昭和55年(1980年)
JASRAC No.002-1412-4

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作詞:阿久 悠(C)
作曲:浜 圭介(C)
歌唱:八代亜紀
MIDI制作:滝野細道
(一)
心が忘れた あのひとも
膝が重さを 覚えてる
長い月日の 膝まくら
煙草プカリと ふかしてた
にくい 恋しい にくい 恋しい
めぐりめぐって 今は恋しい
雨雨ふれふれ もっとふれ
私(わたし)のいいひと つれて来い
雨雨ふれふれ もっとふれ
私のいいひと つれて来い

(二)
ひとりで覚えた 手料理を
なぜか味見を させたくて
すきまだらけの テーブルを
皿でうずめて いる私
きらい逢いたい きらい逢いたい
くもり空なら いつも逢いたい
雨雨ふれふれ もっとふれ
私のいいひと つれて来い
雨雨ふれふれ もっとふれ
私のいいひと つれて来い
**
雨雨ふれふれ もっとふれ
私のいいひと つれて来い
雨雨ふれふれ もっとふれ
私のいいひと つれて来い

童謡・唱歌 懐メロ 八洲秀章&抒情歌 *2011/DEC/10 「細道のMIDI倶楽部」TOPへ
雨の慕情」は、デビュー作「なみだ恋」、「舟唄」と並ぶ八代亜紀の代表曲の一つで
す。作詞の阿久悠は、「舟唄」→「雨の慕情」→「港町絶唱」のいわゆる哀憐三部作の「港
町絶唱」でレコード大賞を取ることを目論んでいたようですが、「雨の慕情」が大ヒットし、レ
コード大賞を始め1980年度の数々の音楽賞をそうなめにしました。
八代亜紀(やしろ あき 本名:増田 明代(旧姓:橋本)、1950年8月29日〜 )は熊本県八代
市出身で、芸名は出身地の八代(やつしろ)市から採っています。父の浪曲や自らのハス
キーボイスから最初からクラブ歌手を目指し、上京して銀座のクラブ歌手となりました。 21
歳の時、テイチクレコードに認められデビューしました。しかし当時ハスキーボイスで一世を
風靡した青江三奈がおり、二年ほど泣かず飛ばずでした。23歳の時乾坤一擲、『全日本
歌謡選手権』で10週勝ち抜きを果たし、そこで発売した「なみだ恋」が120万枚の大ヒット
となって一流演歌歌手の仲間入りをしたのです。以後女性の演歌歌手としては異例の連
続ヒットを飛ばしていますが、当倶楽部では昭和55年以降の歌のアップは、中々追いつき
ません。悪しからず。m(_ _)m 
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浜圭介(はまけいすけ、本名:金野孝、昭和21年4月8日〜)は旧満州出身で、北海道に戻り
16歳で上京し、歌手を目指しました。歌手としては売れませんでしたが、作曲家に転身する
やいなや、奥村チヨの「終着駅」が大ヒット、その後、クールファイブ「そして、神戸」、堺正章
「街の灯り」、北原ミレイ「石狩挽歌」など数々のヒット曲をリリースしています。