細道の奥の細道4-4      |1|4|


(4)白神山地と民話の郷・遠野  2003年9月22日〜23日

1.暗門に戻る
 あらかじめ、盛岡のホテルに予約を取っておいたのは、まさか、暗門の滝かくろくまの滝かどちらかが残ってしまう事態など、夢にも思わなかったからである。最終日なので盛岡から南下して、遠野に寄ったり、鳥越の滝や宮城の行者滝、できたら大空の滝辺りを見られれば、今回の北東北紀行は大成功と思っていた。それを盛岡から3時間もかけて、今回残った暗門の滝まで戻るとなれば、昨日の内に弘前辺りに戻っていた方が、機動性に富み、時間も節約できるのが道理だ。このへんのところが甘い計画というか、欲張りすぎというか、余裕がないというか、主として優柔不断ってやつに起因するのだろう。決断の早い人なら、チャッと盛岡の宿はうまくキャンセルして、チャッと弘前近辺に戻り、巧みに宿を確保してしまったに相違ない
 例によって当日の行き先を聞かされていない連れ合いは、暗門の滝に行くと言われて頭の上に<?>マークが5個ほど出て戸惑ったらしかったが、やっとおとといの迷った末の片割れの滝と気が付いた。
「えーっ、ここは盛岡なのよ!暗門の滝って、青森県の西の外れだったでしょ!あんなとこまで戻るのお?」
 <細道の奥の細道1>でもご覧頂いたかも知れないが、遠野は彼女にとって特別な思い入れのある、是非とも訪れたい地なのである。しかし、私が以前遠野を訪れたことは知っているので、一回でも訪れた地について、同じ滝には二度は行かないこの滝馬鹿が何を企み、何をするか分からない不安に駆られた。暗門の滝ともなると、いつ遠野なんかや〜〜めたと言い出すか分からないのである。これから行けるとルンルン気分でいた遠野が遠野いて行くのを感じてか、声も悲痛な色合いを帯びた。能代からでも、横浜までの四分の一は戻ってきたと言うのに、何をまた・・・
「もう、暗門の滝までは来られんかも知らんし、遠野には今日中にずえったい行くから」
「でも、智恵の滝とか言ってたじゃあない。途中にあるんでしょ?きっと寄りたくなっちゃうと思うわ」
 猜疑に満ちた目で、ひとの心を見透かしたようなことを言う。実はそれも考えないではなかったので一瞬ドキッとし、慌てて宥めにかかった。
「智恵の滝い?あ、あれはそんなに簡単に、ついでに行けるようなヤツでないだす」
と、突然東北弁に。
「ふ〜〜〜〜〜ん、そうなの?絶対に行かない?」
「行かんと言ったら行かん!」
 と、きっぱりと約束を・・・させられてしまった。しかし、こういった会話を交わしつつも、芭蕉号はどんどん盛岡ICに入って北の方角に向かっているのだから、彼女にとっても最早詮方なきことではある。しかもこの滝馬鹿、智恵の滝の割愛を承知させられた代わりに、あわよくば鳥越の滝を、と密かに考えているのだから・・・このスケベ根性の果てに因果応報、後々酷い目に遭うことになる。
 大鰐・弘前ICを出てアップルロードと言うやつを行くと、お岩木やまがデンと聳え、津軽平野を睥睨している。弘前、黒石、五所川原、鯵ヶ沢など各地から見える岩木山は、孤高で気高く見える富士山と違って、地元の親しみ易いシンボルであることが良く分かる。一昨日もこの岩木山の裾野を回って鰺ヶ沢へ抜けたはずだが、その時は気が付いたら県道3号線に出ておったような具合だったので、トンと記憶がない。お岩木やまをジックリ眺める余裕などなかったのであろうが、この山の記憶を胸に秘めて上京した人たちにとっては、耐えがたいほどの郷愁を呼ぶ山に相違ない。津島修治こと太宰治も岩木山への望郷の思いに駆られながら<人間失格>や<斜陽><虚構の彷徨>を著したのだろう、というのは穿ちすぎかな?金木と太宰のことを考えていると、藤の滝ってやつが脳裏に彷彿として浮かんで来た。ちっ、桑原桑原。
