はじめに |
「細道の奥の細道」も4次となった。「ミニ」を加えると5次となるが、実は奥の細道でも福島県や北越後や村上などは何度かチョロチョロ出没してはいた。しかし、宿泊を伴わないものは<旅><紀行>という気がしないので紀行集には割愛しているが、紀行集の中でもさまざまなことに遭うコンビゆえ、日帰りでも当然いろんなことに遭遇する。かつて福井山中で脱輪し、数週間後にリベンジに行ったら返り討ちに会いそうになった話とか、群馬県利根村山中で連れ合いと離れ離れになってしまった光景などは、未だに脳裏に浮かんでは消え、浮かんでは消えする。そういうエピソードは、また、番外編かなんぞに譲ることとして、2003年9月18日〜9月23日まで5泊6日の「細道の奥の細道4」は始まった。天気予報は折からの台風の進路を告げていて、どうも伊豆諸島の南を21日ころ通過して行きそうだった。21日は秋田北部を巡る積りなので、気になるところではある。
(1)真夜中の滝紀行? 2003年9月18日〜19日 |
1.真夜中の発進
今までの滝紀行は長くても3泊4日というのが最長であった。気力体力から、4泊以上などということは考えても見なかった。加えて、車中泊ってやつが嫌なので、4泊以上となると、財布の点でも問題があったのである。
今回は、北・東北紀行もこれが最後になるかも知れない、という思い入れもあった。あ、そういう意味ではなく、西日本方面にはまだ未踏破の県も含め見たい佳滝が一杯あるし、西表島のマリュウドの滝、屋久島の大川(おおご)の滝、隠岐の檀鏡の滝など行って見るだけで何日も掛かるようなものも残っていて、<この地域はこれで済んだ>というものを作っていかないと、いかに滝馬鹿といえどもやってられないのであります。青森・北部秋田・岩手安代町地域にある私の考える主な滝は今回の訪問で網羅してしまおう、というのが当初の考えであった。その中には当然のことながら<茶釜の滝>も入っていた。つまり、この地域の七折の滝−安代不動の滝−智恵の滝−弥勒の滝−松見の滝−暗門の三滝−くろくまの滝−大柄の滝−峨瓏の滝−茶釜の滝−三階滝−桃洞の滝を回ってしまえば<相済み>となる、と。しかし、どう計画しても3泊4日の日程にこれらの滝を組み込むのは、1gの瓶に2gの水を入れようとするに等しい愚かな計画であることが明らかとなった。まず、時間も掛かるし、大変だし、日程上の目の上のタンコブでもある茶釜の滝を削ってみた。駄目である。それじゃあというんで、智恵の滝にも遠慮願った。まだ駄目である。あれこれ思案した挙句、それまでの節を曲げて、夜遅く家を出て夜半に帰宅するという行程を組み込んでみたら、これがピッタリと嵌った。つまり、18日の夜9時に横浜の家を出て、19日の朝6時に岩手県の七折の滝に着いていて直ちに行動を開始する、車中泊2泊を加えた5泊6日の旅というものである。しかし、こりゃ、疲れそうだわ・・・
旅というのは昔は命懸けだった。<入り鉄砲出おんな>なんぞといって関所はやかましいし、山賊は出るし、ちょっと油断すると、巾着切り、道中師、狼浪人、女衒、雲助、盗っ人、切り取り強盗、必殺仕掛け人・・・・・現代はそんなことはなく、旅は楽しいもの、良いもの、日常のしがらみを離れてポケッとできるもの、というイメージである。ただ最近、旅先でちょっと油断すると、掏摸(スリ)、置引き、愚連隊、美人局、神風タクシー、コソ泥、タタキ、必殺仕事人・・・・・なんだ、おんなじじゃん!
