昭和32年(1957年)
JASRAC No.055-0123-7
東京のバスガール
作詞:丘 灯至夫
作曲:上原げんと
歌唱:初代コロムビア・ローズ(曲リスト)
制作:滝野細道

(一)
若い希望も 恋もある
ビルの街から 山の手へ
紺の制服 身に着けて
私は東京の バスガール
「発車 オーライ」
明るく明るく 走るのよ
 
 (三)
 酔ったお客の 意地悪さ
 いやな言葉で どなられて
 ホロリ落とした ひとしずく
 それでも東京の バスガール
 「発車 オーライ」
 明るく明るく 走るのよ

 
(二)
昨日心に とめた方
今日はきれいな 人つれて
夢ははかなく 破れても
くじけちゃいけない バスガール
「発車 オーライ」
明るく明るく 走るのよ
 
 童謡・唱歌・懐メロ 八洲秀章&抒情歌 昭和戦前の流行歌・新民謡 昭和戦後の歌謡曲・演歌
 
*2008/NOV/26

昭和32年ころのバスガールといえば、定時路線の女性車掌のことでした。白い開襟シャツに紺の制服、紺色の帽子に身を固め、大きな黒い蝦蟇口様のバッグを胸にぶら下げて、舗装もよくないガタガタ道を左右に揺さぶられながら、超人的な技で乗客の切符をパチンパチンと切り、客の乗降の安全を確認し、<発車オーライ>の合図をするという、誠に八面六臂の活躍でした。今では許される役務ではありません。しかし、バスガールはこの時代の女性の職業としてはあこがれの的でした。観光バスのバスガイドやスチュワーデスなどが人気となるのはもう少し後のことです。特にスチュワーデスの人気があまりなかったのは、求人が少なく通常の対象外だったのと、まだ戦争の記憶も薄れないうちに昭和27年日航<木星号>が三原山に激突し多数の人命が失われたことが原因していたのでしょう。
この「東京のバスガール」は東京だけに洗練されたバスガールを思わせますが、同時期に中村メイコが歌った「田舎のバス」(三木鶏郎作詞作曲)という歌がありました。 ♪田舎のバスはオンボロ車 タイヤはツギだらけ窓は閉まらない それでもお客さん我慢をしてるよ それは私が美人だから 田舎のバスはオンボロ車 デコボコ道をガタゴト走る♪ この歌は、当時の田舎のバスガールの実態をコミカルに表しています。
田舎のバス
初代コロムビア・ローズの曲
曲  名 作  詞 作  曲 歌 い 出 し
娘十九はまだ純情よ 西条八十 上原げんと 肩にやさしく手をかけて きみはささやく イエスかノーか
哀愁日記 西条八十 万城目正 山の一夜のゆきずりの 愛の言葉を忘れかね
渡り鳥いつ帰る 石本美由起 上原げんと 別れちゃ嫌だと泣いたとて 花でもつんで捨てるよに
かりそめの唇 西条八十 万城目正 女ごころのしずかな湖に 誰か小石を投げたのよ
旅路の花 西沢爽 八洲秀章 呼んでみたとて旅行く人は 山のあなたの流れ雲
どうせひろった恋だもの 野村俊夫 船村徹 やっぱりあんたもおんなじ男 あたしはあたしで生きて行く
しあわせはどこに 西条八十 万城目正 街には楽しい人の波 空にはあかるいバラの雲
東京のバスガール 丘灯至夫 上原げんと 若い希望も恋もある ビルの街から山の手へ

     【デコボコ道をガタゴト走る】