昭和50年(1975年)  JASRAC No.007-4322-4
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石狩挽歌(いしかりばんか)

作詞:なかにし礼(曲リスト)
作曲:浜 圭介
歌唱:北原ミレイ
制作:滝野細道

(一)
海猫(ごめ)が鳴くから ニシンが来ると
赤い筒袖(つっぽ)の やん衆がさわぐ
雪に埋もれた 番屋の隅で
わたしゃ夜通し 飯を炊く
あれからニシンは どこへ行ったやら
破れた網は 問(と)い刺し網か
今じゃ浜辺で オンボロロ
オンボロボロロー
沖を通るは 笠戸丸(かさとまる)
わたしゃ涙で ニシン曇りの 空を見る

(二)
燃えろ篝火 朝里(あさり)の浜に
海は銀色 ニシンの色よ
ソーラン節で 頬そめながら
わたしゃ大漁の 網を曳く
あれからニシンは どこへ行ったやら
オタモイ岬の ニシン御殿も
今じゃさびれて オンボロロ
オンボロボロロー
かわらぬものは 古代文字
わたしゃ涙で 娘ざかりの 夢を見る

八洲秀章&抒情歌 童謡・唱歌 懐かしのメロディー 昭和戦後の歌謡曲・演歌  *2009/FEB/10 

この「石狩挽歌」は作詞のなかにし礼の少年期の実体験に基づいたものといわれています。たしかに実体験したものでないと出てこない言葉が随所に使われています。この詞の中の<朝里>は小樽の東外れの浜で、満州から帰還した中西一家はこの小樽にあった実家を担保に入れてニシンを追ったのでしたが、失敗して一家離散の憂き目にあったのでした。この辺りのことは、なかにし礼著『兄弟』に詳しい。中西禮三少年をこの歌の中にはめ込んで歌ってみると、この歌の意味がよく分るでしょう。
細道はMIDI制作に当たって、あまり複雑にならないよう、付いて口ずさめるようシンプルさを心がけていますが、今回はパーカッション主体としてみました。煩雑ですか?
海猫(ごめ):カモメの一種、猫のように鳴く。ウミネコ。ニシンの群れに沿って集まってくる。  赤い筒袖(つっぽ):火消しのつつそで同様の袂(たもと)の無い半纏のようなもの。 ヤン衆:ニシンは<春告魚>というように短い漁期なので季節漁師のような人々をいう。  番屋:魚を荷揚げしたり、加工したり、寝泊りしたりする家屋。  問い刺し網:建網ともいわれる浮子(うき)の付いた刺し網の一種の魚網。 笠戸丸:ブラジル移民船で有名だったが終戦時北方の戦役についていた時に撃沈された。 朝里の浜:札幌の銭函と小樽の中間にある浜。なかにし礼の故郷  海は銀色:ニシンの群来には海がニシンで溢れ銀色に光ったと。オタモイ岬:高島岬から赤岩山を越えた反対側にある。ニシン御殿跡がある。  ニシン御殿:写真のニシン御殿は小樽市祝津3(高島岬)の断崖上にある北海道初の民俗文化財となったニシン御殿。やや内陸の祝津2に旧青山別邸を移築した『にしん御殿小樽貴賓館』がありそこに、なかにし礼直筆の石狩挽歌歌碑がある。 古代文字:江戸末期、手宮石室洞窟の壁に文字様の壁画が発見され、古代文字だ、壁画だ、最近の悪戯だ、と諸説紛々だったが、平成になって隣接の縄文地層から同様のものが発見された。小樽の名物。
【上掲の鰊御殿の写真は小樽市より借用】オタモイ岬地図

なかにし礼の当倶楽部内の作詞曲リスト

なかにし礼当倶楽部の作詞曲
曲  名 作  曲 歌  手 歌 い 出 し
雨が止んだら 筒美京平  朝丘雪路  雨がやんだらお別れなのね二人の思い出 
石狩挽歌  浜  圭介 北原ミレイ  海猫(ごめ)が鳴くからニシンが来ると赤い 
君は心の妻だから  鶴岡雅義  東京ロマンチカ  愛しながらも運命(さだめ)に敗(ま)けて別 
くちづけが怖い    東海林修  久美かおり  恋をしたけどくちづけが怖い秘めやかな花 
恋のハレルヤ  鈴木邦彦  黛 ジュン  ハレルヤ花が散ってもハレルヤ風のせい 
恋のフーガ  すぎやま  ザ・ピーナッツ  追いかけて追いかけてすがりつきたいの