しかし、この、旅は良いもの楽しいものというイメージは、諺(ことわざ)の世界にも大いに影響している。<可愛い子には旅をさせろ>という諺は、本来、誰でも知っている『子供が可愛かったら親の手の届かないところで苦労させないとモノにならないよ』というほどの意味だが、今の若い人の中には、『子供が可愛かったら旅とかで楽しい思いをさせないとイジケタ子になる』という驚くべき解釈をする者がいるらしい。やんぬるかな!
この諺には、私は以前悲惨な目に遭って・・・・・あ、こんなことしてたらいつまで経っても旅がはじまらないゾ、というわけで、18日夜9時に横浜の家を出たのであった。
首都高を抜けて東北自動車道に入るまで、止ったのは憎っくき料金所だけ。深夜に掛けての高速道路がこんなに空いているとは思わなかった。まあ、18日が木曜日だったということと、東北に向かうということはあったけれど。これが東名だとそうはいかない。夜中の東名ほど怖いものはない。何が怖いって、行けども行けどもトラックがビッシリと並び、お互いに急な割り込み、急な進路変更を繰り返すのはまだ大人しい方で、ジグザグ運転をしたり、他車の後部にピッタリ付けて急ブレーキを踏んだりするのだよ!少しゆっくり走ろうとすると(といっても100km/h)後ろピッタリでお尻を突っつかれる。ウザイんでスピードを上げて追越車線に出て引き離そうとすると、ぱっと前車が突然前方に出て追い越しを掛ける。交通警官でも夜の東名は運転したくないそうである。かのトラック野郎たちはどうも眠気覚ましにやっとるらしいが、早くも、遅くも一定のリズムで走れらせてくれないのは、プレッシャーも高まるし、怖い。特に走行車線で前後をピタリと挟まれ、追越車線を並走されたりなんぞしたら、深い谷間に落ち込んだようで生きた心地もしない。経験した人も多いだろう。
東北道は3時間ほど快調に走ったが、一向に眠くならない。すでに福島近辺に差し掛かっている。このまま走り続けると午前3時ころには七折の滝近辺に着いてしまいそうだ。早池峰山の真っ暗闇の中で探したり待ったりするのも嫌なので、午前1時ころ、金成SAで強引に仮眠を取ることにした。興奮して眠られない。それでも3時間ほど我慢をして4時ころモゾモゾと起き、外に出て体操を始めた。連れ合いも起きている。
「全然寝られなんだわ」
「あら、そう。じゃあアナタはイビキをかきながら起きてるのね」
「ん?・・・・・」
何だなんだ。自分なんか首都高でもう寝とったくせに。しゃらくせえ、と思ったが、イビキをかきながら起きてるのかと問われれば、否、と絶句するしかないではないか。意識の上では転々としていただけで全く寝た感覚はないが、人間、結構寝ているらしい。
2.「※〓〆∀∬♯♭Σ」
4時過ぎにSAをでて、紫波ICから、予定より20分遅れの6時20分ころ、滝に向かう林道入口があるはずの岩手県大迫町中ノ貝地区に着いた。確か早池峰山に向かって左折するはずであるので、朝まだきの霧の中をソロソロと進んだ。
「なんかこの辺がクサイな」
「オナラしたでしょう?」
「バーカ、冗談言っとる場合か。俺ァ、オナラブルマンじゃけ、オナラなどせんわ(嘘)」
「ゴメン。でも、この辺ほんとにクサイわよ」
言われてみれば、有機質肥料のニオイであろうか、確かに。しかし、どうもそのニオイは道路脇にうずたかく積まれた木材から発するものだったらしい。この早朝、樵のお爺さんなのだろうか、すでに仕事をしている。しめた!(ほんとはシメなかった)