 暗門の滝のある暗門大橋までは比較的良い道が続いており、周囲も結構開けていて、白神山地に入ったなと思ったのは、橋に至る寸前の数キロの間である。津軽平野の西端とそれを取り巻くL字型の白神山地のヘソの部分に当たるのだろう。
 白神山地は、当紀行の3でも触れたが、広義では青森県側は鯵ヶ沢町南部から岩崎村東部、西目屋村西南部の一帯で、秋田県は八森町、能代市、藤里町、田代町、大館市のいずれも北部地域に囲まれる130,000haに及ぶ広大な山塊だ。しかし、世界遺産に指定された狭義の白神山地は、青森県西目屋村の暗門渓谷から西、同鯵ヶ沢町の南端赤石川源流域と奥入瀬ならぬ追良瀬川流域、同岩崎村の白神岳より東の部分、秋田県八森町の北東部分に囲まれた、広義の白神山地の約八分の一の区域、16,971haがそれである。ここは原生的なブナ林が延々と続いており、動植物とくにクマゲラの宝庫であり、滝も有名無名合わせて数知れず、というところである。一昨日は、くろくまの滝から能代市への道すがら、まさにこの世界遺産の北端に沿って行ったことになる。
 当紀行3では秋田県側の青秋スーパー林道藤里町ルートを紹介したが、青森県側のルートはこの世界遺産地域のど真ん中、秋田県境の赤石川源流域から赤石川に沿って貫くものに変更されたため、反対の火の手が燎原を行くがごとくに広がったのである。秋田県側は林道建設賛成だったので、最初の藤里町ルートでもどこでもいいことになるが、現在秋田県側ルートは無いことになっている。
 そんな中で、暗門の滝は、昨日巡った大柄滝、峨瓏の滝などとは白神山地を挟んで丁度反対側に位置することになる。連れ合いが怒るはずだわ。盛岡から往復で6時間掛かるのだから・・・

2.白神銀座
 暗門大橋の手前を左折すると、直ぐのところに道の両側に停められる結構な駐車場があり、立派なトイレもあった。身支度を済ませ、さて出発、と思った時、ドーンと違和感が襲ってきた。あれ?前方にまだ道が続いているじゃあないか!通行止めの標識があるわけでもないし、道が消え入るほど細くなっているわけでもない。むしろ擦れ違い可能な道が上の方に20mほど上って、上段に消えているばかりだ。七折の滝でもそうだったが、私たちは車で行けるところであれば、どこでも寸前までは行きたい(それでワナに嵌りこむことも多々あるが)と思っている。こんな広い道をトコトコ歩いて行くなんざあ、蕁麻疹が出来ちまわあ。で、戻って、トレッキングシューズを履いたまま車を奥へ・・・
 結果は、坂を登りきると、200mほど前方に広大な駐車場が見えた。たかが200mかと言うなかれ。200mを歩かなくって済んだという満足感は、そのときの何物にも替え難いものだった。
 駐車場の暗門の滝方面の出口に、人だかりがしている。こういうのを見過ごしては行けないタチなので、一行の一員であるような顔をして後ろから覗き込んだ。輪の中では、テニスキャップみたいなものを被ったオジサン(何度も言うようだけど私もまごうかたなきオジサン)が野草を手にして説明をしている。もしかしたら、スゴ〜ク偉い教授かなんかなのかも。聞いているメンバーは、いわゆる老若男女。ゴッチャゴチャ。こんな集団に先を行かれて、その都度、青空教室でも開かれた日には、この白神銀座、何時滝に着くかわからなくなる。先行するにしかず、と、アタフタと出発した。この辺から我々は運命の糸に操られていたと思って頂きたい・・・
