この「森の小人」はいくつもの変遷を経て出来上がった曲です。完全に現代のものに仕上がったのは戦後のことですが、このMIDIの冒頭に昭和14年とありますように、山本雅之が<蟻の進軍>という詞に曲を付けたのが昭和14年で、以後曲のメロデイーは殆ど変わっておりません。歌詞の方は、先ず時局厳しい折から、蟻の進軍でもあるまいという事で発売を自主規制。玉木登美夫【注1】作詞により<土人のお祭り>として内容を変えました。 ♪椰子の木蔭でドンジャラホイ シャンシャン手拍子足拍子 太鼓叩いて笛吹いて 今夜はお祭りパラオ島 土人さんが揃ってにぎやかに アホイホーイよドンジャラホイ♪、と言うような歌詞で、昭和16年に発売しましたが戦時下あまり売れませんでした。戦争が終って多くの童謡が戦意高揚の詞があるとしてGHQにより発禁とされる中で、<土人のお祭り>には問題となる言辞はないということで即発売しようとしたところ、GHQより待ったがかかりました。詞の中の<土人>と言うのが差別的である、と。<土人のお祭り>の作詞者玉木登美夫はすでに昭和21年1月5日に死去しておりましたので、時のディレクターの山田律夫は、山川清の名前で、歌詞の一番を現在のものに変え、曲名も「森の小人」と変え、昭和22年に発表されるとたちまち人気を得て、誰にも歌われるようになりました。本来は、玉木登美夫作詞、山川清補作、山本雅之作曲というところでしょうが、二番〜四番は全く違う歌詞となったので、標記のようになっているのでしょう。これで「森の小人」は童謡として安泰となったかというとさにあらず。最近は<小人>というのが差別的呼称だ、として、合唱などで敬遠されているというのです。<何時まで続く泥濘ぞ>といったところでしょうか。 山田律夫こと山川清はレコード・ディレクターの余技的な作詞だったので(およげたいやきくん、団子三兄弟の作詞みたい)、他に有名なものといえば、同じく山本雅之とのコンビになる「月見草の花」くらいしかありません。一方山本雅之(本名杉原雅之)は、明治42年広島に生まれ、昭和9年、現武蔵野音楽大学卒業の作曲家なので、「森の小人」「月見草の花」以外にも「海ほうずきの歌」「子ども盆踊り唄」など多数を作曲しています。特に「子ども盆踊り唄」は北海道限定なのですが、北海道では超有名で、『山本雅之は「森の小人」という童謡も作曲しているそうだ』、と聞くと道産子たちは『えっ?』と驚くそうです。原盤「子ども盆踊り唄」はこちら。 |
【注1】ご遺族を名乗られる方より「玉木登美夫は作家金谷完治のペンネームである」とのご指摘を頂きました。旧Wikipediaによる柳井ディレクター=玉木登美夫とした関係箇所は削除しております。 |
金谷完治(1901年5月1日〜1946年1月5日) 『作家群』1934年9月号の「生きること・その他」の一作品が検出される。 金谷完治(かなや かんじ)という作家が【検索】される。小説集『雲間』(1938)が主要著書らしい。他に『先生の手帖』『光を求めて』、少年少女小説『希望の芽』など。紙芝居『リゴール総督・山田長政(絵・布施長春)』(大政翼賛会推薦)も手がける。少年少女文学作家として著名。 |