「お仕事中、ちょっと済みません。七折の滝はどう行ったらいいのでしょうか?」
「※〓〆∀∬♯♭Σ∞∇AHOKAINA・・・♀≧♂?」
「どうもありがとうございました。それじゃあ・・・」
「≠ゞ∋⇔●∂≒〒□§mate!!・・・♀≦♂?」
「分かりました、すみません」
「▼×※〓〆∂≒○○○〒□∀∬♯♭△△△Σ∞∇≠ゞ∋⇔●∋⇔○・・・♀=♂?」
「ども、ども・・・」
「〒□∀∬! ♯♭Σ∞! 〜〜〜〜〜NN 〓〆∂≒!・・・♀≠♂?」
「よ〜〜く分かりました。ドモ、アリガトゴザイマシタ」
「○△□×」
お話の方は失礼ながら一言も分からなかった。ただ、ジェスチャーでは、来た方に戻っても○○○があって△△△すると行けるし、このまま進んでも前方に左折して行くと行けるよ、と言っているように思われた。結果は前方を左折して行ったら滝入口の標識に当たったので正解かと思っていたが、後で、もしかしたら「ここさ少し戻っとな、橋っこさあったべ。そこの小っこい道さドンドンへえってくとな、車を止めっとこがあるだよ。そっから七折まじゃあ、20分がとこで着くな。こっちゃの方からも行けっけんどもよ」と仰っていたんではないか、という疑惑が頭をもたげた。お爺さんの話があまりにも長かったし、二万五千分の一の地図には、かすかに折合沢に沿って林道のようなものが途中まであるように見えたからである。今回は、少し進んで斜め前方に左折して行ったら、一輪車を押したおかみさんに会い、橋があるのでその先をまた左折して行くと駐車場があります、とハッキリ分かる言葉で教えてくれた。そのとおり、駐車スペース脇に<七折の滝入口>と看板があり、そこから滝まで2.2kmと書いてあった。遊歩道は何も無い杉林の中に分け入って行くようになっている。おかみさんには申し訳ないが、もう少ししつこく質問したら、沢沿いの近道を教えてくれたのではないか、という思いが今でも払拭できない。今度行かれる人は、このことも研究して見て下さい。そしてその結果を私に教え・・・ないで下さい。口惜しいから。
6時半、駐車場出発。杉木立を抜ける遊歩道には、霧が地を這うように流れ、この霧の中から熊がワッと出てきたらどうしようと思わせる不気味さである。少々早すぎたかなと思いつつカウベルを鳴らしながら杉林を抜けてドンドン上って行くと、霧も晴れて明るくなり、視界も開けてきた。遥か下方に大迫町の集落も薄靄の中に見渡せる。2kmほども歩いたと思ったので、後ろの連れ合いに「あと300m!」と叫んだ。後ろからは「・・・・・」が返ってきた。信用していないらしい。「あと200m!」「あと2分!」「あと1分!」などと騒いでいるうちに、ほんとにピッタリと着いた・・・折合沢に。沢には結構な滝が掛かっている。連れ合いの顔には、着いたという喜びと、私たちが目指してきたのはこんな滝だったのね、というフクザツな思いが交錯しているようだ。
「やっと着いたな。どうだ、立派な滝じゃあないか」
「えっ? ええ」
「そこへ立てよ、滝と一緒に撮っちゃるで」
「そ、そうね、私はいいわ。でも、これ、七折れより七段じゃないかしら」
「ふん、そうだな」真剣な顔で、パチリパチリパチリ。
3.「騙してたのね!」
「さてっと、じゃあ行くか」私がザックを背負って上流に歩き出すと、「ちょっとアナタ、どこ行くの?」連れ合いが後ろでツバメの子のような口で叫ぶ。私は黙って上流に少し遡ったところにある標識を指差す。そこには上流に向かって<→七折の滝>と書いてある。連れ合いの顔が見る見る膨れっ面となる。
