昭和23年(1948年) JASRAC No.007−0033−9
異国の丘

作詞:増田幸治 補作:佐伯孝夫(C) 作曲:吉田正(C)(吉田正の倶楽部内曲目)
歌唱:竹山逸郎/中村耕造 MIDI制作:滝野細道

(一)
今日も暮れ行く 異国の丘に
友よ辛かろ 切なかろ
我慢だ待ってろ 嵐が過ぎりゃ
帰る日もくる 春がくる
 (三)
 今日も昨日も 異国の丘に
 おもい雪空 陽がうすい
 倒れちゃならない 祖国の土に
 辿りつくまで その日まで

(二)
今日も更け行く 異国の丘に
夢も寒かろ 冷たかろ
泣いて笑うて 歌ってたえりゃ
望む日がくる 朝がくる
 八洲秀章&抒情歌 懐メロ 童謡・唱歌
  2006/SEP/01  「細道のMIDI倶楽部」TOPへ 


異国の丘のエピソード
吉田正(よしだただし、1921年1月20日〜1998年6月10日、茨城県日立市出身)は、1942年
(昭和17年)、満州の水戸連隊に入隊し、満州の兵の多くが経験したように、終戦と同時にロシア軍
に連行されシベリア送りとなりました。シベリア抑留中の過酷な生活は後の世で知ることとなりました
が、まさに歌詞にあるそのままの状況を増田幸治が「昨日も今日も」という詩に書き留め、吉田正が
曲を付けて、隊の皆で歌って、『絶対祖国にたどり着くのだ』と歯を食いしばって耐え忍んだのでした。
三年間の過酷な抑留生活を生き抜き、昭和23年8月舞鶴港に降り立ちました。復員していくばくもし
ないうちに、どこかで聞いたような歌がそこかしこから聞こえてきました。自分たちがシベリアの抑留
地で作った「昨日も今日も」でした。先に復員していた抑留者が広めたものでしょうが、誰が作ったも
のやら、何処から来たのやら、作詞作曲者不詳として広く歌われていたのでした。曲名も「異国の丘」
と改められ、佐伯孝夫の補作も得て、著作権関係も明確となって、吉田正は日本ビクターに専属作曲
家として入り、鶴田浩二、三浦洸一、フランク・永井、橋幸夫
吉永小百合、和田弘とマヒナスターズ
などの歌手を育て上げ、九死に一つの生を得た体が、1998年に国民栄誉賞を受賞するまでになっ
たのでした。

吉田正の当倶楽部内のアップ曲

吉田 正当倶楽部の作曲
曲  名 作  詞 歌 手 歌 い 出 し
哀愁の街に霧が降る 佐伯孝夫 山田慎二 日暮れが青い灯点けて行く宵の
赤と黒のブルース 宮川哲夫 鶴田浩二 夢をなくした奈落の底で何をあえ
異国の丘 増田幸治 竹山逸郎 今日も暮れ行く異国の丘に
潮来笠 佐伯孝夫 橋 幸夫 潮来の伊太郎ちょっと見なれば
いつでも夢を 佐伯孝夫 橋  幸夫 星よりひそかに雨よりやさしく
美しい十代 宮川哲夫 三田 明 白い野バラを捧げる僕に君の瞳
江梨子 佐伯孝夫 橋 幸夫 冷たい雨の降る朝に一人で
落葉しぐれ 吉川静夫 三浦洸一 旅の落葉がしぐれに濡れて流れ
傷だらけの人生  藤田まさと  鶴田浩二  何から何まで真暗闇よすじの通 
好きだった 宮川哲夫 鶴田浩二 好きだった好きだった嘘じゃなか
東京午前三時  佐伯孝夫 F・永井  真っ紅なドレスがよく似合うあの 
東京ナイト・クラブ 佐伯孝夫 永井・松尾 なぜ泣くの睫毛がぬれてる好き
東京の人 佐伯孝夫 三浦洸一 並木の雨のトレモロをテラスの
泣かないで 井田誠一 和田弘M さよならとさよならと街の灯りが
弁天小僧 佐伯孝夫 三浦洸一  牡丹のようなお嬢さん尻尾だす 
舞妓はん 佐伯孝夫 橋 幸夫 花のかんざし重たげに聞いて
街のサンドイッチマン 宮川哲夫 鶴田浩二 ロイド眼鏡に燕尾服泣いたら
有楽町で逢いましょう 佐伯孝夫 F・永井 あなたを待てば雨が降る濡れて
夜霧の第二国道  宮川哲夫 F・永井  つらい恋ならネオンの海へ捨て