昭和41年(1966年)      JASRAC NO.077−0149−7 
星のフラメンコ 

作詞:浜口庫之助  作曲:浜口庫之助
(曲リスト)
歌唱:西郷輝彦   制作:滝野細道
 

(一)
好きなんだけど 離れてるのさ
遠くで星を みるように
好きなんだけど 黙ってるのさ
大事な宝 かくすように
君は僕の心の星 君は僕の宝
こわしたくない なくしたくない だから
好きなんだけど 離れてるのさ
好きなんだけど 黙ってるのさ



(二)
とどかぬ星を 恋した僕の
心をうたう 星のフラメンコ
輝け星よ 君の夜空で
歌えよ涙 僕の心で
君は僕の心の星 君は僕の宝
こわしたくない なくしたくない だから
歌うよせめて 心の歌を
ひびけ夜空に 星のフラメンコ
*
星のフラメンコ
 

童謡・唱歌・懐メロ  昭和戦後の歌謡曲・演歌  八洲秀章&抒情歌      *08/5/9 

西郷輝彦【さいごうてるひこ、昭和22年(1947年)2月5日〜、鹿児島県出身】は、高校を中退し家出をして大阪の新人発掘コンテストに出場するも落選。バンドボーイなどして転々とするうち、クラウンレコードにスカウトされ、北原じゅん(城卓也の実兄)に猛特訓を受け、北原が5分で作曲したという「君だけを」(昭和39年レコード大賞新人賞)でデビュウし、続いて「17才のこの胸に」など大ヒットしたものの、中々先行の橋幸夫(昭和35年)や舟木一夫(昭和38年)と同等と見做されないできましたが、この「星のフラメンコ」の大ヒットで彼らの仲間入りをし、御三家と呼ばれるようになりました。<どてらい男>を始め、俳優としての活躍は西郷輝彦が一番長いようです。 


浜口庫之助【(はまぐちくらのすけ、大正6年(1917年)7月22年〜平成2年(1990年)12月2日、本名同じ、神戸市出身】は、早稲田大学中退の後、バンドボーイをしながら音楽を学び、戦後ジャワから引き上げた後、進駐軍相手や灰田勝彦とバンドを組んだりして洋楽中心の活動を続けましたが、ある時日本の歌こそが重要だと悟るに至り、バンドを解散し作詞作曲家に転向しました。昭和34年「黄色いさくらんぼ」、「僕は泣いちっち」が大ヒットし、ヒットメーカーの仲間入りを果たしました。浜口庫之助は殆どのヒット曲を自身で作詞作曲していて、<作詞のみ>という曲はほとんどありません。

浜口庫之助当倶楽部内の曲目リスト

浜口庫之助当倶楽部の作曲曲
曲  名 作  詞 歌  手 歌 い 出 し
えんぴつが一本  浜口庫之助 坂本九  えんぴつが一本えんぴつが一本僕のポケット 
恋の町札幌 浜口庫之助 石原裕次郎 時計台の下で逢って私の恋は始まりました
花と小父さん 浜口庫之助 伊東きよ子 小さい花にくちずけをしたら小さい声で僕に
星のフラメンコ 浜口庫之助 西郷輝彦 好きなんだから離れてるのさ遠くで星を見る
港町・涙町・別れ町 浜口庫之助 石原裕次郎 港町別れ町未練にけむる町明日は離れて
夜霧よ今夜もありがとう 浜口庫之助 石原裕次郎 しのび逢う恋をつつむ夜霧よ知っているのか