 暗門の滝は、第一ノ滝第二ノ滝第三ノ滝の三滝の総称で、一番先に現れるのが第三ノ滝である。それぞれが独立した立派な滝だ。時間は駐車場→30分→三ノ滝→10分→二ノ滝→15分→一ノ滝で約1時間ということになっていたが、懸命に歩いて、とにかく一ノ滝に先について、そこから下ってくれば先ほどの大集団はなんとかなるだろう、という魂胆である。暗門川沿いに遊歩道は完備しているが、このように(暗門峡の風景)何分にもすれ違い困難なほど狭く、先ほどの大集団のみならず、老人クラブの団体にでも遭おうものなら避けられるところで待って待って待って待ちつづけることとなる。懸命に歩いたら35分で一ノ滝に到着することができた。
 できた、はいいけれど、時間が時間なので一ノ滝直前の岩場には人が重なって、シャッターチャンスがなかなか訪れない。一団が引き上げると他のカップルが座を占める。これは滝に付帯する被写体としては、最も好ましくないものと信じているのに、互いにVサインなんぞ出し合ってキャッキャッといいながら写真を撮り合っている。イライラと我慢も限界を越えようとした時、突然岩場が空いた。しめたってんでNF5のシャッターを押す。ん?シャッターが動かん!なんだ何だなんだ、どうしたんだ?どうしたんだ〜〜〜〜〜っ!クソッ、何で動かんのじゃ〜〜〜!シャッターが動かなければF5であろうとコンタックスであろうとただのゴクツブシの箱に過ぎない。ええい、とデジカメをバッグから取り出したら、これが時既に遅し。家族連れが被写界に入っておった!
 遂にキレましたな、私は。しかし、コンノヤロー、どけ!という訳にもいかない。自分だって、良い撮影ポジションを占めようと思うあまりに吾を忘れて、他人様にご迷惑をお掛けするのも多々あるに相違ない。現に連れ合いの、後ろで見ていてハラハラしどうしのことがあるとの証言もある。なんじょう溜まろうアブク銭。
 当り散らすはけ口が無いので喚く代わりに、キレが内に篭って、物凄く不機嫌となって、口も利かなくなった、とは連れ合いの印象。一ノ滝で人物を入れない全景を撮るのは諦めて、脱兎の如く例の滝壷前の岩場に身体中から怒りをプンプン発散させながら近寄り、これ見よがしにブチブチとシャッターを切って一ノ滝を撮影し、とっとと二ノ滝の方に下ってきてしまった。一ノ滝の滝壷の奥まで行っていた連れ合いは、亭主の姿が突然消えてしまったので、慌てて二ノ滝の方に降りてきた。事情はまだ知らない。
「どうしたの?突然消えちゃって!」
「・・・・・・」
「何かあったの?」
「・・・・・・」
「黙ってちゃあ、分からないじゃない」
「どきやがらねー」
「ワタシが?」
「オマエじゃないよ。あの岩の上の連中だ。おかげで全景が撮れねー」
「だってしょうがないじゃない。お休みなんだしい、大勢でやっぱり滝壷まで行きたいわよ。そんなことで怒ってたってしょうがないじゃない。馬鹿ねえ」
 確かにその通りである。その通りではあるが、平常心を失った私には通じない。その言葉にはよけいにキレた。滝馬鹿はいいけれど単なる馬鹿ねえはいけない。ホントに馬鹿だったから余計に・・・

3.ガラガラドボン
 で、以後はお互いに「・・・・・・・」となった。二ノ滝まで速攻で戻って来て、ブツブツ言いながら撮影し、往路では二ノ滝正面に虹が掛かっていたのに、復路ではすっかり消えてしまっていたことにまた腹を立て、三ノ滝滝壷の飛沫が日陰に入ってしまっていたことに、またまた腹を立て、そそくさと撮影をして、怒りにまみれてさっさと擦れ違いが容易なところまで戻ってきた。気が付くと先ほどまで後にいたはずの連れ合いの姿が見えない。野草に気を取られたりして遅くなることは良くあるが、途中は岩壁の道が多くあまり山野草のありそうなところではないから、さすがに心配になってきた。どっかで、<ゴン!>の再来でもあったんじゃあなかろうか?
