「上海帰りのリル」と上海租界

「上海帰りのリル」と上海租界

 昭和12年の七夕の夜、一発の銃声が北京の西南、盧溝橋の静寂を破って鳴り響いた。盧溝橋事件の勃発である。これを契機として、北京議定書(注:1)による駐留日本軍と中国国民党軍は一挙に日中戦争(注:2)に突入して行った。しかし、上海バンドにあった共同租界、フランス租界、日本租界(自称)は日本の上海上陸軍に囲まれて、かえって安全地帯として周囲のアヤシゲな地帯と共に残った。この上海租界と呼ばれる治外法権の地区が崩壊したのは、昭和16年、太平洋戦争の勃発と共に上海市内に突入した日本軍によるものだった。昭和18年、南京国民党政権である汪兆銘政権(注:3)に接収され日本租界は終戦まで続いた。
 租借地と租界の相違は、前者が広い土地を長い年月の契約で租借して一種の植民地の様相を呈するのに対し、後者は比較的狭い地域を期限無く租借して当事国との外交関係などを続ける拠点としたものをそう呼ぶ。租借地の代表は香港の新開地
(注:4)やマカオなど、租界の代表は上海にあった三地区のものであろう。租界が、現在も治外法権である各国大使館と違うのは、狭い地域とはいえ各国の大使館、領事館、中国に利権を持った商館、あらゆる種類の外国人の居所、集会所などがひしめきあい、警察署・警察機構などが置かれて、租界の周辺地区の治安も、租界警察署が行っていたことである。ちょうど横浜の中華街が独自の行政権、警察権などを持ったものと考えれば当たらずといえども遠からず。その中には、魔窟と呼ばれる怪しげな地区も付随していて、大陸浪人、利権ゴロ、スパイなどが暗躍し、麻薬や売春、暗殺などが横行して小説や映画や歌謡曲のタネとなった。
 
上海租界は歴史も古く、アヘン戦争や義和団事件を経て第二次世界大戦終了まで残ったが、一番規模が大きかったのはイギリス、オランダなどの共同租界であった。この中心を走る道が歌謡曲や映画に登場する歓楽街<四馬路(スマル)>である。フランスも最初は共同租界にいたが、例の国民性により独立して単独の租界を開いた。問題だったのは虹口(ホンキュ)を中心とした日本租界である。日本租界とはいうけれど、日本はそこを正式に租借したわけではなく、いわばなし崩しの駐留だから当然<租界>とは呼べないが、曰く「上海日本租界」。前述で(自称)と注を付したのはそういう訳である。この三租界の中で、甘粕大尉などが入り乱れて情報活動に暗躍したのである。そこで、上海帰りのリル
(注:5)であるが・・・・・

 上海帰りのリル BGM

  作詞:東条寿三郎 作曲:渡久地政信 歌唱:津村 謙

  (一)
  船を見つめていた ハマのキャバレーにいた
   風の噂はリル 上海帰りのリル リル
  あまい切ない思い出だけを 胸にたぐって探して歩く
  リル リル 何処に居るのかリル だれかリルを知らないか
  (
二)

  黒いドレスをみた 泣いていたのを見た
   戻れこの手にリル 上海帰りのリル リル
  夢の四馬路の霧降る中で なにもいわずに別れたひとみ
   リル リル 一人さまようリル だれかリルを知らないか
  (
三)

  海を渡ってきた ひとりぼっちできた
  望み捨てるなリル 上海帰りのリル リル
  暗き運命は二人で分けて 共に暮らそう昔のままで
  リル リル 今日も逢えないリル だれかリルを知らないか


