鐘の鳴る丘とチャリンコ
NHKのラジオドラマ「鐘の鳴る丘」の主題歌が「とんがり帽子」という曲名であることを、このMIDIを制作するまで知りませんでした。「鐘の鳴る丘」という曲名だとばかり思っていました。この古関裕而の明るい曲は、明るければ明るいほど、同年輩の子供として胸が痛んだものです。今の人たちは、この歌が戦災孤児のことを歌ったものだということは、説明しなければ分からないでしょうし、戦災孤児の悲惨さも、<チャリンコ>が自転車のことだと思っている人たちには分からないでしょう。日本の沢山の都市が悲惨な空襲を受けましたが、昭和20310日の東京大空襲は、沢山の戦災孤児を生み、沢山の<チャリンコ>を生みました。<チャリンコ()>とは、両親を戦災で無くし、寄る辺も無く生きるすべをなくした多くの少年少女が、土管の中や橋の下で暮らし、生きていくために、こそ泥、置き引き、スリとなって、そのうちで電車のなかでスリを働く少年のことを<チャリンコ>と呼んだのです。イラクなどで絶望的な目をした少年少女の姿が重なります。野坂昭如の<火垂の墓>の主人公たちは、悪事を働くことが出来ないゆえに、死んでしまうのです.
終戦後も混乱の中で、しばらく浮浪児やチャリンコなど随所にいましたが、進駐軍の進駐の広がりとともに、こうした戦災孤児の養護施設が増えてゆきました。この「鐘の鳴る丘」は3回ほど映画化されましたが、そのロケ地は信州安曇野にあった<有明高原寮>だそうです(二木絋三氏)。菊田一夫は、悲惨な苦しみを乗り越えて、明日への希望を繋ぎつつ明るく生きていこうとしている少年の心を、巧みに描きました。
【チャリンコが自転車の俗称であることが収載されたのは<広辞苑第五版>からです。】
*1丘の<上>は細道の記憶にあったもので、イラストもそのような情景にしてあり、全音の『抒情歌のすべて』にもそう記載してありましたので<上>としてありますが、一般的には概ね<丘の家>となっているようです。しかし、と再び、歌詞の全体を見てみますと、詩人が、隣り合わせたフレーズに、<丘のの黄色い窓はおいらのよ>とするだろうか、という疑問が残ります。三番の最終フレーズも参照。



チャリンコ談義 
Hosomichi's Illustration

     昭和22年(1947年)  JASRAC Code No.019−0286−1

     鐘の鳴る丘(とんがり帽子)


     作詞:菊田一夫(C)(曲リスト)
     作曲:古関裕而(C)
      歌唱: 川田正子/美空ひばり
     MIDI制作:滝野細道


  (一)
   緑の丘の 赤い屋根
   とんがり帽子の 時計台
   鐘が鳴ります キンコンカン
   メイメイ小山羊も ないてます
   風がそよそよ 丘の上
*1
   黄色いお窓は おいらの家よ

  (二)
   緑の丘の 麦畑
   おいらが一人で いるときに
   鐘が鳴ります キンコンカン
   鳴る鳴る鐘は 父母の
   元気でいろよと 言う声よ
   口笛吹いて おいらは元気

  (三)
   とんがり帽子の 時計台
   夜になったら 星が出る
   鐘が鳴ります キンコンカン
   おいらは帰る 屋根の下
   父さん母さん いないけど
   丘のあの窓 おいらの家よ

  (四)
   おやすみなさい 空の星
   おやすみなさい 仲間たち
   鐘が鳴ります キンコンカン
   昨日にまさる 今日よりも
   明日はもっと しあわせに
   みんな仲良く おやすみなさい


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菊田一夫の当倶楽部内作詞曲リスト

菊田一夫当倶楽部の作詩曲
曲  名 作 曲 者 歌  手 歌 い 出 し
あの丘越えて 万城目正 美空ひばり 山の牧場の夕暮れに雁が飛んでるただ一
雨のオランダ坂 古関祐而 渡辺はま子 小糠雨降る港の町の青いガス灯のオランダ
鐘の鳴る丘 古関祐而 川田正子 緑の丘の赤い屋根トンガリ帽子の時計台
君の名は 古関祐而 織井茂子 君の名はとたずねし人ありその人の名も
黒百合の歌 古関祐而 織井茂子 黒百合は恋の花愛する人に捧げれば二人
フランチェスカの鐘 古関祐而 二葉あき子 あああの人と別れた夜はただ何となく面倒
夜更けの街 古関祐而 伊藤久男 暗い酒場のダイスのかげにひょいとのぞい



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