「もずが枯木で」鳴いて良いのか悪いのか |
もずが枯木で 【演奏】 (一) 百舌が枯木に 鳴いている 俺らは藁を 叩いてる 綿挽き車は おばあさん ゴットン水車も 廻ってる (二) みんな去年と 同じだよ けれども足んねえ ものがある 兄(あん)さの薪割る 音がねえ バッサリ薪割る 音がねえ (三) 兄さは満州に 行っただよ 鉄砲(てっぽ)が涙で 光っただ 百舌よ寒くも 鳴くでねえ 兄さはもっと 寒いだぞ(注1) サトー・ハチローがこの詩を作ったのは昭和10年。しかし戦後昭和31年ごろ、これが改変されて、三番が、 (三) 兄さは満州に 行っただよ 鉄砲が涙で 光っただ 百舌よ寒いと 鳴くがよい 兄さはもっと 寒いだろ となった。勿論、私が最初に知ったのは、この改変版のほうであったが、このサトウ・ハチロー作詞の歌は、一旦廃れて、民間から再登場してきたもので、歌詞も《もずよ寒いと鳴くがよい 兄さはもっと寒いだろ》の部分の言葉使いが、前の部分の《行っただよ》《光っただ》の口調に、いかにもそぐわないものがあったが、当時は間違いなく反戦歌であると思っていた。そして、MIDIで「もずが枯木で」を制作しようと思い立った時、戦前にサトウ・ハチローが作詞した上記原曲があり、芹洋子もこの旧バージョンで歌っているのを知って、当倶楽部も原曲歌詞を採用することとした。そのときはこの原盤も一見して反戦歌と思っていた。だが、昭和10年といえば満州事変後、日華事変から日中戦争に繋がって行く時代で、このような反戦歌が内務省を通過したのだろうか、と微かな疑問を抱いた。 最近、JASRACの登録を検索していた時、原詩の題名が「百舌よ泣くな」であることが記載されているのを見つけた。これは、三番の終わりの二行の正反対の状況を意味するではないか!題名は詩の全体を表わすものなので、最早「百舌よ、この寒さくらいで鳴く(泣く)奴があるか!」が詩の結論で、その奥には「兄さは厳しい寒さの中で声を上げて泣くことも出来ず、涙も拭けない中で戦っているんだぞ!」という解釈とならざるを得ない。そのもっと奥には《お国のために・・・》がほの見える。こうなると、改変版とは正反対の意味をもつこととなり、この原曲は最早反戦歌とは言えず、戦争の一断面、「家族を残してお国のために戦っている兄さが居ない寂しさ」を歌った、戦争の賛否を問わない戦時抒情歌であると思わざるを得ない。 サトウ・ハチローの作には抒情性に富んだものが多い。特に幼くして別れた母親への追慕の情が強く、「小雨の丘」をはじめ、おかあさん、お母さん、かあさん、母さん、はは、母、などを題名に含む歌がムリョ数百曲。童謡でも、子供や動物を優しい目で観たものが多く、なんとなく戦争に対しても反戦側とおもわせる雰囲気がある。しかし、サトウ・ハチローも戦時中は一般の作家同様、興国の思いが強く、「めんこい仔馬」をはじめ軍国色の強い歌を作詞しているので、事変たけなわの昭和10年にこの歌を反戦歌として作ったとは到底思われないのである。しかも、歌の中に肝心の【おかあさん】が出て来ず、【おばあさん】である。内務省の検閲も、そうした微妙な点を汲んでリリースを許可したものではないかと愚考する。 先の「めんこい仔馬」の解説時に、「<もずが枯木で>は、まごうかたなき反戦歌である」と書いた者にとっては、きつい結論だ。 *2008/MAY/10 |