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千歳忍の独り言

なんでも解説!

1999年 6月

1998年 < 1月 2月 3月 4月 5月 6月 7月 8月 9月 10月 11月 12月 > 2000年

 

もくじ

6月25日・・・・・文章を書いてみよう その1
6月26日・・・・・文章を書いてみよう その2 作文編
6月27日・・・・・文章を書いてみよう その3 読書感想文編


6月27日
ひさびさにレンタルCD屋に行ってきました

 読書感想文を書いてみよう

 まー、これも夏休みの宿題の定番ですね。普通、どれぐらいでしたっけ? あまり記憶にないのですが、原稿用紙2枚以上とか、3枚あたりなんですかね。
 換算してみるとわかりますが、たかだか800文字1200文字であるわけです。そう考えると少ないような気がしますが、いざ書いてみると、やはりマスは埋まっていかないのですね。(ちなみに、千歳のコラムですが、毎回2500字ぐらいを目標に、多少前後するように書いてますが、これでもかかる時間は30分ぐらいです)
 それで、どうしても粗筋(というより、引用ですね)を多く入れて、字数を稼ぐのですが、それを先生がチェックして、もう少し感想を書きましょうとか言ってくれるわけです。
 作文のところでも似たような事を書きましたが、文章の発音方法はやっても読み方は教えてくれないんですね。感じた通りに書きましょうなんて。それでいて、テストの時間には、「次の文を読んで、作者の意図するものを番号で答えなさい」なんて。あんたが作者じゃないんだから、本当の答えなんかありはしないし、好きなように受け取ったのなら、好きなように書いて正解なはずなのにね。
 と、教育の愚痴を仕手も仕方がありませんね(笑) これも簡単に各コツのようなものを伝授しましょう。

 最初に、どのような物語だったのかを書いてしまう。
 これは、途中の引用を避けるためです。もちろん、全体に均一に書く必要はありません。自分の書きたいなと思ったところを中心に、数行にまとめるのがいいでしょう。書いた感想文を読んでもらう人に対して、こんな本だったよという程度のものでいいと思います。ただし、これは、文中に織り交ぜてもかまいませんし、そのほうが自然でもあります。読んだ本の内容や、書きたいと思う内容に合わせて調節するのがベターだと思います。
 「15ページのA君がXXXXと行ったセリフ、これはおかしいです」なんて書いても、ぜんぜん分からないんですね。引用が多いと、物語がなんなのか追いかけにくいです。ものが局所的過ぎるんでね。せめて、その近辺で話を通じるようにまとめるのが上手になる方法だと思います。

 次は、いきなり内容です。作文のように、5W1Hなんて、あまり気にしなくてもOKです。はやり、自分の感じたところを中心に押さえておくべきです。こればっかりは、読む人の感性ですからね。
 ですから、すでに、読むときから「ここら辺を書こう」と気に入ったところを覚えておくのがポイントです。うだうだと最後まで読んでしまっては、後からペンをとったときに「はて、何を書こうか」となってしまうわけですね。ですから、感想文は、読むときに注意を払っておく必要があると思います。
 次に、なんで、そのポイントが気になったのかを覚えておきましょう。たとえば浦島太郎で、カメがいじめられているシーンを気にかけたとします。そうしたら「私は、動物が好きなので」いじめられているのが嫌だった、というふうにすればいいのです。もしかしたら、「いじめるという行為が許せない」かもしれませんし「私もいじめられ易い体質」なのかもしれません。
 主人公や登場人物を思うのは当然ですが、他にポイントとして、書き手側に立ってと言うものがあります。具体的には「珍しい言い回しや表現」「舞台や、国」「なぜこれを書いたのか」なおでしょうか、他にもいっぱいあります。戦争の悲惨さを訴える物語があったとしましょう。この場合、登場人物の感想以外にも、「主人公の××君は、作者本人なのかもしれません。自身が体験してきたことを、より多くの人に知ってもらいたいとする姿勢が感じ取れました」という具合です。すると先生は、おお、この子は、いろいろ考えながら本を読んでいるのだな、と思うこと間違いなしです。