 瞬間湯沸し器、癇癪56号と言われた私は、沸騰するのも早いが、冷めるのもこれまた早い。ちょっと辛く当たり過ぎたかな、と思って後悔して少し戻ってみようと思ったら、後方の岩陰から現れた。俯いて歩いている。さては、トットと先に来てしまったので、また、プッと膨れておるのかな?
「ん・・・・・どうした?」
「落ちて来た」
「落ちて来た?何が?」
「岩」
「えっ、おい、何だって?岩が落ちて来たあ?どこにだ?」
「ワタシの直ぐ後ろ。ガラガラって音がして上を見たら、このくらいの石と砂利が弾んで落ちてきて川にドボンと落ちたわ」
と、両手で円を描いて見せる。
「冗談じゃあないぜ、おい、ホントか?いつだ?」
「さっき、最後の滝を出て、暫くしたとこ」
「気が付かなかったなー」
「アナタ、どんどん行っちゃうんだもの。知らないはずよ。怖かったんだから」
 思いだしても恐ろしそうである。いやー、よかった。当たっとったら、イチコロのとこだった。一昨日の<ゴン!>どころの騒ぎではない。「当たらなくて良かった、良かった」をただアホーのように繰り返すばかりで、何時もの冗談を言う雰囲気では到底なかった。運命の展開、運命の糸というのはどこでどうなっているか分からない。今はこうして平気で旅行記などを書いているが、間一髪のところで悪い方に展開していたら、急に暗門の滝に行くと決めたことを身も世もあらず後悔し、滝巡りどころではなかったろう。こんな整備された遊歩道でまさか、とも思うが、情報によると、つい先ごろまで三ノ滝の先は通行止めだったそうで、相当荒れていることが考えられる。動転して、怒りなんぞどっかへ素っ飛んで行ってしまった。
 暗門の滝駐車場に戻って来ても、先ほどの落石が気になって、気分は弾まなかった。運が良かったのか悪かったのか。今でも「アナタがワタシを置いてトットと行っちゃうからあんなことになったのよ」と理屈にも何も合わないことを言って私を責めるが、急いだから落石に当たらずに済んだということも言えるわけで、そのう、つまりは、付いとったということだろう。
 え〜っと、ここで一つ恥を申さねばなりません。言及しておかなくては、皆さんも気持わるいことでしょう。あの、ゴクツブシの箱F5のことである。ゴクツブシ、ムダメシクイは、実は私の事だった。何年も写真をやっていながら、フィルムが切れているのに気が付かなかったのだ。フォトグラファーにあるまじき仕儀である。フイルムが切れてキレとったんじゃあ、シャレにもなんにもならない。理由は少しあって、総N化計画に起因しているところがある。C社のメンテナンス対応の悪さにブチ切れて、全部N社製に替えてやろうと思って、デジカメとF5を購入したのが一年前。これが使いなれたC社の一眼レフと違って、フィルムの装填から巻き取りまで、何から何まで全〜〜〜ん部違う。おまけに使う側が多少ともボケてきていて、C社製の機能と混同してしまうのである。一年間じゃ中々機能に使い勝手に精通できない。まあ、押さなければ開かないドアを必死に引っ張って、「開かねー、開かねー」と喚いているようなものである。ご想像のほど。
 暗門の滝の行程、所要時間は、大駐車場着10:15→一ノ滝着10:50→一ノ滝発11:05→二ノ滝→11:20→三ノ滝11:35→大駐車場12:00で、1時間45分で行ってこられた。予定では13:00大駐車場帰着だったので、1時間の余裕ができた。ここで出来た1時間の余裕が、またこの優柔不断男の心を揺することになるのである。
 私は岩手県というと、遠野もさることながら宮沢賢治の世界に強く引かれている。イーハトーヴやどんぐりと山猫、雨ニモマケズの心象風景である。滝巡りという大目的がなくて岩手県に来たとすれば、先ず第一目的はイギリス海岸であるのを、助手席でCCレモンなど飲んでいるオナゴは、この文章を読んで初めて知るのである。

