集団就職エレジー

             集団就職エレジー
      「おさげと花と地蔵さんと」

 この「おさげと花と地蔵さんと」の作詞者東条寿三郎の詩は「上海帰りのリル」でも解説したが、非常に情念的かつ観念的で意味の取りづらい所がある。「上海・・・」の場合も、詩の手掛かりは<上海帰り>、<四馬路>、<昭和
26年ヒット>くらいしかなく、あとは情念的言葉をバラ撒いて全体に収斂させる手法、いわば演繹的作詞の構成になっている。これは東条の他の歌詞「星屑の町」「東京の椿姫」やこの「おさげと・・・」と対をなす「さようなら故郷さん」(歌:三船浩)にも全く同じことが言える。
 この歌の手掛かりは、<おさげと花と地蔵さん>はもちろんのこと。一番は<みんな泣いていた>と<空のその向こう>、二番は<あれから三年もう三月>と<空見て立って>、三番目は<つま立ちながら><思いはめぐる>と<どこかで>であろう。<御下げ><花><地蔵さん>はいずれも故郷の象徴である。ビッグコミック・オリジナルに昭和の時代から連載の西岸良平原作『三丁目の夕日』(映画化:ALWAYS−三丁目の夕日)は、丁度この時代(昭和33年中心)を描いていて、鈴木オートに集団就職できた<六ちゃん>は原作では少年だったが、映画では御下げ髪の少女だった。当時の女性の髪形は、【女児=御かっぱ】→【少女=御下げ】→【娘・女学生=三つ編み】→【成人=パーマネント】が定番であった。<おさげ>は少女から娘に変貌していく思春期の<あかし>みたいなものだったのである。<花>と言えば昔から桜のことである。この歌の場合も桜でもよいのだが、三橋美智也の他の歌にある<東北地方の田舎>を表わすとしたら、野辺に咲く花としたいし、その方が故郷を表象する物としてはしっくりするようだ。特にいたるところに咲いているタンポポ。<地蔵さん>は以前は必ず村外れに立っていた。今でももちろん立っておわすが、町村合併や交通の近代化などで<おらが村>が希釈化され、それとともに<お地蔵さん>の存在意義も薄れてきている。<お地蔵さん>はもちろん地蔵菩薩のことで、子供に限らず衆生を救済する仏であるが、村の外れの境界線に立って、村に災厄や悪疫が入って来ないように子供達を見守ってくれるとされていた。従って、<おらが地蔵さん>の所までが<おらが村>内の安全地帯で、そこから踏み出すとそこは他のお地蔵さんの管轄する外界である。もちろん、江戸封建制の農民の囲い込みの名残りはあるものの、この歌の時代も村意識は残っていて、<お地蔵さん>は故郷を想起させる最たるものでもあったのだ。
 この歌のリリースは<昭和32年>で、この時代に<みんな集まって泣いてさようなら>を言って故郷を離れるとくれば、これはズバリ中学卒業生(後に段々高校卒業生も増えていった)の東京への<集団就職>の見送りである。156年間一緒に暮らした親元を離れて、どんな困難が待ち受けているかも分らない東京の荒波にただ一人で出帆していく子供を見送るのである。お互い涙なくしてはいられない。ましてや、お互いに淡い恋心を抱いていた赤いほっぺのお下げ髪の少女もいたら、旅立つ方はなおさらだ。ここらへんのところは、井沢八郎の「ああ上野駅」の世界である。
 一番の歌詞は【集団就職列車は見送りの愁嘆場を離れてかなり走っている。悲しくて涙がでて仕方ないので、指をまるめて涙を拭うとともに、望遠鏡のようにして覗いて見たら、先ほどの涙の別れの光景が遠く浮かんで見えるように思われた。訣別の意味をこめて心の中で<さようなら・・・>と叫んだら、空の向こうの故郷のほうで、村はずれのタンポポに囲まれたお地蔵さんの脇で、ただ一人千切れるほどに汽車に手を振ってくれた少女の声が遠くで<さようなら・・・>と呼び返してくれるような気がした】というものである。
 二番は【一月一月と指折り数えた年月も、もうあの別れから三年三か月も経ってしまった。あの娘ももう十八を過ぎお嫁に行く年頃のはずだ。それでも、今でもあの別れの時と同じように村はずれのお地蔵さんの脇に立って、東京の空の方を見てくれているのだろうか。しかし自分は今、すぐどうこうできる境遇にないし、いつまでも待たせたらあの娘が可哀想だ。自分はさようならができるだろうか、とそっと自分の心に<さようなら・・・>と呼んで耳をすましていたら、あの娘の<さようなら>が聞こえてくるような気がした。】と解される。
 三番目は心理的に一番複雑で、まず<何にも言わずに手を挙げて、爪立ちながら見てたっけ>というのが、主人公か少女かどちらの動作か分かりにくい。<思いはめぐる>というからどちらでも良いようなものだが、まず、自分たちが列車に乗ったのを見て、大人たちが手を振る後ろで少女が手を挙げて、小さい体で後ろからもっと良く見ようと背伸びしている姿があった、というのが一番自然に思われる。汽車がプラットホームを離れていくのを手を一杯に上げて爪立ちながらいつまでも見送っている少女、というのもごく自然の光景として想像できる。しかしそれでは、<花と地蔵さん>がどこかへ行ってしまうし、<見てたっけ>というのは目撃した事実を言っているわけだから、想像は入りにくい。さりとて、主人公の実体験としたら、汽車の窓から爪立って身を乗り出して手を振っている、くらいの光景しか浮かばないが、これも何か変だ。というわけで、筆者も<思いはめぐ>ってしまうが、三番は【せっかく諦めようと決心したのに、夕暮れどき茜雲などを見て望郷の思いに駆られると、あの娘の顔が思い出され、あのとき懸命に背伸びして手を挙げて見送ってくれたのは本当に自分のことが好きだったのではないか、まだ待っていてくれるのではないだろうか、などと未練な思いは廻り廻って乱れる。そこでもう一度茜空に向かって<さようなら〜〜〜>と呼んで見たら、いずくからともなく、だれからともなく、<さようなら>と言う声が遠く消えて行った】というのが解釈と思われる。
 これと同じことをストレートに表現したのが、春日八郎の「別れの一本杉」(高野公男作詞、船村徹作曲)である。ただ、列車による集団就職は昭和29年(1954年)から昭和50年(1975年)までであるため、この歌の主人公が集団就職で東京に行ったものを歌ったとは思われないが、終戦直後地方へ帰った人たちが、昭和25年ころから<米の配給手帳>を持って、再び東京へ集まり出した時期に合致するから、そうした現象を表現したものなのだろう。

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