「騙してたのね!」
結婚詐欺に遭ったような言い方だ。
「悪い悪い。別に騙したわけじゃあないが、オマエがあんまり信じとったようだったんで、つい黙っとった。七折れはこの上流だ」
プッと膨れた連れ合いは、何時ものように口を利いてくれなくなった。もっとも、そこから上りがキツクなったので、無駄口を利く余裕など無くなって来たこともあるが。
しかし七折の滝は素晴らしかった。連れ合いの機嫌もたちまち直ったようだ。直前に一度どうということも無い滝を信じ込まされていただけに、滝前に立った感激もひとしおだったのだろう。この消防の放水のように噴く滝は、私の見た範囲では、山梨県桑の木沢の黒戸噴水滝、越前一乗谷の一乗滝、山梨県富沢町の七ツ釜滝くらいなもので、殺人の滝、常清滝などのような跳ね滝とは少々違う。まあ、これが一番であろう。
8時40分までに芭蕉号のところに戻り、ついでだから魚止の滝、清廉の滝、笛貫の滝もやっつけて行こうと思い、まず魚止の滝を訪れた。それまで雨らしい雨は降っていなかったのに、車に引き返そうと思った途端、篠付く雨降りとなった。途端に出て来た傘に入り、「私って気の付く女でしょ」の声も無視して芭蕉号に飛び込んだ。道も飛沫で煙るような雨足なので暫く雨宿りしたが、いつかな止む気配がない。写真の清廉の滝は、それでも豪雨の中をソロソロと行って、車中から撮影したものである。笛貫の滝は暫く先の岳川の本流滝のはずであるが、この豪雨の中で意気も粗相して行く気がなくなり、次の目的滝安代町の不動ノ滝へ向かうことにした。七折の滝の時に降らなくてほんとに良かった。「私たちってツイてるのね。きっと私の行いが良いからだわ」という呟きはもちろん無視したが。
安代ICを出る頃に、雨は一旦小降りとなったが、滝駐車場につく頃にはまた激しくなってきた。この不動ノ滝は、世に言う日本の滝百選の滝ではあるが、一方ではまた「何で百選なんだ?」という棚下の不動滝と並んで双璧の滝でもある。ある人は「百選なんてそんなもんさ」という。またある人は、「人気投票なんだから仕方ないさ」という。確かにこの滝は、桜松神社のご神体でもある信仰の滝なので、その分投票も多かったのだろうか。百選の話は熱く長くなるのでこの辺で・・・・・
車の中で不貞腐れて雨宿りをしているうちに、ウツラウツラと一眠りしていた。自分では元気な積りでも寝不足は否めないのだろうか、はっと気が付くと、周りががやがやとうるさい。うるさいはずだ。老人クラブかなんぞの老老男女が、バスからゾロゾロおりてくる。雨はすでに小降りとなっていて、並んで鳥居の中に爺婆が消えていく。小降りとは言い条、間断なく雨の降る中を、傘もささずに濡れていくお年よりも居る。けっ、若者(嘘)でかつ滝ヤラレの我々が、カメラが濡れる心配があるとはいえ、車の中で燻っている理由もなかろうじゃあないか!
それにしても、不動尊という存在は不思議である。成田不動=新勝寺、高幡不動=金剛寺、という具合に不動明王をご本尊としているお寺は多い。不動明王はもともと大日如来が教化して憤怒の形相で人を教え導くとした、まごうかたなき仏様であるはずだが、この不動尊は幟や旗を立て鳥居は真っ赤っ赤。神仏混合もここに極まっているのだろうか?どなたか教えて頂きたい。
