(2)ズルこいて松見の滝 2003年9月20日 |
1.遥けくも来つる十和田や松見滝
今日はこの旅のメインである松見の滝に行く。百選の滝であるからというだけでなく、滝まで徒歩9km強片道3時間、熊出没、八甲田山とくれば看過するわけにもいかない。が、しかし、横浜くんだりから出掛けて行くには、何としても大物である。従って、今回の東北滝巡りは、先ず蔦温泉か十和田湖温泉に泊まって、朝6時半には黄瀬バス停から出発し、午後1時半までには帰ってこようというところから、旅の骨格造りが始まったのである。この行程に、他の滝をくっつけていったわけだが、午後1時半に黄瀬バス停に帰ってきたのでは、奥入瀬の滝や弥勒の滝は別として、暗門の滝やくろくまの滝に着く頃には夕暮れとなってしまい、熊は怖いし、写真も撮れなくなりそうだ。しかし、同じ滝に二度は行きたくない滝ヤラレとしては、もう一本別な滝に行けなくては蕁麻疹が起きそうである。さて、困った。どうする?
Yahoo!ではもちろん<松見の滝>で検索した。<蔦温泉>でも検索した。十和田湖町、八甲田山、奥入瀬でも検索した。黄瀬バス停から少しでも奥まで行ける方法は無いだろうか、と調べて見たがなかなか見付からなかった。そんなある日、所在なげにヤフーに<松見の滝>と入れて、先頭のHPをクリックして、何気なく見ていて驚いた。何とそこには、蔦沼林道というのを使えば、半分の片道1時間半で滝に行けると書いてあるではないか。おまけに林道の地図や写真まで載っているのだ。シメタ!これなら10時半頃には次の滝に出発できる勘定だ。それにしても先頭のHPとはねえ。「いちさんまるの山行記録」というのがトップページの片隅に書いてあったが、それがHP名らしかった。天の助けとはまさにこのことであろうか・・・
朝、6時丁度に蔦温泉を出発した。R102を蔦温泉から奥入瀬方面に600mほど戻ると、右手に丸い道路標識のようなものと<徐行>の標識、<蔦沼林道>と記した棒杭道標がある。丸い道路標識には上に蔦沼林道、下方に通行止と書いてあるが、かなり立派な林道なので失礼して右折しどんどん行かせていただく。
途中林道は狭くなり分かれ道があるが、おおむね轍のハッキリした方を辿るとよい。林道入口より1.5kmほど行くと十字路があり轍の多い方へ左折する。さらに600mほどでY字路があり右折する。以後、通行が多いと思われる方の道を4〜5km行くと、丸と四角の標識のあるY字路に至る。四角い方に消えかかった字でかすかに「湧口沢林道」と読める。右の方がメインと見え、左の方は二本の轍の真中に草がぼうぼうと盛り上がったような、ボデイを擦りそうな道であるが、ボデイを草に擦られながら我慢して左を行くと、ちょっとした広場=駐車場に着く。巡視道の終点である。その駐車場は、黄瀬バス停から来た林道と標高が同じレベルにあり、ただその間に谷が一つあるというだけである。つまり、駐車場をでて遊歩道を谷底まで降り、また反対側を黄瀬川林道に上って行くことになる。途中こちらの駐車場側を下って行くとき、右カーブの突端が崖状となっているので覗いて見ると、丸太を埋め込んだ階段状になっているところがあるが、その階段は下ってはいけない。右にカーブし暫く下って行くと、谷底のかなり立派な橋に出る。橋を渡ると左手に取り水のタンク様のものがあり、その背後の左斜め上の方に遊歩道が続いているので左上に上って行くと、途中道が途切れたかと思わせるところもあるが、駐車場を出てから30〜35分ほどで、黄瀬川林道に合流する。この地点は、潟Rバヤシのゲートの50mほど手前である。ここは黄瀬バス停から歩いて来たら2時間の地点で、ここから「松見の滝入口」の標識のある杉林まで35分、滝への遊歩道を辿って25分で滝に着く。
