NET講談
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謎、氷解! 経験則に拠りまして、薬湯はあまり沸騰させて煎じたり致しますと、不純物ばかり出たり成分を傷めたりしますので、成るべく低い温度で長時間静かに煎じ出した方が良いとされていました。また、余人は知らず、中沢宗寛翁ほどな人物ともなりますと、先程も述べましたように、神農本草経など中国より渡来の古書に接しておりましたので、酒で長時間煎じ出すのが、同じ薬草を同じ量使用した場合、一番効果的であることは知っていました。 とは申しましても、薬酒に対する旅人の、この激しい反応は予想外のものでございました。薬酒の事を知悉しておりませんと、あり得ない反応でございます。そこで翁はこの旅人の人物像に、改めて疑問を抱いたわけでございまするが、この後に起こります事件が件(くだん)の薬酒の将来について、まことに画期的なものになろうとは、神ならぬ身の知る由もございませんでした。 「ほう、薬酒で驚かれましたか。薬草の酒程度で驚きめさるな。この地方には昔から蝮酒というものがございましてな。採って参った蝮を生きながら甕の中へ放り込み、ふたを締めますと、蝮も地上で生あるもの、もがき苦しみ、少々の重さの蓋は開けて出てしまうくらいで。その、まさに死ぬる間際の苦しい最中(サナカ)に、毒の長虫特有の精気と毒を酒のなかに放ち、それが酒のなかで溶け合いまして、えも言われぬ微やかにして妙なる効果を出しますのでな。ただ、まことに臭いと気味が強いゆえ、そこもとがもそっと回復なされたら、この蝮酒を差し上げましょうぞ。」 宗寛翁は溜め息を一つついて続けました。 「それにつけても、そこもとが言われた[いんようかく][やくもそう]の意味が分かりましたらなあ。薬草の名前らしいことだけは分かり申したが、そのあとがトンといけぬ。土地の人にはいくら聞いても分からぬし、第一、儂が一番薬草には詳しいのじゃからのう。縋るものがあれば、枯れ草でも良いから縋りたいものじゃて。・・・・・そういえば、あのときそこもとも、土手下へ落ちるとき、枯れ草を掴んで防ごうとしたようじゃが、はっはは、あの様なものでは何の足しにもなりませんな。・・・・・おや、旅の方、どうなされた!確りなされ!」 淡々と話を続けていた宗寛翁がふと気付いてみますると、件の旅人は異常な反応を示しているではありませんか。不自由な手を動かし、顔を真っ赤にし、声にならぬような奇声を上げております。 「これ、旅のお方、儂が何か気に障ることでも申しましたか?」 翁は慌てて宥めようとしましたが、旅人は翁の顔を震える指で差して、何か伝えたいようすでございます。 「どの話でござるか? 蝮酒のことかな?] 旅人は分かって貰えない焦れったさを感じているようす。 「蝮を酒に放り込んで、生きながら甕詰めにする所かな?ちと残酷でござったかな?」 どうも違うらしい。 「回復したら蝮酒を飲ませて進ぜる、と言ったことでござるかの?」 またもや違うとの反応。 「あとは[いんようかく][やくもそう]が何の事やら分からぬ、との話を致しただけで・・・」 旅人は<そうそう、その話>、とでも言いたげに身をよじっております。 「[いんようかく]の意味が分かるなら枯れ草にでも縋りたいと・・・」 いよいよ焦れったそうなようすですが、今度は声ならぬ声を上げております。 「困ったのう。他にも何か話したかな・・・うん、そうじゃ、そこもとが土手下へ落ちるときに枯れ草に縋り付いたという・・・」 今度は激しく肯定の表現を致します。 「ああ、あの言葉でござったか!じゃが、あの枯れ草は、何じゃったかな・・・あ、たしかイカリ草じゃったかな、何の変哲もないただの野草で・・・・・」 もう旅人は居ても立ってもおられないと言わんばかりの風情で、体の方が心配されるくらいでございます。そこで、宗寛翁、はっと気がついたのでございます。 「そうか!そこもとは落ちるときに枯れ草に取り縋ったのではなく、あの草を取ろうとして落ちなすったのじゃな!して、あのイカリ草は[いんようかく][やくもそう]のどちらでござるのか!?」 再び懸命に物言わんととする姿。 宗寛翁は旅人の口に耳を近づけた。 旅人の口から言葉ならぬ言葉、「い・・ん・・・」、と。 「さすれば、あのイカリ草こそ[いんようかく]!」 * * * 伊那谷の春は少しく遅く、平地で桜の咲きまするのが、現代では4月15日から20日前後の事でございます。この旧暦二月も半ばともなりますと、今で言う3月上旬から4月上旬。旅人が遭難致しました時から半月以上が経過しており、この信濃の山奥でももう半月もすれば桜の声も聞かれようか、という季節となって参りました。とはいえ、雪はまだ溶けたわけではございませんし、時々新雪が降りもします。 しかし、宗閑翁、到底雪解けを待ちきれるものではございません。イカリ草が旅人の言う[いんようかく]と判明致しました次の日の朝から下男を督励致し、また、自らも手飼いの牛に跨がって山奥に出掛けまして、イカリ草を探しました。普段、何気なく山野を歩いておりますと、イカリ草などはそこにもここにも直ぐに見つかる野草でございます。が、いざ見つける段ともなりまするとこの雪の中、なかなか発見出来ません。勿論、最初に旅人を助けました所には真っ先に行ってみました。旅老人が取りすがった辺りの雪を全部取り除いて見ましてもいつかな見つかりません。実は、淫羊〓(〓のところには、【廾くさかんむり】の下に【雨】と書きその下に<進>という字のしんにゅうを取った中の【隹】と書くのですが、ここがNET講談の悲しいところ。この文字はゲイツ氏の遠い陰謀によりウェブサイトには載せることができませぬのが残念)と言う生薬はイカリ草の根茎をも利用するものですから、その辺りを掘ってみれば良かったのですが、宗寛翁にも誰にもそのような事は分かりません。ただ闇雲に枯れたイカリ草を求めて山に入り、川を渡りました。 「怪我に巧妙あり」7につづく -6- Page:|1|2|3|4|5|6|7|8|9|10|11|12| |