岩手県は智恵の滝を割愛してしまったので、最早、北上の途上にはめぼしい滝はない。かつて、安の滝への道すがら、同好の士として道ずれになった人から、「智恵の滝はいいですよお。是非行ってみて下さい」といわれていた滝なので、後ろ髪を引かれる思いはあったが、ここは是非も無い。芭蕉号は一路秋田県鹿角市に向かった。鹿角市北部のR102沿いには佳滝が並んでいるはずである。
鹿角市に入ると地図の上では、先ず小衣(おぼろ)の滝というのがあることになっている。ネット検索してみてもスンナリ右折して行けばよいような按配だった。ところがR102のこの辺がクサイと思う辺りに入口表示が無い。暫く行くと川島の滝入口という標識はちゃんとあるのに、小衣の滝の標識は全く見付からない。標識が始めからなければ、マイナーな滝のこととて、見当を付けた細道を強引に入って行ってしまうのだが、なまじ、川島の滝の表示があるばかりに、川島の滝より大きく有名と思われる小衣の滝の表示が見付からないのが信じられないのである。国道を歩いている人影も無く、何遍もあやしいところを往復して見たが一向に見付からず、「俺って意固地だなあ」と思いつつ辟易してきたころ、ご託宣があった。
「もういいかげんにして次の滝に行った方がいいんじゃない?」
うへっ、そうすべ、そうすべ。それでも30分以上は彷徨った勘定だ。
4.ゴン
小根津戸は小根津塔と書いてあるサイトがあった。どうも色々見て見ると、「塔」の方が普通らしいのだが・・・何せ滝にいたる標識の、しかも雄滝・雌滝の分かれ道のところに立派な標識がたっており、そこには「小根津戸」とハッキリ書いてある。どういうわけのわけ柄か分からないけれど、ここでは小根津戸の雄滝・雌滝を採用しておく。それより、分かれ道のところまで6分と書いてあったが、本当はものの2分ほどで着いてしまう。雄滝までは10分というから残り4分のはずだが、実際にはタップリ8分ほど掛かり、何の事は無い、終いにはソロバンが合うようになっている。雌滝は20分といわれていたが、簡単にやっつけてやろうと思っていただけに、道程は嫌になるほど長かった。
止滝は本流瀑で、川幅一杯にゴウゴウと落ちている。魚止の滝と同じ意味であろうか?しかし、このくらいの滝は遡上する鱒類はらくらくと越えて行きそうだが。止滝の少し上流に同じような規模の中滝がある。この辺りの地区名にもなっている滝は、止滝と他の上流の滝の中間にあるからそう呼ぶのであろうが、その相手の滝名は分からない。いずれも先ほどの驟雨で濁り、奔流が渦を巻いて流れている。この先の、通常は水の少ない滝々への期待が膨らむ。
ゴン。
突然、後ろで異様な音が響いた。空のダンボールを外側から叩いたような音だ。振り返って見ると我が連れ合い、幅広の板橋の上に仰向けにひっくり返ってもがいている。背負ったザックが亀の甲羅のようである。笑っている場合ではない。吾は即座に駈け寄りて、しっかりせよと抱き起こす。錦見の滝の帰り道、コケのついた橋の板は、先ほどの雨に濡れてつるつるに滑りやすかったのは事実で、私も一瞬つるりと大股開きとなりそうになって、「おい、気を付けろ」と注意する間もあらばこその出来事だった。あまりにも見事に無防備にひっくり返ったようなので、頭を打ち付けたのが心配になった。どうも珍しい花かなんぞが目に入り、足元が上の空となったらしい。大丈夫か?
「大丈夫、大丈夫よ。心配しないで」
