NET講談

怪我に巧妙あり

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    旅人と薬湯の謎


  急に目覚める気配もありませんので、こればかりは致仕方もなく、隠居所に戻りました宗寛翁、久しぶりの軽い食事を摂り、予後をまどろんでおりますると、気だるい静寂の中に、廊下を踏みならす音がトットッと近付き、障子の外で松吉の密やかな声。
 「もし、御館さま、あのお方がお目覚めになりましてござります」
 「おおそうか、疾くと参ろう程に」
 翁が再び奥座敷に赴いたとき、旅の老人は宗寛翁の姿を認めたものか、弱々しく微笑んで、しきりに感謝の意を表したがっている様子を見せました。言葉も懸命に喋ろうという気配は伺えますものの、いかさま良く聞き取れません。冬の寒気に長い間晒されてどうやら喉も手酷く冒されてしまったのでございましょう。そこで宗寛翁、旅人に容態を尋ねて、安否を気遣っている心を示したのち、キチンと座りなおして、子供でも諭すような口調で語り始めました。
 「一つよろしいかな。なにゆえ、我が薬湯をお飲みくださらぬのですか?  この薬湯には、神輿草、おんばこ、しぶき、千振、防風、黒文字と申す薬の草が入っておって、近隣では非常に良く効くとの評判をいただいております。まあ、ご存知無いのも無理からぬことではございますが、神輿草は現之証拠(ゲンノショウコ)と申しましてな。服用すれば直ちに効果が顕れるという意味の霊験新かな薬草です。胃の腑を丈夫にし、食欲を出させます故、そこもとには、必ずや薬効があるはずです。オンバコと申しますのは尿(シト)を整え咳を鎮めるの効能があると言われておりまして、これはわたしもこの目で確かめております。シブキ(筆者注:江戸中期よりドクダミと呼称す)も尿を整え、火傷や凍にも大いに効果が有ります。その葉は、お助けした夜に何度もそこもとの手足に貼って差し上げましたぞ。センブリは千度振りだしても苦い所から名付けられました「良薬は口に苦し」を地で行く霊薬ですが、それだけに胃の腑を整えるの効き目はこれが抜群です。ボウフウは風を防ぐと書きますが、その字のとおり、汗を出し痰を切って風邪(フウジャ)の気を取り払ってくれます。クロモジはこの苦い薬湯を香味で飲みやすくすると同時に、血を整えるの効果があります。それぞれの効能は今申し上げたとおりなのですが、およそ薬湯と申しますものは、その配合が最も重要でございましてな。配合の妙によりましては霊薬となる反面、ひとたび間違えますると、これが凡薬と成り果てるという、なかなか経験を要するものでござりまするでな。何をお疑いかは知りませぬが、余人は知らず、この薬湯もこの地方では経験と伝統によって造られたものですから、ここはひとつ、騙されたと思ってお飲みになったがいかがと存ずる。喉には障らぬよう冷まして差し上げるほどに」
 大道芸人の例の常套句まで使って熱心に語りかける翁の説明を、旅老人も頷きながら聞いておりましたが、聞きおわると同時に、不自由な口で何か懸命に話し掛ける様子を示しました。かっと目を見開いて、口を引きつらせながらも、一語一語、語りかけようという仕種でございます。
 「えっ、今何と申された?」
 翁は慌てて旅老人の口元に耳を近づけ、もう一度言葉を促しました。老人はなおも懸命に語り掛けます。
 「ふむむ・・い・ん・よ・う・・・とな?」
  確かに<イ><ン><ヨ><ウ>と聞こえました。
 「い・ん・よ・う、とは、ハテ?」
 枕頭の二人、翁と道庵先生は首を傾げました。首を傾げて回答が出れば裏のポチなどは天才であります。インヨウと言えばなんだ飲用のことではないか、飲むと言っているではないか、簡単ではないか、おめーっち馬鹿じゃないか、と焦るのは半可通の素人の浅ましさ。当時、インヨウと言えば陰陽、陰葉位しかなく、飲用、引用は後世の知恵でございます。そこで分からぬながら二人並んで首を傾げました。
 「陰陽と申せば明(ミン)の易学の陰陽道(インヤウミチ)のことじゃが、この日の本ではさしづめオンミョウドウであろう。陰陽師(オンミョウジ)でも呼んでくれいということかの」、と宗寛翁。
 陰陽師とは今で言う祈祷師のようなもの。一方、道庵先生の首は傾がりっぱなしで、とんと頼りになる気配も見えませんし、先生の方も係わって貰いたくない様子が見え見えであります。
 「陰陽師より我が薬湯の方が余程効きますぞ。それに何と申しましても片田舎のこととて、陰陽道の修験者などはこの付近にはおりませんでな」
 それを聞いて旅人は弱々しく首を左右に振りましたが、残念がっているのか、もどかしがっているのかすら一向に分かりません。最前、頻りと首を傾げる二人を見ておりますので、殊の外不信感を抱いて話を通すのを諦めたかとも見えます。そのまま頭を枕に預けて瞑目してしまいました。慌てた道庵先生、首を傾げたまま脈をとり、今度はシャキッと首を伸ばして医家の姿で頷きました。まだ,大丈夫のようでございます。
 と、突然。再び旅人は目をかっと開け、道庵先生がびっくり仰天後ずさりしているうちに、懸命に声を出し、今度はハッキリと「い、ん、よ、う、か、く・・・・」少し間をおいて「お、た、ね・・・」と申したのでございます。
 「何、[いんよう・か・く]とな?  いんよう−かく、と・・・  道庵先生、どうでござろうか?  いんよう、ではなく、いんようかく」
 道庵先生、医家にあるまじき最前の醜態の気まずさもあってか、自分に聞いてもとても無理という具合に横を向いて思案の体でおりましたが、突然ハタと膝を叩いて叫びました。
 「今、この御仁は[おたね]とも申されましたぞ。これはもしや斯界で申します御種人参のことではござりませぬか?  のう、旅のお方?」
 
旅人は、我が意を得たりと、大きく頷きました。それを見た道庵先生は得意満面。
 「やはり御種人参のことでござりましたなァ。これ、旅のお人、御種人参なんぞを所望されてもこの田舎のことじゃ。滅多には手に入り申さぬ代物ぞ。何しろ、金の重さと御種の重さと同価値じゃというで。太閤様が先年朝鮮を攻めなすった本当の理由は、明を攻略せんというよりは、御種人参を手に入れたいがためだったそうな。そのような高価な物を申されても、いくら御館さまでもこれは無理というものじゃわい」
 御種人参とは今で言う朝鮮人参のことでございます。しかし、旅人はまたもや首を横に振るではありませんか。残念というではなく、どうも道庵先生の言っていることが旅人の言わんとしていることと違うらしゅうございます。
 「[おたね]の意味は御種人参のことと分かり申した。じゃが、[いんようかく]とは何で御ざろう、のう、道庵先生?」
 「むむ、あの、それは・・・」
  医者然として鷹揚に振る舞っていた道庵先生、質問を向けられました途端、たちまち普通の人に戻ってしまいました。折角ポイントを挙げたのも束の間、またもや最初の疑問を突きつけられて、憮然としてしまったのでございます。
 しかしその時、今度は宗寛翁の方がはっと気がついた。   「怪我に巧妙あり」5につづく

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