コン狐 Photo by Hosomichi

古い童謡には残酷で不可解なものが沢山あります。特に戦前は、差別を差別とは思わなかったり、残酷の概念も違っていましたので、<お母さんが帰って来ないので金魚を一匹突き殺す>などといったものすらあります。今の考え方を以ってそれらを責めるわけにもいきませんが、それにしてもこの「叱られて」は聞けば聞くほど分からないところばかりです。先ず、<叱った>人ですが、これが判然としません。これがはっきりすることは、歌にも大きな影響がありますので、詩人としては、わざと曖昧にしたとしか思われません。あるいは当時の人なら一目瞭然なことかもしれませんが。どうも、両親ではないように思われます。両親だったら普通は日が暮れたら<帰っておいで>でしょう。それを暗い、キツネがコンと鳴くような夜道を、街までお使いに行かせる(親もいるでしょうが一般概念として行かせる)でしょうか。また、子守りする<ぼうや>が弟とも思われません。それに<あの子>と<この子>は兄弟姉妹のように思われますが、本当にそうなのでしょうか。
二番はもっと不可解です。<口にはださねど目に涙>とは、口惜しい怒りの涙か、悲しい絶望的な涙か、お互いを思いやる哀れみの涙か、不甲斐ない自分への涙か、<叱った人>が誰かで全く違ってきます。<二人のお里はあの山を越えて彼方の花の村>、二人には里があって、彼方の花の山里から山を越えて町まで出て来ているのですから、ここに至って<叱った人>が実の両親でないことははっきりしましたが、他は曖昧模糊としています。<ほんに花見は何時のこと>に至っては、過去のことなのか、これからのことなのか、お手上げです。以下は私の解釈となります。
江戸時代から見習い奉公というのがありました。5〜6歳の頃から、食事とスズメの涙ほどの僅かな給金のみでお店奉公に上がり、一心に働いて、その中で行儀・世渡り・世間常識を獲得して、一人前となって世間に通用するようにする、という制度です。それが職人の徒弟制度のように、戦前の社会には残っていました。貧困な家から口減らしのために裕福な家に奉公に上がるのです。<食べられればよい>身分制度から貧富の差が拡大した時代でした。そのため、戦前の作品には、じいや・ばあや・にいや・ねえや・下男・下女・女中・書生・作男・作女・婢など、いまでは差別用語とされている言葉がポンポン出てきます。この「叱られて」はそうした、<山を越えた彼方の花の村>の貧しい家から町の裕福な家に子守り・使い走りとして奉公に来ている、10歳前後の少年少女のことを歌った歌です。<叱った人>はその家の主人ではなく、執事だとか女中頭などお家大事一筋な人たちを思わせ、きついこともいうので、それが<口にはださねど目に涙>に繋がるのです。最後の<ほんに花見は何時のこと>は、「こんな遠くに来て長い間帰っていないが、前に桜を見たのは何時のことだったろう」とも「何時になったら里へ帰って桜がみれるのだろうか」、といずれにも解釈できます。
清水かつらは4歳の時に実母と悲しい別れをし、継母の里に引き取られて(現在の和光市)、この歌と同じような経験をした、実体験に基づくもののようです。「あした」同様、弘田龍太郎の作曲ですが、弘田龍太郎はこういう曲を作らせたら天下一品です。

 叱られて


 作詞:清水かつら(曲目リスト)(PD)
 作曲:弘田龍太郎(PD)
 MIDI制作:滝野細道


(一)
 叱られて 叱られて
 あの子は町まで お使いに
 この子は坊やを 寝んねしな
 夕べさみしい 村はずれ
 コンと狐が 鳴きゃあせぬか

(二)
 叱られて 叱られて
 口にはださねど 目に涙
 二人のお里は あの山を
 超えて彼方の 花の村
 ほんに花見は 何時のこと


















  童謡・唱歌 懐メロ 八洲秀章&抒情歌  「細道のMIDI倶楽部」TOPへ    *2007/MAR/01







  清水かつらの当倶楽部内の曲目リスト

清水かつら当倶楽部の作詞曲
曲  名 作  曲 歌  手 歌 い 出 し
あした 弘田龍太郎 - お母さま泣かずにねんねいたしましょ
くつがなる 弘田龍太郎 - お手手つないで野道を行けばみんな
叱られて 弘田龍太郎 - 叱られて叱られてあのこは街まで
雀の学校 弘田龍太郎 - チイチイパッパチイパッパ雀の学校の
みどりのそよ風 草川  信 - みどりのそよ風いい日だね蝶々もヒラ