4.鳥越の滝にリベンジ・・・さる
1時間が・・・・・鳥越の滝を・・・・・リベンジしたい・・・・・ブツブツ・・・・
「えっ?何か言った?」
「うん、あっ、いや、何も言わんよ」
 車は東北道青森線を岩手に向けて快適に走っていた。呟きも愚痴もタイヤの擦過音に消えがちである。
遠野は4時ごろ・・・・・いいんじゃあないか・・・・・宮沢賢治の小岩井農場が・・・・・岩手山の裾野・・・・・グチグチグチ
「何ブツブツいってんの?アナタ智恵の滝行きたいんでしょう?」
「いや、別に。智恵の滝に行くには時間が足りないよ。遠野に行けなくなっちゃう」
「ワタシはいいわよ」
 活字で書くといいように見えるが、口調の中には「行けるもんなら行って見なさいよ」がタップリ含まれているように聞こえる。それで弁解。
「智恵の滝は遠野に行かなくても無理だナ。今1時半だから、2時半に車を止められるとこに着いたとしても歩いて滝には3時半過ぎになるし、滝壷に下りる足元が大分危ういようだで止めといた方がいいよ。写真も撮れるかどうか、だ。ただ、1時間ほど早く暗門の滝に行ってこれたんで・・・・・つまり・・・・・そのう・・・」
「さっき、リベンジとか言ってなかった?」
「え、言ったかなー、そんなこと」
「おととしかなんかに来た時、道が崩れてて行けなかった滝のことでしょ?なんてったかしら・・・何とか温泉の先の」
「鳥越の滝」
「そう、その鳥越の滝。これから行かない?」
 一瞬「シメタ!」と思ったが、そこは冷静を装って言ってみる。
「う〜ん、しかしなあ、早くても遠野に着くのは4時過ぎになっちまうしなあ」ここで嬉々として行ってしまったんでは、また、何となく借りが出来たようなことになってしまうので、内心の喜びを押し隠して難色を示して見せた。「それに岩手山の南麓まで入るんだから、結構あるよ。道がまだ開通しとらんかも知れんし」
「遠野はあの辺りを少し走ってくれればいいし、少し遅くなったっていいじゃない。道なんてもう3年以上も前のことだし、行って見なきゃあ分からないでしょ。ちょっと行って見ない?」
 てへっ、うまく行ったゾ。乗ってきた、乗ってきた。
 実は、道の件は既に雫石町の商工観光課に問合せをして開通していたことは知っていたし、遠野は遠野盆地の景観と雰囲気に触れるのが重要であり、資料館を見る時間は十分にあることは分かっていたが、渋々言った。
「そんなに言うんなら行って見るか」キヒヒヒヒ・・・
 後で聞いたところでは、見たのは暗門の滝一つ、時間があって残るは遠野だけ、というのでは、亭主の頭の中にフラストレーションと怒りと怨念が残っては堪らない、と、そのときは思ったそうである。それを罠に掛けた結果はすぐに現れた。
 2000年の5月に来た時は、ただ何となくスムーズに、滝ノ上温泉に至る県道に出ることができた。そのためかあらぬか、珍しく滝へのルートを覚えていなかったのである。滝ヤラレの人は誰でもそうだと思うけれど、何年も前のどんな滝でも、大体のアプローチ、駐車場、遊歩道、滝直前の具合、滝の全景なんぞを克明に覚えているものだ。私も、滝紀行のうち、3年以上も経つのに、予告のみに留めて放りっ放しにしてあるものがある。今でも克明に記述できる自信があるからだが・・・この時の鳥越の滝は違っていた。
 青森方面から来たので、盛岡ICの一つ手前の滝沢ICから出た。これが間違いの第一歩。盛岡ICから出てR46を行き、小岩井農場道路に入れば何ということもなかったのである。それを滝沢ICから出て、道路地図を見てもらいながら、快適な道を鼻歌交じりに進んだのだが。もうけた、もうけた、という気持ちで気分はルンルン。岩手の空は青くて広いなあ!