 そういったポイントを、何ヶ所か押さえておき、、本を読み終わった時点でまとめなおします。はやり、前半、中盤、後半、またはクライマックスあたりで1ポイントぐらい選んだほうが、全体的なまとまりのレベルが上がります。
 それでは、誰でも知ってる物語を題材に、ちょっと上級生向けに書いてみましょう。

浦島太郎を読んで

 ある日、浦島太郎という漁師が浜辺を歩いていると、いじめられているカメを見つけます。それを助けると、竜宮城というすばらしいところに案内してもらえるという物語でした。
 その、カメがいじめられている所で、浦島太郎は、子供たちにお金を渡して、カメを売ってもらうことで助けることにしましたが、私には、もう少し他の方法はなかったのかと思います。だって、浦島太郎はとても貧乏なのですから。でも、その優しい心は見習うべきだと思いました。
 最後、竜宮城から帰るとき、乙姫様から玉手箱をもらい、浦島太郎は地上へと帰るのですが、そこでは数百年の時が過ぎ、浦島太郎の知らない世界となってしまっています。途方に暮れた浦島太郎は、開けてはいけないといわれた玉手箱を開け、中に入っていた煙とともにお爺さんへとなってしまします。この玉手箱と、乙姫の意図した言葉は、一体何を意味するのでしょうか。浦島太郎が途方に暮れてしまうことまで考えていたのでしょうか。それとも、乙姫はこういう浦島太郎のような人を数多く見、そして、送り出していったのかもしれません。もしかしたら、一番の被害者は乙姫なのかもしれません。
 昔話と馬鹿にできない、非常にメッセージの込められた作品だと思いました。

  この感想文だけで、500文字強、実際には、これあけで、原稿用紙1枚半は埋まってしまうでしょう。ほら、簡単ではありませんか?
 どうですか? 言う書を押さえて本を読むと、意外と簡単に感想文が書けそうな気がしてきませんか? 文そのものを書きはじめたら、あとは作文と一緒です。書きたい文の骨格を考え、肉づけし、整形する。慣れると、ここら辺の作業は頭の中で勝手にやってくれます。

 文章を読んでいくと、いろいろな文字に現れない表現や、気持ちが埋めこまれています。そこまで読めると、本を読むのがすごく楽しいですよ。

 今日の一言 「次は、いろいろ細かいテクニック編?」

(千歳にテクニックなんてあるんか?)


6月26日
部屋の掃除に明け暮れる1日

 作文を書いてみよう

 国語の授業で夏休みのあったことを作文にしてみましょう。
 なんて、秋口の小学校なんかでは、まず間違いなく聞かれる言葉ですね。しかしまた、古い記憶を呼び戻しても、「作文を書け」とは言われても「作文の書き方」というのは習った記憶がありません。先生は、いつも「思ったことを自由に書いてみましょう」と仰しゃるばかり。起承転結が云々とは言われましたが、作文できちっとオチをつけるのもなかなか難しいですね。
 アメリカのように、口から出た言葉をそのまま文章にできる国と違って、日本語は、口語と文体がだいぶ異なりますから、思ったことをそのまま文章にしては、なんとも、おかしな文になってしまします。

 基本は、やはり、5W1Hですか。いつ、どこで、だれが、だれと、どのように、なにをした。これですね。これを主体に考えていくと、作文らしい作文になると思います。
とまあ、ここまでも授業で教えてくれる話。ここからは、具体的に例を挙げてみましょう。 

夏休みの思い出

 僕は、夏休みがすごくたのしかったです。友達と、プールに行きました。お父さんとお母さんと遊園地にいきました。新幹線に乗って、おばあちゃんの家にも行きました。とっても楽しかったです。
 もっと夏休みが長ければと思いました。