 先ず、「上海帰りのリル」の中の主役のリルがどういう類の女性であるか。
(注:6) この歌が<昭和26年>という、戦後続々と元兵士、民間人が復員してきた直後の時代であること、<上海帰り>というから多分日本か満州生まれの25〜6歳の日本女性であること、何らかの自分の意思ではない事情で上海の社交界に住み着き、戦時中は上海で三租界に深く関与し、その上流社会で生きていたこと、さらに<夢の四馬路の霧降る中でなにもいわずに別れたひとみ>というから共同租界の商館から見送りに出てきた様子であること。以上の<こと>を考え合わせると、ある姿が彷彿として浮かび上がってくる。
 <四馬路(スマル)>は上海中央通りから数えて<四番目の馬車が通れるような大通り>のことで、いわば四番街。まさに欧米の共同租界の中心路だったのは前述のとおりだが、この四馬路は揚子江河口から分岐している黄浦江に面したいわゆる上海バンドにあり、各国汽船が出入りした港にも近かった。筆者が1981年に訪れた時、四馬路は<福州路>という名前になっていた。その時はすでに�ケ小平の時代になっていたが、街を歩く人はまだ皆男女とも決まって紺のズボンに白いシャツ、頭は造反有理のポスターなどに見られた職工帽姿で、紅衛兵の文化大革命の爪痕が伺われた。同行した日本在住の中国人通訳女性のちょっとお洒落な衣装に注がれる、紅衛兵姿の女性たちの熱い視線がなんとなく痛かった。筆者はそこの<和平賓館>という古〜〜い、古都上海を代表するホテルに泊まった。イギリス時代の建物で、物凄い豪華ホテルが物凄く汚れ果てた姿と思って頂けば当たらずと言えども遠からず。窓からは下の上海バンド、黄浦江から靄に霞む上海港が見えた。ハンフリー・ボガードやオーソン・ウェルズが柱の陰からスッと表れてきそうな、一時代前の雰囲気であった。
 閑話休題。
 以上の<こと>を考え合わせると、ある姿が彷彿として浮かび上がってくる。この女性は日華事変(日中戦争)前日本から余儀なくして大陸に渡り、数奇な運命に弄ばれ、上海租界内で身を落とした<高級娼婦>である。男性は外見は外交官だが、密命を帯びて陰謀や情報収、集宣撫工作などに暗躍するエージェント。男性は最初は欧米関係の情報収集のため、共同租界の白人相手の高級娼館で女性に逢ったが、女性も久しぶりの日本の男に入れ込んでしまった。男性も密命を離れて足繁く通うようになり、女性もますます熱くなって、商売を離れて相思相愛となってしまった、いわば<花魁の恋>。伽羅先代萩
(注:7)。同棲生活同様の夢のような関係を続けるうちに、男性に本国から帰国命令。男性は、四馬路の霧の中で別れを告げ、先に涙の帰国をし、女性はただ立ち尽くすだけだった。以後女性の消息は絶たれ、戦後、上海から帰ってきたという人の噂が耳に入った。というのがこの歌の始まる前の物語である。再びハンフリー・ボガード、イングリット・バーグマンの「カサブランカ」(注:8)やジョセフ・コットン、アリダ・バリ、オーソン・ウェルズ主演の「第三の男」を思い出す。
 かくて歌の前舞台が想定されてみれば、後は歌詞どおり自明のこととなる。リルは帰ってはきたけれど戦争の荒廃と中国へ渡った経緯から日本国内に近しい身寄りもなく、寄る辺と言えば、バーかキャヤバレーか高級クラブのホステス、水商売。<風の噂>にハマのキャバレーに居たと言うが、トレースできるような情報源ではなかったのだろうか、いまだに<だれかリルを知らないか>と探し回っているという歌である。この歌のキーワードは、やはり二人の過去を示す部分であろう。<海を見つめていた>、<黒いドレスをみた>、<ひとりぼっちできた>の三つである。これらは、女性の気持ちを表していると言う点で重要なのである。<海を見つめていた>:リルも遠い海の彼方、上海の楽しかりし日々を追憶し懐かしんでいる姿を現している。一番の後部の<甘い切ない思い出だけを胸に手繰って探して歩く>は男性の方の気持ちだ。<黒いドレスをみた>:黒いドレスは喪服に通じる。戦後の混乱の中で、探して見たが男性の消息すら分からない。逢うか男性の死亡が確認されるまでは、黒いドレスを脱がないというリルの気持ちが見える。<泣いていたのを見た>はその説明。<ひとりぼっちできた>:リルにも戦後を生きて行く上で選択肢があったはずだが、何もかも振り棄ててひたすら日本へ帰ってきた。彼に逢いたい一心で、という気持ちがよく表れている。以上三つの風の噂から、リルも自分を探しており、そのひたむきな心を感じたので、三番後半の、<望み捨てるなリル>と一方的な言い草ともとれるような言葉となるわけである。また、傲慢とも取られかねない<暗い運命は二人で分けて>も、ああそれほどひたむきなら、と納得してしまうのである。
 東条寿三郎の歌詞は難しい。「おさげと花と地蔵さんと」や「星屑の街」、「東京の椿姫」など特に難解だ。東条寿三郎の歌詞の特徴は、感覚的な言葉を歌全体の中にパラパラとバラ撒いて置いて、あとで全体を歌い終わってからその情景が髣髴としてくる、というもので、ここに初めから帰納的に積み重ねて理解しようとしても到底無理。演繹的思考で感覚的にポンと理解しなければならない。<両手を回して 帰ろう揺れながら 涙の中をたった一人で やさしかった夢に逸(はぐ)れず 瞼を閉じて帰ろうまだ遠い 赤いともしび>とか<指を丸めて覗いたら 黙ってみんな泣いていた 日暮れの空のその向こう さようなら 呼べばどこかで さようなら おさげと花と地蔵さんと>とか、演繹的理解をしなければ分らないものばかりだ。とはいいながら、東条寿三郎が「上海帰りのリル」を作詞するにあたり、昭和9年にディック・ミネ、唄川幸子、江戸川蘭子などなどが歌い各社競作となっでヒットした「上海リル」
(注:9)が頭になかった筈はなく、この「上海帰りのリル」は「上海リル」の後日談といえ、「上海リル」の存在が当然のこととして背景になければ、<何のこっちゃい?>となりかねない。
 また、小林旭の歌う「昔の名前で出ています」も、作詞の星野哲郎の頭の中にこの「上海帰りのリル」が無かった筈はなく、男女逆バージョンの歌が出来上がったと言える。


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