NET講談

怪我に巧妙あり

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  怪我に巧妙あり(1)

  皆さんは、この物語の冒頭に出演しておりました松吉さんのことをご記憶のことと存じますが、そう、宗寛翁を雪中先導しておりました折、雪の中に行き倒れていた林白仙老を最初に発見致しました人物であります。この松吉さん、御館内でどのような立場にあるかと申しますと、一応下男ではありますが、親の代から中澤家内に長屋を与えられ、夫婦で仕えて参りました、いうところの側用人のような役回りでございました。松吉さんは若い頃、中澤家の勧請で村内に奉学神社という奈良、平安、室町の時代の学者を祀った神社を建立した折、最初から建設を手伝い、宮大工とまでは参りませんがかなりのところまで大工仕事を習得致しておりました。このため、御館の家作の維持管理なども松吉さんが中心となって行うようになり、また、村落内の家々の補修・修繕、これは飯田・高遠の御城下の本格的な大工仕事を要するような作事以外の簡単なものではございますが、宗寛翁の指図で出張っておりました。
 宗寛翁も自身の本草関係の知識を生かし、薬湯や蝮酒などを作って近隣の人々の健康に貢献しようとしていましたし、御館自体が村落の中心となって種々纏めていました。村民の方も何かと御館を頼りにしておったのでございます。この時代、戦国の騒乱も治まり、豊太閤により一応天下も統一され、<太閤検地><刀狩>も行われていましたので、この土地の領主もおりましたが、豊太閤の没後、大阪方と五大老の関係が微妙な趣きとなり、関が原の決戦を前に、またまた領民の帰属が不明確となって参りまして、領民の不安も増しておりました。もともとこの大草の地は戦国時代初期は海野氏の係累中澤氏の領地であり、ために御館と呼ばれてきたのですが、村上氏、諏訪氏、仁科氏、武田氏、織田氏、小笠原氏などの諸勢力が交叉する中で、村落を中心に孤塁を守って来た戦国乱世の気風も残っており、領民の結束も固かったのでございます。応仁以来の郷士中心の気風が残っていたとでも申しましょうか・・・
 このようなわけで、村民は、自分で修理するには手に負えない破損などは御館を頼り、松吉さんも御館の仕事の暇を見つけては、無償で気軽に引き受けておりましたが、不味い事に・・・といいますか、なんともイナセないい男でございましてね。いい男が何で不味いんだ!とお怒りになっちゃあ困りますが・・・当時はご存知のように三代同居といった大家族が多く、男手もある家ではちょっとした修繕は松吉さんでもなかったのですが、中には戦乱や流行り病で男手を失ったいわゆる<後家さん>の家も結構ありました。中には、不味いことに・・・あっ、また申し訳も・・・、作者である講釈師のこの私でも震い付きたくなるような、婀娜な色っぽ〜〜〜〜〜い、後家さんもおりまして。
 「御館様、お呼びでございますか?」
 「おお、松吉、呼びたてて済まぬな。新田のお艶つやの家じゃが・・・」
 「えっ、またでございますか?」
 「また、とな?」
 「はい、ついこの間も、そう、白仙様をお助けしました少し前でございましたか。御館様のご命令で、お艶さんの家に行ったことがございましたでしょう。それが、いや、もう、繕うほどのものではございませんで、家の前の川の橋桁が少し朽ち落ちただけでございました。橋は確りしておりましたし、丸太を少し差し込めば事足りますことでございましたので、御館様には申し訳も御座いませんが、お艶さんには苦情を申したくらいで・・・」
 「そうであったか。ふむ・・・。じゃが、お艶も気の毒な女子でのう。新田の開拓に亭主と入植したのじゃが、あまり開拓出来ぬうちに亭主は慶長の戦にとられ、若くして子持ちの後家となってしもうた。手も不足しておろうから、ここはかまえて行ってやってくれぬか?」
 「はあ・・・あの、お言葉を返すようで恐れいりますが、あのお艶さんの家にはつまらぬ修繕に度々参りましたものですから、村の衆の噂がかまびすしくて、えかい煩うございます。お艶さんも否定なさらないとの噂を聞きつけた家内の民(たみ)にも咎められまして、もう、閉口いたしておりますで・・・」
 「さて、それは苦労をかけるのう。今度お艶が参った折、わしが会うて話をするほどに、今回だけは行ってくれぬか」
 講談ではよく『悋気は女の慎むところ、短気は男の未練のもと』などと申しますが、このお民さん、『悋気は女の特権』くらいに思っております。男振りの良い亭主をもってから余計に悋気が増したのに加えまして、お民さん自身が中澤家の養蚕の中心を担っておりまして、羽振りもよく自信もあったかして、松吉さんに対しかなりの上から目線の物言いも多かったのでございます。
 その日も朝から松吉さんを責め立てておりました。
 「新田のお艶さん、名前の通り艶っぽい後家さんだよねェ、あんた」
 「な、な、なんでえ、藪から棒によ」
 「昨日、針山の弥兵衛さんのとこへお届け物に行った帰りに、あんたのお艶さんに会ったョ」
 「だから、どうだってんでェ。なにがあんたの、だ!ふざけるねェ!」
 「あらそうかえ?『松吉さんお元気?』、だってさ。そう言っとった」
 「・・・・・」
 「それから、『松吉さんのことよろしくね』とも言っとったよ。このあたしに向かってだよ。あたしがなんであんたのこと『よろしく』なんて頼まれるの?何がどうよろしくなのさ?えっ?」
 「・・・・・」
 「え、どしたのさ!何とか言ってごらんよ!」
 「し、新田のお艶なんぞ何の関係もねーや。あの女、何でまたそんなことを・・・?」
 「嘘お言いでないよ! あの女(ひと)の目付きはただ事じゃなかった! 人からも聞いたよ。あんた達二人は割り無い仲だって。悔しー!」 
 お民さんは詰め寄る。
 「そ、そんな噂があるから御館様がお艶に言って下さるって」
 「ほら御覧!語るに落ちるってのはこのことさッ!あたしゃ悔しーッ!」
 お民さんは松吉さんに掴み掛かる。
 「お、おい、よせ!テメー」
 今度は松吉さんがお民さんを張り飛ばす。
  後はくんずほぐれつ、修羅場と化しました。カワラケや煙草盆、果ては鍋、釜まで空中を飛び交う。日頃温厚な松吉さんも、本当に何も無い、むしろ疑われないように努力していたお艶さんとの仲を疑われて、激怒したかして、激しく応酬しました。突き飛ばされて部屋の隅に転げたお民さん、覚えず手に触った手焙りを掴んで松吉さんに向かってハッシと投げつけた。松吉さんは当たってなるものかとサッとかわす。松吉さんに避けられた手焙りは灰を撒き散らしながらコロコロコロコロと転がって、運悪く地中から首を出している甕の一つ、これまた運悪く松吉さんが点検しようとたまたま蓋を開けていた例の薬草酒の甕の中にポンと転げ込んでしまったのでございます。ああ、やんぬるかな!
 「お、おい、お前!あれは!!」
 「あ〜〜ッ、お前さん!」

 「怪我に巧妙あり11」につづく

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