 突然、快適な道が途切れた。いや、道は真っ直ぐ続いているのだが、通行止めのフェンスが横断していて、その向こうの道は、確かにあまり自動車の通っている気配が感じられない。今にして思えば、小岩井農場に入って行く、裏側の道だったのかもしれない。
 慌てて地図を見てみたが、そのようなところはなく、どの辺に居るのか現在地が分からなくなってしまった。
「さっき交差点があったわよ」

5.果て無き彷徨
 道は迷い始めたところまで戻るのが鉄則だ。しかしこの場合、滝沢ICからあまりにも道成りで来ているので、ICまで戻ってもこれは仕方が無い。で、少し戻って四つ角に着いたが、標識などはなく、とにかく真っ直ぐ前方は、さっき来た道であることははっきりしているので、右に行くか左に行くかであると決めた。左は好摩、だろうか?右は盛岡、だろうか?だとすると、後ろが小岩井農場方面だが道が無い。これは取り敢えず右に行って、暫くして、また右折するしかないだろう、さすれば、小岩井農場に行き着くに相違ない。これが第二の間違い。
 暫く進んだが、右折できる道が見当たらない。しかも進んでいる道が右へ左へとくねくね曲がっているので、最早、芭蕉号がどっちの方面に鼻面を向けて走っているのか、訳が分からなくなってきた。やっと右折できるところがあったので、やれ嬉やと曲がって見たら、直ぐ先が畑道と変じていた。戻って暫くするとかなり広い道に出会って、右が盛岡!だと。右が盛岡!?だとすると芭蕉号は東に向かって走っているのだろうか。それじゃあ、反対方向じゃないか!!これが第三の決定的な間違い。
 宮沢賢治の小説は、舞台の面による広がりを感じる。これは岩手県という風土が大いに影響しているものと思われる。つまり東西南北にどこまでも広がりを感じる<雨ニモマケズ>や<どんぐりと山猫>の世界である。その平面的でどちら方向にも果ての無いような風土の中をあても無く彷徨ったのである。岩手の芒立つ原野をグルグル回って、頭もグルグル回って、南部のゴン狐にでも化かされたのだろうか?
 小岩井牧場らしきところを何度か通った。時間が無い。R46号と思われるところにも出た。時間が無い。あ、さっき通ったぞというデジャヴューも経験した。時間が無い。ついに、先刻やれ嬉やと曲がったら畑道だったところに反対側から来たことを確認した時、焦りと怒りでキレた。本日二回目である。キキキキーッと急ブレーキで、止った。連れ合いはキャッと吃驚仰天して非難の目で私を睨む。
「ちょっとお、何するのよ!」
「・・・・・・・・・・」
「後から来てたらどうするのよ!」
「こんなとこは来っこないさ」
「また自分に甘いんだからア!人の運転には文句ばっか言うくせに」
 大層ご立腹である。結局のところ、小一時間ほども彷徨ったであろうか、芭蕉号も私もヘトヘトになってしまった。もう駄目じゃあ、疲れて頭が沸騰するう。岩手の茫漠たる広さを思い知らされた。とにかく聞けるような人に会わないのである。「Σ∞∇≠ゞ∋⇔●∋⇔○・・・♀=♂?」でもいいから土地の人に会いたかったなあ。あって聞ければ展開もまた違ったものになっただろう。車には沢山擦れ違ったが、まさか大手を広げて止めるわけにもいかないし・・・
「もう諦めましょうよ」
 遂にご託宣が下った。
 ケッ、絶対にリベンジしてやっから。岩手県にまた来る絶好の口実ができたってもんだ。