滝は二段になっており、滝口に名前の由来となったか、松の木が滝壷を覗き込んでいるように見える。手前はかなり広い河原となって滝壷まで続き、右手は相当高い部分までガレ場が威圧するように聳えていた。このガレを途中まで登れば、また違った松見の滝が撮れるはずであるが、到底無理と見えた。周りのスケールが大きいため、滝は写真ではそのスケールを表せないのではないかと心配したが、帰宅してプリントして見たら心配が正に的中していた。が、肉眼で見た松見の滝は十分に雄大で巨瀑であった。肉眼という三次元の光景と写真という二次元の光景の相違であろうか。
帰路は、コバヤシ・ゲートを過ぎた直ぐの分岐点を間違えなければ、迷うようなところはない。往路の駐車場からの下り道は、「こりゃあ、帰りがキツイぞ」と言っていた急坂だったが、何と言うことなく、「もう着いたか?」という感じだった。高低差は150mくらいだったのであろう。
駐車場は草っぱ同然で駐車場というのもおこがましいが、蔦沼林道は、色々な林道を経験している者としては、中の上であると言える(湧口沢林道分岐点から駐車場までの草ボウボウの道は別だが)。ずっとダートではあるものの、穴ぼこはあまり大きなものはないし、轍の跡もハッキリしていて分岐は沢山あるのに迷わない。道の幅員は、バックして擦れ違い場所をさがさなくても、ちょっとお互いに路肩に寄せれば通過できるほどである。にもかかわらず、国土地理院2万5千分の1の地図にはその表記が全くない。黄瀬バス停からの黄瀬川沿いの林道よりは明らかに広くて良い道なのに、どうしたことなのだろうか?道路標識の古さからいって、新道だから掲載されていない、とは到底思えない。誰か隠然たる勢力を持った人物がいて、松見の滝には楽して行かせるものかと思った、とも到底思えない。私道だから載せない、とも到底思えない。天の声。「載ってない林道なんて五万とあるさ!」
[所要時間は以下のとおり]:
蔦沼林道終点の駐車場着6:50→駐車場発7:15→黄瀬川沿い林道出合(私有地入口)7:50→松見の滝入口標識(杉林)着8:25→滝着8:50→滝発9:25→林道駐車場帰着10:50→発11:00
2.優柔不断な男は何を考える
駐車場を出たのは11:00と、最初の予定より30分遅れていた。この30分が後の行程を左右することとなるが・・・。来る時は滝に向かって勇躍、ボデイを擦るのもものかは、ぐんぐん来たものだが、帰路、轍跡の落ち込んだ、中央の草ぼうぼうと盛り上がったみちを、車のボデイを擦りながら帰るのは誠に憂鬱だ。時々盛り上がった中央の草に隠れて石ころがあるので、芭蕉号がガリガリと悲鳴をあげる。
「ごめんよ。もうすぐだかんね」
芭蕉号を宥めながら湧口沢林道分岐点への中間点辺りまで来た時、対向車が現れた。農作業用の軽トラックと見た。後にも先にも擦れ違いの余地は全く無い。私が先ほどの駐車場までバックするか、先方が湧口沢林道分岐点までバックするか、二つに一つである。私は車内で手を振り回して、大声で怒鳴っているように口を大袈裟にパクパクさせてみた。一向にさがる気配も無い。頑固そうな顔に見えた。
「ンナロー、何てえヤローだ!」
「ちょっとお、通行止めのところをこっちが通してもらってるのよ」
それに、中間点とは言ったけれど、こっちのバックの方がかなり短かそうであり、先方はそれを熟知しているようだ。どうも、歩が悪い。それと、常日頃は「擦れ違いには絶対好い子になっちゃ駄目よ。あなたヘタだから好い子になってバックしたら谷底よ」と言っている連れ合いが、アンタがバックしたほうが好いようなことを言うから、ソロリソロリと殊更ゆっくりバックすることにした。何しろ脱輪の前科が何度かあるもんで、それにデフやエギゾーストパイプを擦りそうだという問題もあった。やっと擦れ違いできる駐車場手前の広っぱまで戻って来たが、先方もイライラしているようだし、当方も先ほど怒り心頭という仕草を見せてしまったので、相手との応接をどうしたものか。相手は車をサッと脇に乗り付けて、出て来たぞ。
