滝廉太郎(1879年8月24日〜1903年6月29日)は父が内務官僚の子として東京に生まれ、1894年に15歳で東京音楽学校(現芸大)に入学し、作曲とピアノにメキメキと腕をあげて行きました。1901年4月、ドイツのライプツィヒ音楽院に文部省外国留学生として将来を嘱望されて留学しましたが僅か2ヶ月あまりで結核を発症。帰国後大分で療養していましたが1903年23歳の若さで死去しました。この「箱根八里」を始め「荒城の月」、「花」は1900年、「鳩ポッポ」、「お正月」は渡欧の1901年に作曲されており、誠に早すぎる夭折でした。 鳥居忱(とりいまこと:1855年6月17日〜1917年5月15日)は安政の江戸の大名家に生まれました。先祖は関が原の戦いの折、伏見城の守護を命ぜられ、五度の戦で討ち死にした鳥居元忠です。この「箱根八里」のほか「三河武士」が有名ですが、歌詞を見ると、12、3才の多感なころ明治維新を経験し、大名の若殿様から華族の子弟となり、この歌を作詞した47、8歳のころ、往時を偲び、今(明治35年)の世相風潮を歯がゆく思っている鳥居忱の姿が見えるようです。また、そう思いながらこの歌を歌うと、自ずと意味が分かるような気がしてきます。 |