 それにしてもよく迷う男だ、私は。まず、滝の細道を始めた最初の精進ヶ滝でつまずいた。さんざん迷った挙句にとうとう目的の滝が見つからず、奥蓼科の王滝でお茶を濁す始末だった。「オラの西遊記1」のときは、福井の山中をこれまたさんざんあっちこっちと迷った末、脱輪の憂き目に遭った。「オラの西遊記2」では、徳島市を出て直ぐ、国道を走っていたくせにその道が国道と思えず自ら迷い込んで行ってしまった。「オラの西遊記3」では紀州熊野川に沿って、橋を求めて右往左往した。「オラの西遊記5」では久しぶりに快調かと思ったら、最後の最後で熊野山中で迷って反対方向に出てしまった。「細道の奥の細道1」では栃木烏山から須賀川市に抜ける時、ショートカットしようとして大きく遠回りになってしまい、プッツンした。「細道の奥の細道2」では、法体の滝を見た後、鳥海山裾野の原野をそれこそ彷徨った。などなどなど。「細道のミニ奥の細道1」では宮城県色麻町で、迷った挙句に熊に遭遇し、あろうことか更に脱輪した。滝に至るまでの小さな迷走は数知れず。
 私って馬鹿かしら・・・
 女性はDNAからしても、無理からぬことは分かるし、何度も指摘してきたが、列挙して見ると、自分がこんなだとは思わなかった。人一倍オリエンテーションと言うか方向感覚が悪いのだろうか?
 かくして盛岡ICに戻り、一路、トボトボ遠野へ。
 東北自動車道花巻ICの先に花巻JC(ジャンクション)というのがある。ここから遠野を通って釜石、大船渡方面に、今問題となっている不採算自動車道が通ることになっていて、東和町までは開通済みである。高速を走っているとき標識には<遠野>とあったので遠野までは繋がっているかと思ったが、その期待は泡と消えた。

6.柳田國男と「遠野物語」
 午後4時過ぎ、遠野盆地にはすでに夕暮れの気配が漂っていた。北の遠く、早池峰山方面は、紅葉には2週間ほど早いものの、夕陽を浴びて金色に輝いている。西の方の山並みは低く、かなり暮れなずむと思われるが、逆光の中に黒く沈んでいる。秋分の日の落日は5時半が限度であろうか。明るさは6時頃迄もつのだろうか。
 R283を遠野盆地に下って来て、遠野の日本の原風景的な雰囲気には浸れたものの、連れ合いとしては、五百羅漢や南部曲り屋、カッパ淵なども見たいと思っているに相違ない。しかし、「どこ行きたい?」と聞いてしまって、上記のようなところに行きたいと言われてしまってはマズイのである。何がマズイって、五百羅漢や曲り屋は結構時間が掛かってしまって、<柳翁宿>や<隠居所><博物館>などが見られなくなるとマズイのだ。当家の嫁として、是非とも見といてもらわなければならない。
 日本の民間の伝承、風俗、習慣などを研究し、民俗学として学問の一ジャンルを確立した柳田國男は・・・というコムズカシイ話は置いといて、この遠野は柳田國男とは切っても切れない関係にあり、私の実家も柳田國男とは切っても切れない関係にある。柳田國男の記念館は、幼名松岡國男であった生誕地の兵庫県福崎町、國男が婿養子に行った先の柳田家(飯田堀藩の家老を代々勤めた家系)のある長野県飯田市、そして國男畢生の著書「遠野物語」の遠野市の三箇所にある。これらの地域は定期的に柳田國男サミットを行っている。私の関係があるのは、長野県飯田市の柳田家で、私の祖母は柳田國男の従姉に当たる。私の代となっては最早遠い縁だが、父と國男は非常に親しかったので、当家の嫁にも知っておいて貰わなくてはならないし、記念館くらいは見せておかなくてはならない。五百羅漢だ遠野曲り屋だカッパ淵だ、だけでは困るのである。(以前兵庫県福崎町へ行った時は行程が合わず、記念館には寄れなかったことがあった)
