NET講談

怪我に巧妙あり

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  旅人、覚醒す・・・

 「あれ、御館さま、どうぞお許し下さりませ。たませえを抜き取られると申すではござりませぬか」
 座敷女中のお妙は袖で顔を覆ってしまいました。当時からこういう自意識の強い女性(ニョショウ)もいたのでございます。しかし、この場合は宗寛翁の横車と申すもの。
 「役に立たぬ奴ばらじゃの。よいわ、わしがやって見るほどに。薬湯をもて。」
 宗寛翁は旅人の頭を後ろで支え上げ、口が開くようにして、口移しに相手の口へ薬湯を注ぎ込みました。松吉とお妙は目を見張って見つめております。旅人も無意識のうちにも噎せることなく薬湯を飲んだようでございます。
 その時、宗寛翁も屈み込んでいた頭を急に上げた故でありましょうか、突然クラクラと目眩がし、ゾクゾクと悪寒を覚えました。お妙がそれを目敏く見つけまして、「御館さま、お顔の色が。時刻ももう丑の刻を回ってございますのでどうぞお休み下さりませ。この御方は私たちがずっと見ておりますほどに。さ、御館さまもこの薬湯をお飲みになって」
 中澤宗寛翁、普段は目に慈愛を湛えた好々爺でありましたが、事を決めるときは果断にして積極果敢、こうと定める時は梃子でも動かぬところがございます。この時も、折角雪のなかから助け上げた旅人の容態は最も気になるところですので、座を離れることなど当然のこと拒否するものと思いきや、奇妙に素直にお妙の言葉に従いまして、床に臥せりました。案の定、その明け方から宗寛翁、高熱を発して寝込んでしまったのでございます。この寒空に下帯まで外して、救助に汗をかきその汗が急に冷えたりして、身体にこたえたものと思われます。
 中澤宗寛翁の高熱は三日三晩続きました。そして、高熱の幻とうつつの間で何度も何度も同じ夢を見ました。色々と工夫を重ね、薬草の種類や薬湯の煎じ方、配合などに変更を加え、誰かに飲ませようとするのですが、顔のない相手は頑に拒んで飲もうとはいたしません。無理矢理に飲ませようとしますると、なにか叫んで払いのけられる始末。
 薬草の種類を替え、宥めたりすかしたりしても駄目でございます。
 「はて、どうしたものかのう」
   ほとほと困り果て、途方に暮れているところで決まって目が覚めました。その度に、行灯の陰に心配げな顔が見えたようでございます。何回も何回も同じ夢で起きました四日目の朝、気がつくと熱も下がり、身体も軽くなりましたようでございます。枕頭には片桐宿の本多道庵先生、妻女の波津媼嫗、座敷女中の妙の三名が並んでおりましたが、すでに道庵先生から回復したことを聞かされていたものか、一様に明るい顔をしております。
 先ずは良かった。そうなりますると、ふっと心をよぎります旅老人の安否。
 「あの旅のお方は・・・雪のなかに倒れておったお人はどうなされた?」
 「はい、翌日お気がつかれまして、手足の凍(コゴエ)も大方溶けましてございますが、まだ、紫の色に腫れ上がっておりまする。何もお食べになれず、精の気が戻って参りませんようにござります。道庵先生にも診ていただきましたなれど・・・。先生、いかがな具合にござりましょうか?」と、波津女。
 「左様、奥方が申されましたように、お気はつかれましたものの、いつかな生きようという気力が甦ってまいりませんようで困ります。脈も弱々しく、血の道筋も良くありませぬ。耳は聞こえますようにござりまするが、目はあまりお見えになりませぬようで。口が利けず、話もできませんのでほとほと困り果ててをります。が、何より、御館さまの折角の薬湯をあまり飲んでいただけませんでな。お休みの時は、こうして竹筒にこのうな飲み口を付けましたもので、少しずつはお飲ませ出来まするが、お目覚めになりますと頑に拒まれます」
 「ほう、薬湯を、飲みませんか。何故飲まぬのでしょうかな?」
 「確とは分かりかねます。何かを仰りたいのでしょうが、ただただ、首を横に振るだけにて、真意のほどは申されませぬでな・・・なかなか」
 「薬湯だというのは分かっておるのですか?」
 「それは良く分かった上でのことと思われまする」
 「ハテ、飲む気力が無いのですかな」
 「いえ、言葉は聞き取れませぬが、飲むことはできるものと思われます」
 「ふーむ、左様か。それは奇態なことじゃな。では儂も参って確かめて見ようぞ」
 起き上がろうとする宗閑翁に道庵先生が止めに入る。
 「まだ起きてはいけませぬ。もそっと、もそっと暫くの間お休みを・・・」
 「いや、道庵先生、お蔭様で大分体も軽くなりました。もう大丈夫でござるよ」
   起き上がった宗閑翁、さすがに三日も臥せっていたものですから、覚えずフラフラと立ち眩みました。
 「ほら、言わぬことではない。医者の言うことは聞くものでござりまするぞ。もう暫く安静に、安静に」
 「大事無い、大事無い」
 この時の宗寛翁にとって、道庵先生の言葉に従うより好奇心の方が遙かに勝っておりました。それに、自分の丹精込めて造り上げた処方の薬湯を通りすがりにすぎない旅人に拒絶されて、少しく憮然とした気持ちもあったのでございましょう。 つと、袖を引いて止めようとする道庵先生の肩を制し、翁は思いの外確りとした足取りで隠居を出て、奥座敷に向かいました。後ろには慌てて道庵先生と妻女が続いております。
 軒先から差し込む日差しは心なしか強さを増したようで、南天の上に積もった雪も朝日にキラリと光って雫を落としております。渡り廊下の日溜まりは、朝夕の寒の厳しさを忘れさせてくれるようにのどかでありました。暑さ寒さも彼岸まで、と言われますお彼岸も、春も、直ぐそこまでやって来ております。
 生憎、旅の老人は昏々と眠って居るところで、目は眼窩まで落ち窪み、渋紙を引いた様な顔色には精気というものが感じられません。道庵先生も再び脈を検めて首を横に振るばかり。外の明るさや温みに比べまして部屋のなかには重苦しい空気が澱んでいるようでございます。口を開くものもありません。   「怪我に巧妙あり4」につづく

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