NET講談

怪我に巧妙あり

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  蝮酒と薬湯のコラボ

 「あの時は、ただもう淫羊カクを見つけた嬉しさに我を忘れてしまいまして、足場も確かめませず手をのばして、あとはもう何が何だか」
 「私も供の者を三人連れておりましたのでようございました。葬儀の帰りに貴殿をお救い出来ましたのも、仏のお導きでもござりましょうかな」
 「本当に危ういところを、お礼の言葉も・・・」
  と、つい何十回目かのお礼の言葉となってしまいます。
  幾山のご恩に報ひたく思へども、と言うのは講談の常套句でございますが、林白仙老には報恩の物とて何一つございません。ありますのは本草学の知識と、淫羊カク、益母草という画期的な二つの生薬のみ。自ら実験台となって、淫羊カク、益母草と他の薬草との配合の確定に貢献したような気はしますものの、危うい所を助けて貰った気持ちの方が数段強いのは仕方のないことでございます。
 「いえ、もうそのような事は申されるな。貴い二つの薬草を教えて頂いただけでもう十分でござるよ。こちらの方がお礼を申さなくてはいけないくらいで」
 「そのように仰られると、また身の置き所が無くなるような心地が致します」
  と、またひとしきり講談調の麗しい場面がありまして後、林白仙老は続けました。
 「私は蝮酒なるものは聞き及びませず、当地に参りまして初めてご老体より承りました。まだ、気も定かならぬ時でございましたし、確と覚えてはおりませなんだが、蝮酒を飲まさせていただき、気息も萎えんとしたときに持ち直したのはこれは確かなことでございます。いかさま、毒の長虫の精気が私の体に蘇りましたものでございましょう。明の国には、漢の時代から三鞭酒という薬酒がありまして、これが蝮酒と同じように、特別な種類の蜥蜴、長虫、山椒魚などの三種類の陰嚢を酒中にいれて、精を強める葯酒としたという話を聞いたことはござります」
 ここで突然ご免を蒙って講釈師が登場します。出て参りました<三鞭酒>といいますのは、現在の中国では仏国の<シャンペン>のことでございますので、誤解なきよう願います。では・・・
 「人は気の力と体の力が合わさって生きているものですから、主として気の力を蘇らせる蝮酒と、気もさることながら主として体の力を蘇らせる薬湯をうまく合わせれば、理に合うた薬酒が出来上がるのではないかと存じます。非力ではござりますが、それがし全力を尽くしますほどに、力を合わせて新しい素晴しい薬酒を造ろうではござりませぬか」
 男が女性とナニを致そうと思い立ったとき、一番必要とされるのは体力よりは精神的な気力、つまり精力であります。体力はいくらあってもソノ気が伴わず、思い立つだけ立っても肝心な物が立たなければ女性は迷惑するだけであります。アッ、要らざる失礼をばいたしました・・・気力は体力と共に人間が生きてゆく上で必須のコラボレーションなのでございますな。そのため白仙老は、蝮酒と薬草湯を組み合わせた新しい薬酒を造るのを手助けして、それをもって恩返しとしようと決心したようでございます。
 先の言葉のように、蝮酒というのを白仙老は見ておりませんでしたが、素晴らしい効能がありまする事は、長い過去の経験と、実際に宗寛翁の臨床経験により証明されておりますので問題がありません。しかし、いかんせん臭いが酷く、白濁した酒の中に黒く長いものと、鱗が見え隠れしているといいますのも、誠に不気味と言えば不気味であります。飲用するには、かなりの勇気と決断が必要であります。
  一方、蘇命湯を基本とした薬湯の効能も、白仙老が回復の兆しを見せはじめてからいろいろと配合を変えたり、量を変えたりして近隣の病人に与え、ま、現代でしたら、無許可の人体実験じゃないか、などと横やりが入るところでしょうが、物語は戦国時代末期のもの、やはり最初の林白仙老に著効のあった処方、神輿草(ゲンノショウコ)、しぶき(ドクダミ)、防風(ボウフウ)、黒文字( ウショウ)、イカリ草(インヨウカク)、めはじき(ヤクモソウ)、が一番効き目があり、飲みやすいということが判明しておりました。しかし、煎じ薬そのものが黒い粉末状ですので、どぶろくの白く濁った中に入れますと、不気味な灰色に濁った液体となってしまいます。
 これらの、効能はあるけれど不気味である、という二つの液体を一つにしようというのですから、並大抵の仕業ではありません。
 蝮酒と蘇命湯を混ぜて熟成させるのは地中がよい、との提案が白仙老からなされました。地中とはいっても甕のまま地中深く埋めてしまうわけではなく、甕の首の部分を地上に残して、胴体の部分をすっかり地中に埋めてしまうという方法です。中国の老酒などは二年以上も地中深く埋め込んで熟成させ、時を経て掘り出す方法をとっておりますようですが、今回の計画は試行錯誤を主体としたものですから、実験の趣が強く、簡単に入れ替えできるようにしたのであります。中澤家の中庭は築山などもある広いものでしたが、それも木を切り平らにならして、沢山の甕を埋め込みました。それでも中庭だけでは足らず、作男たちの長屋の前の庭まで甕の首が並ぶこととなったのでございます。現在の実験室を見てみますと、二、三十本も対象の液体が入った試験管を並べておいて、ピペットで試薬を垂らし込んでいく方法ですので、あまり場所をとりません。しかし、それを甕を庭に埋め込んで、試験管の一本としようというわけですから、いくら広い庭がありましても、なかなか足りるものではございません。
 光景は今日のものと対比しますと、浄水場といったところでしょうか。甕の首は地上とほぼ同じでしたから、異物が入りやすいというので、蓋の周りを和紙で固めて蝋で封印されていて、用のあるごとに封蝋を解くことになっておりました。作男たちも野良に出るよりは、甕の管理、開封の手伝い、実験の用意などの方が主たる仕事となってしまったのでございました。
 一族郎党を挙げて、懸命に試行錯誤を繰り返しました。山積した難問のうち殆どは解決したのですが、肝心の二つに満足すべき解決が出来ませんでした。
 「どうしても白い濁りが取れぬのう。それからあの臭いじゃ。かなり良くなってはおるがのう」
 「それがしの案じましたもののために、返ってご迷惑をお掛けするようなことになってしもうて。なんとも、はや・・・」、と、白仙老。
 「いやいや、そんなことは決してござりませんぞ。これは、私が是非にと望んだことですので、一切ご懸念には及びません」
 とはいえ、絹漉しくらいで解決すれば世話はないのですが、残滓は取れても色や臭いは全く駄目です。新しい薬酒を、と、一念発起はしてみたものの、試行錯誤にも限界がありまして、ほとほと困じ果ててしまいました折も折、懸案の薬酒にとりまして二度目の劇的な事が起こったのでございます。
 「怪我に巧妙あり10」につづく

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