「あっ、見て見て、珍しいキノコがあるわよ」
「ほほう、何だろうな、茶色の卵みたいだな」キノコではあるが、朽ち木に並んでナメタケやクリタケのように栗色にてらてらと光ってでかい。カメラを持ち出そうとすると、車から降りてきたオッサンが(何時も言うようだけど私もマギレモないオッサンだ)、
「そりゃあ、食べられんべ、ツキヨタケっちゅう猛毒キノコだあ」
「ツキヨタケ、ですか?」
「うん、シイタケに似とるけんどもよ、イチコロだあ」
「美味そうに見えますけどね」
「横浜からかね?」「松見の滝へ?」
とか、話が弾んで、和んだ。
連れ合いの咄嗟の機転に救われたのであった。こんな山奥で、山の男を相手にケンカにならなくてよかった。が、ここでまた30分ほど余分に掛かってしまった。
蔦沼林道をR103に出て蔦温泉を掠め、八甲田山の南麓を弘前に向かった。R103は、吉村昭著「八甲田山死の彷徨」の中で、雪中行軍から全員が帰還した弘前連隊が辿った道であると思われる。寒中装備万全で出発した弘前連隊と、精神一統何事かならざらんと精神主義の軽装備で出発した青森連隊が、酷寒の八甲田山で遭遇した明暗は、とっ、と、ととと・・・また脱線しそう・・・ただ、一昨年の5月連休の時にこの道を通ったが、まだ一部道の両側が雪の壁であったので、映画「八甲田山」のシーンが浮かんで来たのも事実である。(「細道の奥の細道3」参照)
林道駐車場を出たのが予定より30分遅れ、擦れ違い不可能事件で2〜30分遅れ、都合小一時間遅れとなったのが、本日の行程をキツクさせ、決断を迫られることとなった。生来、優柔不断を絵に描いたような男なので、決断は一番嫌いなことである。こういう男でも、決断しなくてはならない局面には決断をするが、大抵は物事の展開が裏目と出てしまうことが多い。しかし、こういう男の決断でも心待ちにしている人物もいて、現に、芭蕉号の助手席でアンパンなど齧ってCCレモンなんぞ飲んでいるオナゴは、自分のこれからの行き先についていささかの不安も感じていないようである。「いくら優柔不断でもあなた男でしょ」という具合だが、誰が決断は男と決めたんだ?!
「どっかいいとこないか?何処行きたい?」
「どうせもう決めてんでしょ?」
「決まっとらんから言っとるんじゃあないか。言ってみろよ」
「そんなに言うんなら○○に行きたい」
この<○○>ってやつが、滝ヤラレにとってはとんでもないところで、「何〜にを言っとるかー!」と、迷いもこっちの行きたいところもポロッと決まってしまう。思うにこれは、嫌でも応でも決断させてしまう敵の作戦で、崖の縁に立った男に向かって、「や〜い跳べないだろう、臆病者〜〜〜っ!!」と囃したて「なにっ?!跳ベないことがあるか!」と決断をさせてしまう手なのであろう。
3.何故かくろくまの滝を
今回の場合の決断は、最初の計画:駐車場発10:30→ 暗門の滝駐車場着12:30→ 暗門第一の滝着13:30→ 暗門第一の滝発14:00→ 暗門の滝駐車場発15:00→ くろくまの滝16:00近辺着、というものであったが駐車場発11:30となると、くろくまの滝17:00近辺着となってしまうので、秋の日は釣瓶落とし、結局どっちを割愛するかというものである。二日後に暗門三滝を訪問して、着いてから行って来るまで1時間50分を要しただけだったので、最初の計画より40分ほど浮き、あるいは暗門の滝後にくろくまの滝に行っても間に合ったかも知れない。しかし、その時はそんなことは分からないから、どちらかを割愛する以外にないだろうと思い込んだ。運転しながら、さてどっちだ?どうする?