しかし、どうも足元がおぼつかない。目も空ろなような気がする。顔色も青褪めてきて気分も悪そうである。取り敢えず車に戻ってシートに休ませて、頭を探ってみた。取り立ててコブもなさそうだし、そこここを押して見ても耐えがたいほどの痛みはなさそうである。後で考えてみると、それは脳震盪の典型的な症状であったのだろうが、その時はぶっ掛ける水も無いし、そのことすら思い当たらず、様子を見るしかなかった。
錦見の滝はサイトで見た時は誠に水に乏しく、貧弱な滝と見えて、あまり期待はしていなかったが、目の前にある姿は和歌山の桑の木の滝の下部にも相当するような見事なもので、驟雨様々であった。ゴンの事件なかりせば、充足感で一杯であったことだろう。彼女の頭の中が空っぽであることを証明したそのゴンの音は、未だに耳に残っているが、その時は滝巡りを続けるべきか否か、大いに迷った。
「私休んで様子を見てるから、滝に行ってきて」その連れ合いの言葉に背中を押されるように、錦見の滝から銚子の滝へソロソロと車で進んだ。こんなことしてていいのかなあ・・・しかし、銚子の滝は車を離れて歩かなくても、車のまま滝の正面に着いて見れる位置に、草で埋まった駐車場があった。
滝は、華厳の滝も真っ青の豪瀑と化していた。連れ合いは車中からぼ〜〜〜っと滝を見て、特別感興を覚えた風でもなかった。まだ青白い顔をしている。
「おい、どうだ?大丈夫か?」
「うん、だいぶ気分が良くなってきた。頭も痛くないし」
「そうか、んじゃ、写真撮ってくるで」
彼女はとうとう車を出て来なかった。これは<細道の奥の細道1>で福島県は須賀川市の乙字ヶ滝で起こった椿事以来のことである。
湯ノ又の滝の標識が指し示す道には木が倒れかかって、到底通行可能とも思われない。仕方が無いので倒木の前に芭蕉号を止め、木をまたいで暫く前方まで歩いて見た。滝は見えなかったけれど、前方に続く道には障害がありそうにも見えない。問題は、あの倒木だけのようである。倒木は葉がビッシリと茂っている新しいもので、一見太く見えたが、手を掛けて見ると、意外に細い木だった。カアチャンのためならエーンヤコラ、で、湯ノ又の滝も見せてやりたいと思い、エーンヤコラと倒木を持ち上げて、ズ、ズ、ズッとやっとのことで道脇に寄せた。湯ノ又の滝も「車椅子でも見られます」ということをうたい文句にしているとおり、車の中からも見られる滝だった。私にはさほどの佳滝とも思われなかったが、連れ合いは未だに「湯ノ又の滝って良かったわよね」という。なんなんかな?
しかし、湯ノ又の滝を去る頃には、連れ合いの顔にも赤みが差してきて、また、もとのウルサイおなごに戻って来たようで少しくホッとして、弥勒の滝に行く気になってきた。時間はすでに午後3時半を回っていた。
5.鄙びた湯宿と大町桂月
それでも羊腸の道を巧みに(=乱暴に)運転すると、普段でも気持ちが悪くなってしまう人だから、慎重に慎重に運転することにして出発したが、さて、どうだったか。ハンドルを握ると途端に人格が変わってしまうヤツが居る。斯く言う細道どんもその懼れなしとしないでもない、というのが連れ合いの持論なので・・・・・
弥勒の滝のある青森県田子町はゴンの滝のあった秋田県鹿角市の東隣で、しかも当の滝は県境にあり、直線距離にすれば指呼の距離だが、直進できる道は無い。R104で県境を越えて青森県に入り、白荻平牧場、キャンプ場、いくつかのスノーシェルターを抜けて、白荻坂という急坂を下り、夏坂地区に至ってやっと右折し、もと来た方向へ戻るような具合に回り込んで行く。しかし、道は快適なまま滝につける。
「あっ、スヌーピー!」というのが、連れ合いの第一声。Charles
M.