 とまあ、とりあえず書くとこんなもんでしょうか。何が楽しかったのか、全然わからない文章。これに手を加えることで、もう少しわかりやすいものにしていきたいと思います。

 まずは、いつか。この場合、夏休みの思い出ということで、期間が限定されているので、書かなければ書かないでいいと思います。逆に、1999年8月25日に、どこどこへ行きました、なんて、少ない字数稼ぎをするのは見苦しいですね(笑) そういう場合は、
「暑い、8月も最後の日曜日」とか「たまたまお父さんが朝早く起きた土曜日」とかそういう表現のほうがいいと思いますが、作文書くぐらいの人に、そこまで気が回るかといえば疑問です(笑)
 次に、どこで。この場合、どこどこに行く、というのが多いでしょうから、あまり気にしなくてもいいかもしれません。作文のポイントが一ヶ所だったりした場合、きちっと書いておかないと、場所不明になってしまいます。「一杯勉強した」→「図書館で」とすると、わかりやすいですよね。
 だれが。これは、作文ですので、基本的に1人称。自分自身が主人公ですので、わざわざ書かなくても「本人」となります。文中に「僕が」「私が」を使うのはかまわないでしょうが、わざわざ「僕は、それがすごくいいと思いました」なんて書かなくても「すごくいいと感じた」と書けば、それは、当人の気持ちなのですから。
 だれと。これは、ときどき見逃してしまうコも多いのではないでしょうか。「友達」とプールに、「お父さん、お母さん」と田舎に帰った。いいですね。友達という表現は、非常に多くの人を指すことがありますので、「一番仲のいい友達」とか「誰々ちゃんと」としたほうがわかりやすいかと思います。
 どのように。結果に通じるまでの経緯や、経過ですね。これは案外抜けやすいかもしれません。「前から約束していたので」「お盆休みだったから」そういう経緯、「車で」とか「新幹線で」などといった経過なども含めてかまわないと思います。
 なにをした。これが、一番伝えたいこと、結果ですよね。単純に「楽しかった」じゃ、何が楽しいのか全然伝わってきません。確かに楽しかったのでしょうが、「プールで友達が大はしゃぎをして、お姉さんにぶつかった」のが楽しかった、「久しぶりにおばあちゃんに会えて、優しくしてもらえて」楽しかった。そうかくと、おお、なるほどとなるはずです。漠然としたものを、たった一つ埋めるだけで、大きく変わってきますよね。
 それでは、その部分を留意して作文を直してみたいと思います。 

夏休みの思い出

 僕は、夏休みがすごくたのしかったです。
 8月1日は、プールの日でした。あんまり暑かったので、隣のクラスの友達3人と、バスに乗って、隣町の流水プールに行きました。優君がなかなか来なくて、朝からは泳げなかったけど、とっても楽しかったです。
 日曜日には、ずーっと前から約束していたので、お父さんとお母さんと遊園地にいきました。お母さんが、朝から弁当を作ってくれました。すごく混んでて、(以下略)

 どうでしょう。作文らしい、作文になってきましたね。
 あとは、もうすこし、細かいところまで思い出して、何したっけ、何したっけ、と思い出してそれを書いていけば、原稿用紙2~3枚なんて、あっという間です。
 プールのほうでは、比較的細かく書かれているのに、遊園地のほうでは、どこにある遊園地とか、何に乗っていったのかが抜けています。これは、本人にとって「両親が約束を守ってくれたのが嬉しかった」のであって、絶叫コースターのあるどこどこ遊園地が良かったわけではないのですね。同じように、両親と一緒にいけることが楽しかったのであって、それが車でも電車でも、この本人にはどうでもよかったことなのだと思います。
 どうですか? こうやってみると、子供の作文を読むのが楽しくなりますよ。
 もし、家庭で、お子さんが「作文書けない」なんて言ってたら、一緒になって、何をしたの? いつしたの? どこで? 何が楽しかったの? とゆっくりと記憶を呼び戻すような感じで問いかけてあげるといいのではないかと思います。出てきた単語をメモに取り、あとは、順番に並び替えれば、ほら、作文の出来上がりです。
 慣れてくれば、思ったことを素直に文章にする力がついてきます。文章に対する抵抗がなくなると、読解する力も上がりますから、国語だけでなく、全体的な成績アップも可能かもしれません。
 よくありませんでした? 書いてある問題の意味がわからない(笑)

