昭和33年(1958年)    JASRAC No.013-0001-6
 お〜い中村君
作詞:矢野  亮
作曲:中野忠晴
  歌唱:若原一郎
  制作:滝野細道

(一)
おーい 中村君
ちょいとまちたまえ
いかに新婚 ほやほやだとて
伝書鳩でも あるまいものを
昔なじみの 二人じゃないか
たまにゃつきあえ
いいじゃないか 中村君

  (三)
  おーい 中村君
  心配するな
  どうせなれてる 貧乏くじにゃ
  みんなこっちが 悪者ですと
  詫びの言葉は まかせておきな
  おくってゆくから
  いいじゃないか 中村君

(二)
おーい 中村君
そりゃつれなかろう
入社当時は いつでも一緒
くぐりなれた 横丁ののれん
可愛いえくぼの 看板娘
噂してるぜ
いいじゃないか 中村君

  童謡・唱歌 懐メロ 八洲秀章&抒情歌
  
*09/OCT/01  「細道のMIDI倶楽部」TOPへ

矢野亮(やの・りょう、1910年3月6日〜1986年7月24日、本名:三上好雄、茨城県
出身)は37歳でキングレコードのディレクターだったとき、「港に赤い灯がともる」を
作詞し、八洲秀章に作曲を依頼してレコード化したところ、予想に反して大ヒットして
しまい、作詞家としてやっていく気になったそうです。その後「星影の小径」、「待ち
ましょう」などで不動の地位を築き、<当倶楽部内曲目リスト>にあるような名曲を
提供しました。
中野忠晴(なかのただはる、1909
年5月25日〜1970年2月19日、愛媛県出身)
は戦前は「山の人気者」、「小さな喫茶店」などの人気歌手でしたが、戦後は作曲家
に転じ、キングレコードの歌手に曲を提供し続けました。
歌手の若原一郎(わかはら・いちろう、1931年8月1日〜1990年7月16日、本名:
田野倉仲義、横浜市出身)は美声で嘱望されて歌手になったが、なかなかヒット曲に
恵まれず、デビュー8年目でやっと「吹けば飛ぶよな」がヒットし、その二年後のこの
「おーい中村君」で人気を得ました。その後は自身の曲の見るべきヒットはなかった
ものの、歌のうまさで他歌手の懐メロをこなし、人気を維持しましたが、TVバラエテ
ィー番組「欽ちゃんのどこまでやるの!?」で再ブレイクしました。