍の滝」
Photo by Hosomichi (C)1998

第一章 昔の箱根

箱根の山は 天下の険 
函谷関も 物ならず

万丈の山 千仞の谷 
前に聳え 後に支う
雲は山を巡り 霧は谷を閉ざす
昼猶闇き 杉の並木 
羊腸の小径は 苔滑か
一夫関に当るや 萬夫も開くなし

天下に旅する 剛毅の武士
大刀腰に 足駄がけ 
八里の岩ね 踏み鳴らす
斯くこそありしか 往時の武士
第二章 今の箱根

箱根の山は 天下の阻 
蜀の桟道 数ならず

万丈の山 千仞の谷 
前に聳え 後に支う
雲は山を巡り 霧は谷を閉ざす
昼猶闇き 杉の並木 
羊腸の小径は 苔滑か
一夫関に当るや 万夫も開くなし

山野に狩する 剛毅の壮士
猟銃肩に 草鞋がけ 
八里の岩ね 踏み破る 
斯くこそありけれ 近時の壮士

童謡・唱歌・懐メロ
 八洲秀章&抒情歌 昭和戦前の流行歌・新民謡 昭和戦後の歌謡曲・演歌
*2008/DEC/30
読み、意味の解説は

滝廉太郎(1879年8月24日〜1903年6月29日)は父が内務官僚の子として東京に生まれ、1894年に15歳で東京音楽学校(現芸大)に入学し、作曲とピアノにメキメキと腕をあげて行きました。1901年4月、ドイツのライプツィヒ音楽院に文部省外国留学生として将来を嘱望されて留学しましたが僅か2ヶ月あまりで結核を発症。帰国後大分で療養していましたが1903年23歳の若さで死去しました。この「箱根八里」を始め「荒城の月」、「」は1900年、「鳩ポッポ」、「お正月」は渡欧の1901年に作曲されており、誠に早すぎる夭折でした。
鳥居忱(とりいまこと:1855年6月17日〜1917年5月15日)は安政の江戸の大名家に生まれました。先祖は関が原の戦いの折、伏見城の守護を命ぜられ、五度の戦で討ち死にした鳥居元忠です。この「箱根八里」のほか「三河武士」が有名ですが、歌詞を見ると、12、3才の多感なころ明治維新を経験し、大名の若殿様から華族の子弟となり、この歌を作詞した47、8歳のころ、往時を偲び、今(明治35年)の世相風潮を歯がゆく思っている鳥居忱の姿が見えるようです。また、そう思いながらこの歌を歌うと、自ずと意味が分かるような気がしてきます。