くろくまの滝は百選の滝である。行かずばなるまい。が、如何せん離れている。岩手や秋田などからだと一日掛かりとなってしまうから、八甲田に居る今がチャンスとも言える。もう来られない可能性もある。一方、暗門の滝は百選の滝でこそないものの、三本揃っている上に白神山地の象徴みたいな滝である。これも、行かずばなるまい。しかし、2時間半も掛かると思っているから、今日行かないと改めて組み込むのも大変だ。
芭蕉号は決断を促すように快適な排気音を響かせながら、黒石を過ぎて決断地点弘前に向かってグングン近づいて行く・・・・・
多少大袈裟に書いてきたことは認めるが、実際にも優柔不断を誹る声と「そう言ってもオマエ」などという言葉が車中を飛び交ったが、実のところ、どうしてくろくまの滝の方に行くよう選択したのか未だに判然としないのだ。思い出せないのである。気が付いたら岩木山麓をグルリと回る県道3号線の方に出ていたとしか言い様がない。暗門の滝のある西目屋村方面に行くには県道26号線を行くわけだが、県道3号線と県道26号線は弘前城を起点に、暫く並行に走り、それから鰺ヶ沢と西目屋方面に分かれて行くようになっている。両道の分岐点探しは、かつて、モーナビ(モノホンのナビゲーターの略)として名を馳せた連れ合いに任せたが、アーデモナイコーデモナイと言っているうちに県道3号線の方に出てしまったらしい。以前に福島で、私は真っ直ぐに進もうと思っているのに、愛車芭蕉号が右へ右へと曲がってしまった事件があったが・・・「俺は曽良かあ?!其角かあ?!」
真相の真相は、第一に、二年程前に桜を求めてこの弘前に来たことがあり、そのときは季節柄、弘前城の周囲は超過密状態で、駐車場を探してあっちこっちと彷徨った思い出があって、「あっ、あそこで頼んで入れてもらった」とか「こっちから来てあの角を曲がったんだ」とか「全〜〜ん然人がおらんね」などと言っているうちに気が付いたら、というのが一つ、次に潜在意識、っていうほど大袈裟ではないが、なんとなくくろくまの滝の方でいいんではないか、というのがあったというのが一つ。もっと自己心理分析をすると、・・・・・いや、やっぱり二日後に予定外の暗門の滝訪問を敢行しているので、このとき暗門の滝の方に行ったとしても、二日後にはくろくまの滝に来たと思うが、どうだろうか?ごちゃごちゃごちゃうんぬんうんぬん云々云々○△□×・・・
記述も未練な男である。
そんな訳で、暗門橋から赤石橋まで白神山地の中心を抜く林道はとおらずじまいだったが、県道3号線の方は快適な道が続いていた。一旦鰺ヶ沢の港まで出て、R101を海岸沿いにちょっと横走りして、また赤石川沿いに白神山地の方に回りこんでくるルートだが、暗門→くろくま間より、時間的には早かったのではないかと思われる。ただ途中で一箇所T字路があり、左折もいい道が続いているところがあった。有料道路津軽岩木スカイラインの少し手前である。
「おい!どっちに曲がりやーいいんだ?」
かつてのモーナビに突然問い詰めた。
「ゲホッ、ゴホッ、アワアワアワ・・・そんなに突然言ってもワカンナイ」
「ワカンナイことがあるか。ナビゲーターだろ?何のために乗っとるんだ?」
「ゴホッ、ゴッツホン、それはアナタが、車間は取らないし、後ろから煽るし、スピードは出し過ぎるし、監視するために決まってるじゃない!」
最初の擬音は、安心しきってボーッとしてCCレモンなんかを飲んでいた連れ合いが、突然答えようとして噎せた音である。
