JASRAC No.012-0016-0

星の流れに


作詞:清水みのる(曲リスト)
作曲:利根一郎
歌唱:菊池章子
制作・編曲:滝野細道


昭和22年(1947年)
東横映画「こんな女に誰がした」
主題歌


(一)
星の流れに 身をうらなって
どこをねぐらの 今日の宿
(すさ)む心で いるのじゃないが
泣けて涙も かれ果てた
こんな女に 誰がした


(二)
煙草ふかして 口笛ふいて
あてもない夜の さすらいに
人は見返る わが身は細る
町の灯影(ほかげ)の わびしさよ
こんな女に 誰がした


 (三)
 飢えて今頃 妹はどこに
 一目逢いたい お母さん
 ルージュ哀しや 唇かめば
 闇の夜風も 泣いて吹く
 こんな女に 誰がした

懐メロ 童謡・唱歌 八洲秀章&抒情歌
 *09/JUN/30 「細道のMIDI倶楽部」TOPへ

この「星の流れに」は、昭和22年という背景もあって、<パンパン>とか<パン助>と呼ばれた女性を歌った悲しい歌であると思われます。「鐘の鳴る丘」の<チャリンコ>のところでも述べましたが、昭和22年という年は、戦後ぞくぞくと復員兵が帰国してきて一時的に人口が膨れ上がり、一方では働き手が不足していて食糧難がピークに達した年でした。そんな中で<戦災孤児>と呼ばれた少年少女と同様、家族が全部亡くなるか散りぢりとなってしまって孤立してしまった<戦災孤女?>というような女性が続出し、一部は生きるために女性の武器を使って春を鬻ぎ、口に糊するようになりました。これを<パン助>などと呼んで蔑んだのです。この歌の最後のフレーズ ♪こんな女に誰がした♪ という詞はまさに、戦争を始めておいて不幸な結果になったのを反省するどころか、蔑んで差別する<日本国民全員>に対する怨嗟の言葉なのでしょう。国会でも野党の女性議員の質問に対し与党議員が<パン助、黙れ!>などと野次を飛ばす時に使用した蔑称だったのです。しかし、この女性たちの存在が戦後の性の暴走をある程度防ぎ、特に高級娼婦となった女性たちは進駐軍の兵士たちから日本の普通の子女を守る防波堤となった、とも言われました。戦争の後遺症の一断面を抉った歌です。
作詞の清水みのるは、戦前、今見ると反戦歌ではないかと思われるような出征兵士を送る歌「別れ船」や戦争真っ只中の昭和17年将来に希望を託す歌「森の水車」などを作詞する以外目立った<軍歌>を作詞しておりませんので、戦後こうした痛烈な戦争批判の歌を作詞することが出来たのでしょう。


       清水みのるの当倶楽部内の曲目リスト

清水みのる当倶楽部の作詞曲
曲  名 作  曲 歌  手 歌 い 出 し
かえり船 倉若晴生 田端義夫 波の背の背に揺られて揺れて月の潮路の
かよい船 倉若晴生 田端義夫 銅鑼(かね)が鳴るさえ切ないものを雨の
島の船唄 倉若晴生 田端義夫 小島離れりゃ船唄で今日も暮れるか海の上
旅のつばくろ 倉若晴生 小林千代子 茜い夕陽の他国の空でしのぶ思いはみな
月がとっても青いから 陸奥  明 菅原都々子 月がとっても青いから遠まわりして帰ろあの
母紅梅の唄 利根一郎 菊池章子 夢を一つにくれない染めて香るこの花いのち
星の流れに 利根一郎 菊池章子 星の流れに身をうらなってどこをねぐらの
森の水車 米山正夫 高峰秀子 緑の森の彼方から陽気な歌が聞えましょう
別れ船 倉若晴生 田端義夫 名残りつきない果てしない別れで船のかね