<植うる剣>「荒城の月」 |
BGM「荒城の月」 土井晩翠の「荒城の月」は明治時代の詩だけあって、現代から見るとかなり難しい言葉使いですが、全体を包括的に眺めて見ればさほどのことはありません。下記は原詩といわれているものですが・・・。 荒城の月 作詞:土井晩翠 作曲:瀧 廉太郎 (一) 春 高楼(かうらう)の花の宴 巡る盃(さかづき)影さして 千代の松が枝(え)分け出でし 昔の光今いづこ (二) 秋 陣営の霜の色 鳴きゆく雁(かり)の数見せて 植うる剣(つるぎ)に照り沿ひし 昔の光今いづこ (三) 今 荒城の夜半(よは)の月 変はらぬ光誰(た)がためぞ 垣に残るはただ葛(かづら) 松に歌(うと)ふはただ嵐 (四) 天上影は変はらねど 栄枯(えいこ)は移る世の姿 映(うつ)さんとてか今も尚(なほ) ああ荒城の夜半の月 この詩の言わんとしていることは、四番に集約されていると思います。「空にある月の姿は昔もいまも変わらないが、地上の栄枯盛衰の有様を見て、その時々の姿を写し取ったはずの光は今はない。しかし、今荒れ果てた城跡に立って荒城を照らす月の光を見ると、この城の栄枯盛衰が目の当たりに想像され、まるで当時の光が写し取った光景を自分の目の前に披瀝してくれようとしているように思われる。ああ、荒城にかかる夜半の月よ」というほどの意味でしょう。 何の意味もわけも分からず歌っていた小中学生の頃。何となく歌全体の雰囲気が分かってきた高校生の頃。「荒城の月」から全く離れてしまった時代。MIDIファイルを制作するようになって、突然の「荒城の月」との再会。この歌の意味を真剣に考えたことも無かったのですが、全くの無為徒食という訳でもなかったらしく良く判読できた、と思いました。ところが、二番にある【植うる剣】という言葉の解釈が筆者の理解するところとは全く違っており、それが現在解釈の主流ということで、びっくりしました。まあ、毎度のことですが、土井晩翠の著作中にこの言葉についての言及でもあればいざ知らず、詩などは著作者の手を離れれば一人歩きし始めますので、目くじら立てても詮方なきことではありますが・・・。 筆者が高校生の頃の雰囲気による詩全体の理解としては、荒れ果てた城の姿から世の中の栄枯盛衰を詠んだ詩という感じから、 【一番】往古の春 盛んな栄える様子 【二番】同年の秋 衰え枯れ果てる様子 【三番】今現在の城の様子 【四番】現在、世の栄枯盛衰を偲ぶ様子 という詩の構成と思っていました。現在、詩の全体から見た感覚も、筆者としては変わりありません。さらに分析して見ることとしましょう。詩作上、一番と二番が栄枯の対比関係にあるとしますと、 一番【栄】 二番【枯】 春 秋 高楼の花の宴 陣営の霜の色 巡る盃 鳴き行く雁 千代の松が枝 植うる剣 分け出でし 照り沿ひし イメージ『動』 イメージ『静』 こうして見ると、問題の<植うる剣>の性格も自ずと見えてくるようです。これは勢いのある動的な攻撃的な<剣>ではなく、役目を終えた静的な<剣>と見たほうが良いように思われます。 しかし、ここで筆者の最も躊躇することですが、ちょっと、言語学的・修辞学的な観点から<植うる剣>を解析してみましょう。<植うる>は終止形が<植う>で<植え>の古語ですが、既に万葉集に未然・連用形としての<植ゑ>が登場しています。従って、<植うる>は他動詞<植う>のワ行下二段活用の<連体形>となりますから、意味的には<植えてある>即ち<植うる剣>の意味は<植えてある剣>です。自動詞としての<植わっている剣>とはならないでしょう・・・・・と、ここまで来て筆者は困ってしまうのです。筆者の高校生の頃からのイメージは<植わっている剣>、<静的な剣>でないと説明がつかないのです。この典型的な例が野口雨情の「七つの子」でしょう。言語学者の言うには、<七つの子>は<七歳の子>の意味しかなく、<七つ>を修辞的に<七羽>の意味に使うことはあり得ない、野口雨情がそのようなことをするとは考えられない、と言い切っています。が、言い切られても筆者の幼児の心はそれを肯んじないのです。カラスは一年経てば成鳥と同じですから、七歳の老鴉を想像しながら子どもに歌え、というのでしょうか?木を見て森を見ない典型的な例と言えるでしょう。木を見ずして森を想像して見た結果が、<植うる剣>は刀折れ矢尽きて城郭に<植わっている剣>と考える所以です。 それと重要なのは後に続く<照り沿ひし>という言葉です。これは<寄り添う>の<添う>とか<意に副う>の<副う>などとは少し意味合いは違いますが、直接ではなく、キラキラでもなく<そっと離れて照らす>という表現を含むと見えます。どうもこの剣は、<月光から憐憫を含んでそっと見られるべき>ものと言えそうです。一番にある<千年の老松の枝を掻き分けてでも直接射す>というものとは大変な相違です。 二番が【枯】だとするには、<陣営の>という城外の、しかも当時進行形の戦闘隊形の言葉が出てくるではないかとの論。これも後に続く<霜の色>で打ち消されます。陣営が霜に覆われているということは、軍勢の活動で踏み荒らされておらず、過去の捨てられた軍地であることを物語っていると見えます。それと去り行くものの象徴、虚空の雁の隊列。 もろもろを解釈して見ると、筆者にはどうしても、映画<アラモ>の中で守備隊長のトラヴィス大佐が、軍刀を地面に突き立てて最後を遂げる姿が浮かんで来てしまいます。<七人の侍>の犬千代の壮絶な戦死の姿も・・・ 【木を見ず森を見た訳】 (一) 春。桜花満開の城内の郭では盛大な花見の宴会が開かれている 次から次へと回される大盃に月の光が映りそれが巡っている 千年の古い松の枝の間から射しこんで栄華を写した光は今どこに (二) 秋。戦場は荒廃を極め陣営は霜に覆われて動くものも無い 空には旅する雁の声が響いて隊列を組んで去って行くのが見えるのみ 城内の地に突き刺さった刀など衰退の様子をそっと写した光は今どこに (三) 今。荒城を照らす夜半の月は昔と同じ光で何を誰のため写そうとするのか 石垣にはいち面に蔓(つた)を絡ませた葛壁が残っているだけだし 城の栄枯盛衰を見てきた老松の枝を鳴らして強風が渡っていくのみだ (四) ああ。荒れ果てた城址を照らす夜半の月よ 空(天上)にあるあなたの姿は変わらないけれど地上の世の中は有為転変 それを写し撮って来たものを眼前に映し出そうと 今も変わらず光を投げ掛けていてくれるのですか 筆者はこの「荒城の月」を聞くたびに、松尾芭蕉の<夏草や兵(つわもの)どもが夢の跡>を思い出します。平泉と青葉城址、江戸時代と明治時代の違いはありますが、浮かび上がってくるイメージは全く同様のものです。芭蕉は<夢>の一語で往古の栄枯盛衰を語っていますが、この「荒城の月」では二番の<陣営の霜>、<鳴き行く雁>、<植うる剣>の解釈如何で、栄枯盛衰の枯・衰の部分が無くなってしまいます。という訳で、筆者は高校生の頃の感覚から 植うる剣=刀折れ矢尽きた陣営の様子 を表わしている、と解釈します。しかし、自信があるわけでもなく、他の解釈を否定するものでもありませんので、一解釈に留めおいて下さい。 TOP |