「何が監視だ。オラ安全運転じゃわい!」と言ってはみたものの、次のような事情でだんだんと雲行きが怪しくなって来たので、ここはダンマリを決め込むことにした。
私の愛車「芭蕉号」は忠実な足とはなってくれるが、とにかく気が荒いところがあって困る。直ぐスピードは出したがるし、前方に車が見えると何でも追い付きたがるのである。芭蕉号の戸籍上の名前は「ホンダインスパイアー 2500」というのだが、そのスタイルがまた誤解を招き易い。低ボデイ、横張り出し気味で黒のタキシードを着用、目ン玉ギラギラ。同車種のインスパイアーが後ろから接近してくると、私でも直ぐに道を譲りたくなるようなスタイルなのだ。
4.夕陽の能代海岸
「やーい、また譲られたッ!」
先方の車が道を譲ってくれるたびに連れ合いが囃したてる。<また譲られたッ>という言の葉のレトリックは、<そんなに後ろにくっ付いて煽るな>の裏返しである。確かに芭蕉号は直ぐ後ろに追い付きたがるが、私も芭蕉号も、別に道なんぞ譲って欲しいなんて思わない。ただ外見がいけないのである。暴走族に見えてしまうのである。もし、おじんが運転しているのだと分かったら、誰も道なぞ譲ってくれまい。
この「やーい、○○だ!」ってやつは、連れ合いが私にやる気をなくさせる常套手段としてよく使用する。
「やーい、バトルだ、バトルだ、バトルだあ!」
ある日会社から帰ると、玄関に出た連れ合いが囃し立てるので、「な、何だ、何だ?」と聞いてみると、私の掲示板に私なら必ずプッチ〜〜ン、カチ〜〜〜ンとくるようなことが書き込まれていると言う。これはもう、喧嘩が始まるに違いない、というわけである。見てみるとたしかにブチ切れそうなことが書いてある。「ねっ、バトルだ、バトルだ、バトルだ」パソコンを見る私の周りを、手をヒラヒラさせながら煽りたてる。それを見ているうちに、笑い出してしまって、怒る気も失せてしまった。こうして、段々とパブロフの犬と化して、「や〜い・・・」といわれると、気をつけなくっちゃな、と思う細道であった。
というわけで、どういうわけか知らないが、その道は赤石川沿いの道にショートカットして出られる一ツ森方面への連絡道であったことが、後ほど判明した。後の祭りである。
くろくまの滝には14:00少し前に着いた。鰺ヶ沢の街からくろくまの滝までは標識もハッキリしており、何の問題もなかった。ただ、問題があったのは、くろくまの滝の奥のほうへ遊歩道を進むと、更に見事な滝が二本もあることを私が知らなかったことだ。暗門の滝とくろくまの滝の両方へ行くのは無理、というだけで、片方だったら十分に時間があったのである。金木の藤の滝、不動滝、七ツ滝など津軽半島に滝はあるにはあるが、横浜からもう一度この地方に足を延ばすことがあるだろうか?この私が太宰治にかぶれるようなことがあるだろうか?しかし、このため、暮れなずむ能代海岸でオマケをゲットできたのだが・・・・・
くろくまの滝は、しかし、これぞ<分岐瀑>の典型といった佳滝である。<分岐瀑>という分類は、日本の滝百選の選定にも力を貸した「滝ゆけば」の永瀬嘉平氏であるが、同氏の提唱する<直瀑><段瀑><分岐瀑><潜流瀑>の分類は大雑把過ぎて、滝の姿が彷彿としない。滝の分類は矢張りそれによって姿を実際に見なくとも、その形状が彷彿として脳裏に浮かび上がってくるようなものが理想であると思う。果たしてそんな方法があるかと問われれば、う〜ん、と疑問を持たざるを得ないが、永瀬分類よりはイメージ付けをすることはできると思う。