Schulz氏描くところのPeanutsのあのSnoopyである。確かに、見れば見るほど似てくるのが自然の妙というものであろうか。安の滝は大仏様に似て、嫗仙の滝はムンクの<叫び>、竜頭の滝は名の通り竜の頭、滑川大滝は栗鼠(リス)の背縞、桃洞の滝は・・・×××
弥勒の滝を出る頃には完全な夕暮れの匂い。もう本日の宿蔦温泉に入るしかすることもない。と、そこではっと気が付いた。明日は6時には宿を出る予定なので、ガソリンや食料を今日の内に補給しておかないと、八甲田山中でガス欠と空腹による行き倒れの心配がある。ところが、今までは途中のそこかしこに見られ、その内にその内にと思っていたコンビニやガソリンスタンドが、いざとなると全〜〜ん然見付からないのだ。R102を暫く戻って見たがコンもスタもない。もしかしたら奥入瀬の先の十和田湖温泉までいけばあるかもしれないという一縷の望みを抱いて薄荷峠から十和田湖、子ノ口、奥入瀬渓流と進んで見たが、国立公園内の故か国道沿いには、コンのコの字もスタのスの字もない。奥入瀬渓流沿いの道に入る頃には、銚子大滝や白布の滝などなどが幽かに見えるか見えないかまで暗くなってきた。以前にも秋田の阿仁町の暗さに触れたことがあったが、この十和田湖、奥入瀬周辺の暗さは、都会人の想像を絶するものがある。外灯や家の明かり一つ無く、昼なお暗きヒバの林の中にでも入って、芭蕉号のライトを消そうものなら、辺りは漆黒の闇となる。押し潰されそうな闇とはまさにこのことを言うのだろうか。この闇の中を芭蕉号のヘッドライトだけを頼りにガス欠の恐怖に慄きながら進む心細さは、久しぶりの体験であった。
結局、十和田市の近くまで出て、やっとこさ見つかったが、6時頃チェックインしてゆっくりするはずだった蔦温泉に着いたのは、すでに7時を回っていたのだった。
八甲田山東南麓にある一温泉宿、「蔦温泉旅館」は周りをブナの原生林に囲まれていて、裏手には蔦沼など七沼が点在している、<鄙びた>湯宿である。本館は誠に古く、帳場なども明治時代の造り酒屋の古風な事務所を思わせる趣のままで、付け足し付け足しで大きくなっていったような感じだ。風呂も浴槽や洗い場の一部がすべて古いヒバ材、ブナ材で出来ていて、<ザ・湯治場>といった風情がある。現に、浴槽脇の広い板張りには、あそこもスッポンポンの(当たり前か)男たちが、アザラシかなんぞのように、ゴロタゴロタと寝そべっていた。よく見ると本当に寝ていたようでもあったので許す。泉質は単純泉でクセもなく、長湯治にむいた温泉であるらしい。
明治時代、東北各地を旅した紀行作家大町桂月が、奥入瀬、十和田湖の景観を雑誌『太陽』などで絶賛したことが、この地の観光の礎となった。大町桂月は、土佐の生まれではあるが、奥入瀬・十和田湖以外にも、東北地方の秘境とも言うべき滝にも沢山の足跡を残している。ある時は詩人といわれ、あるいは評論家ともいわれ、紀行作家ともいわれているが、やはり最大の功績は、後の民俗学の基ともなった<旅>についてであろう。のちに本籍を蔦に移し余生をここですごした。辞世の句は「極楽へ越ゆる峠のひと休み蔦のいで湯に身をば清めて」である。近くに墓所もある。
民俗学を集大成し、学問の一分野として確立させたのは柳田國男であるが、同時代には南方熊楠、江戸時代には菅江真澄がいる。大町桂月の足跡は、菅江真澄のそれと重複する部分が驚くほど多いと思われる。大町も、柳田も、南方も、先人菅江真澄も数多くの滝を紹介している。あ、そうそう、松尾芭蕉を忘れるやつがあるか!この!
滝や温泉の先人といえば行基も忘れてはならない。僧行基は行基菩薩とも呼ばれ、八世紀奈良時代の高僧で、畿内を中心に全国を巡り歩き、民衆教化、寺の造営そして堤防の設営、橋梁架設など社会事業に尽力し、行基図という日本最古の地図も作ったといわれている。全国行脚の途次、温泉を開き滝を紹介するなど様々な業績をも残したので、全国の古い温泉には「行基が開祖と言い伝わる」としるしているものが多い。滝の方も「行基菩薩が・・・」というものもあまたあるが、伊豆の修善寺町には実際に<行基の滝>というのがある。旅する者の鏡とも言うべき先人である。
部屋も文人墨客が止ったに相応しく、百年前は調度、家具、畳など誠に豪華だったものが、徹底的に古くなったところをご想像頂きたい。座敷わらしの二、三人も出そうな雰囲気で実に良かったが、共同トイレ・洗面場のため、年取って夜中のオシッコが近くなった私たちにとって、うぐいす張りの廊下には閉口した。
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