 蔦温泉は大町桂月により世に出たが、遠野は柳田國男の「遠野物語」により<日本の民話のふるさと>として世に出、いまなおそれを求めて来る人が絶えない。その目的は「遠野物語」の語り部佐々木喜善の生家、物語の重要な舞台南部曲り屋、物語の主役カッパのカッパ淵・オシラサマの北川家・ザシキワラシ、などなどなど。<遠野市立博物館>は柳田國男と遠野物語の世界が中心に展示されており、<とおの昔話村>には柳翁宿:長期滞在した柳田國男や折口信夫の足跡が辿れるようになっている。[旧柳田國男隠居所]:かつて成城学園の一隅にあった隠居所でこの遠野に移設された。私も学生時代一回成城学園の家を訪ねたことがあった。[昔話蔵]:柳翁宿に附属の土蔵で民話民芸の資料館となっている。[遠野昔話資料館]:昔話蔵と同じ作りの民話民芸資料館であり農機具などが収められている。
 4時10分ころ柳翁宿に入り、20分ほど見学して郷土資料博物館は4時50分ころ出て「さて、次は何処へ行くか?」となった。この時点で南部曲り家に直行していれば、内部も見て回れたし写真も撮れたことと思う。しかし、五百羅漢を選んでしまったのは、内田康夫の「遠野殺人事件」の影響であろうか。
 遠野市立博物館の右手を抜けて、擦れ違いの全く出来ない道を裏山の高台に回った。<五百羅漢→>という標識があるので道に迷うことはなかったが、走る距離が地図で見るよりもエラク長く感じる。まだかまだか、と、まだ着かない。道端にお爺さんがいて、七折の滝のトラウマがちらっと蘇ったが、勇を鼓して聞いて見た。今回は幸いハッキリ分かって、まだずっと先とのこと。我が地図では指呼の距離と思われたが、どうなっとんじゃい!
 やっとのことで着いたところに、駐車場があって、車が止っていた。5時半近くなっていたので、どうしようと思っていたら、男性が降りてきた。聞いて見ると、そこから歩いて30分は掛かるようなことを言う。30分経ったら6時頃となってしまうし、内田康夫の小説では、おどろおどろしき死体が発見されるように書いてある。力作だッ!というわけで怯じ気付き、行くのを止めたのであった。臆病者とでもなんでも呼んでください。
 しかしそのとき、薄暗い林を抜けて若い男女が降りてくるのが見えた。「な〜んだ、上の方は開けてるんじゃあないか」と思った途端、心の針は行きたい方にグググググッと振れたが、話し掛けようとしたら全く冷たい目で無視され、大柄滝の光景が思い出されて、シュシュシュシュシュッと針が戻ってしまった。
 後は仕方がないので、遠野市の周りを巡り、烏落雁なんぞというお土産を仕入れて、R396に入って帰路に付こうとした途端、千葉家曲り屋の下をとおり過ぎた。慌ててバックしてみると、夕暮れの中に大きな灰色にくすんだ曲り屋がデンと聳えて見えた。こんなに大きかったんだ。豪農か庄屋の家だったに相違ない。下から見ると、黒沢明の「七人の侍」のシーンに出てきそうな家だった。下の国道沿いの事務所には明かりが灯り、入場可能と見えたが、写真は撮れそうも無いし、外観のみで堪能したので、これまた割愛した。もう30分早ければうまくいったと思うと残念な気もしたが、これまた詮方無きことである。

 かくして遠野に別れを告げて帰路に付いた。西の山際が茜色に染まり、山が黒いシルエットとなった中を進んで行くと、突然旅の寂寥感に捕われた。横浜までどのくらい掛かるのだろう?    [了]


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