先ず@永瀬分類には滝の大小がない。「滝の大小なんて関係ないべ。小さくたって良い滝は一杯あるぞ」なんぞという論は、それはそうかも知れないがまた別次元の話である。イメージを思い浮かべるのに滝の大小は不可欠の要素である。つぎに、A滝が本流に幅広く落ちているのか支流の懸崖から落ちているのかの区別がない。「場所なんてどうでもいいじゃん。説明を付ければえかっぺ」なんぞという論は、それはそうかも知れないがそれでは最初から分類論が成り立たない。更に、B滝は様々な形状であるのに分類の複合的組み合わせがない。そもそも、永瀬分類にスッキリ該当する滝は少ない。例えば、くろくまの滝は永瀬分類では間違いなく<分岐瀑>であるが、上部の滝口下は見事な段となっているし、滑状の岩肌を前面細流となって落ちてくる様は、七ツ滝などと同じ<分岐瀑>というカテゴリーに入る滝とは思われない。以上が根本的欠陥であるが、ここは滝分類の場ではないので、分類論はこの辺にして、くろくまの滝を、細道流に分類つけして見よう。
くろくまの滝=懸崖巨大多細流全面分流上部段瀑
なんてのはどうかな?ちよっと複雑にすぎるかな?不動産表示広告みたいかな?
くろくまの滝を15:00に出て、赤石川に沿うように遡って白神山地に入り、赤石橋で日本海方面に向かったが、海岸の岩崎村に出るまでに1時間半ほど掛かり、夕陽は既に赤味を帯びていた。西が海だから、海岸の奥の山並みは夕陽に映えてまだ明るく、これなら、八森町の白瀑や不動滝をゴッツアン訪問できるかな、と思った。しかし、午後も4時半を過ぎると、<秋の日は釣瓶落とし>の諺どおり、走るうちに急に陽が薄くなってきて、西の空は血が滲んだような按配となってきた。写真になりそうな光景である。ここは一番<Hosomichi's
Photo
Gallery>の<夕陽編>に一枚加えるべきか、滝ヤラレの矜持に従って不動滝か白滝か決めて滝に行くべきか、また優柔不断男に決断の時が来た。今回はさすがに愚図愚図している時間はない。さすがの滝ヤラレが清水の舞台から飛び降りる積りで(古いなあ、大袈裟だなあ)滝を放棄して、夕焼けを撮ってやろうと方向転換したのであった。
しかし、R101を南下すれども進めども、撮影ポイントはおろか海岸に出る道すら見付からないのである。すでに白滝や不動滝に通じる道はとおり過ぎて、日本の穀倉地帯庄内平野が視野一杯に広がってきて、着々と能代市に近づいている。決断はしたものの、優柔不断の性格が無くなったわけではないので、焦りと、滝に行ったほうが良かったんじゃないか、という後悔に似た思いがないまぜとなって、私を責めつける。傍らでは「ほら、夕陽が綺麗よ〜」などとノーテンキなことを仰っているオナゴがいる。ないないない、道がな〜〜い!と我慢が限界に来た頃、右手に普通の民家に入っていくような道があった。ええい最早これまで、とその車が通れるか通れないか分からないような細い道を強引に右折した。すると、神のお助けか仏の計らいか、細道(私のことではない)は家を迂回して海岸の方に続いているではないか!!シメタとばかり砂利を跳ね上げ砂を巻いて海岸に乗り入れて撮ったのが、この<残照―能代海岸><夕陽に薄穂>であ〜〜る。
これで良かったかどうかは、仕上げのプリントに掛かっている。複雑な思いを抱きながら、薄暮に沈む能代市に下って行った。明日も晴れだろう。
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