 今日の一言 「次回は、読書感想文に挑戦」


6月25日
今日は、雨の中タイヤ交換

 文章を書いてみよう

 本来のコラムの趣旨からは外れてしまいますが、ときどき、メールで「どうやったら、上手に文章を書くことができるのですか?」などというものをもらいます。学生さんなのでしょうか? 文系、理系を問わず、文章を書くのが苦手な方は多いようです。
 千歳は、もともと文系の出身ですが、別に大学で文学について云々や、講義を受けたことはありません。長いこと文章を書いてきた事から発する「慣れ」みたいなもので、書いていますから、案外嘘をばんばん書いているかもしれません(笑)
 文章を書く上で、
 1)書きたいものを書く
 2)書く内容の体裁を考える

 ということが大切だと思います。

 1については、書きたい、又は、書きたいのだと思いこむ(笑)ものでないと、非常につまらない文章になってしまうということです。人は、こういう感覚に敏感ですので、手を抜いたり、書きたくないものをずらずら書かれても全然読む気がしません。
 2は、論文に口語体で書くようなことはしませんね。そこまで極端でないにしても、小説でその物語全体の雰囲気を作るための大きな特徴となるわけです。ミステリーにはミステリーの、SFや、ロマンス、それらには、それらなりの雰囲気があるわけです。逸脱することで大きな魅力を持つものも少なからずありますが、それはそれ、慣れれば、自然と行えるようになると思います。

 では、具体的に進めてみましょう。書きたいものを書く、ということです。
 たとえば、家に居るネコについて、ちょっとエッセイ風にしてみましょうか。

 ウチにはネコがいる。今年生まれたばかりの小猫で、チビスケという。白黒のトラ縞で親に似て、非常に気が荒い。
 よく私の足元に噛みつき、爪を立てる。これが痛くてかなわない。
 ウチにはネコがいる。今年生まれたばかりで、まだまだ小さい。もっとも、生まれたばかりのときは掌に乗るぐらい小さな手乗りネコだったことを思えば、ずいぶん大きくなったものだ。名前はチビスケ。今思えば安易な名だが、それぐらいに小さくてかわいかった。よく考えれば、生まれたては小さいものだし、大人になって馬鹿でっかくなってもチビと呼ばれるのは心外だろうと思う。(中略)
 ちょうど遊び盛りといった所か。動くものを見ればすべて追い回し、楽しそうに跳ねる。私の足とて例外ではない。物陰から一気に躍り出るとつま先にカプリとかみつき、その後、はっとしたように私の顔を見やる。しまった、また怒られるのかというような表情だ。しかし、そのまま足をプラプラしていると、また楽しそうに爪を立て、私を追いかける。すっかり私は、チビスケのお守り役だ。コイツも遊びとわかっているのだろうが、時折、本気で噛みつくときがある。小さいくせに牙だけはしっかり生えているようだ。これが痛くてかなわない。

 文字量が違うのは当然ですが、前者が「淡々と表面的に、事象を並べている」のに対し、後者は「ネコの気持ちや、自身の気持ちを織り交ぜている」点が大きく異なります。
 取り上げた対象に対して、つまらなそうに表面だけを見ていては、内容は伝えられないのです。伝えようとする気持ち、それが文章を書く上で大切な物の一つだと思います。
 この場合、身近なネコを取り上げてみましたが、たとえばフィクション小説でも、自分が思い描き、温めて、その中にいきる人物たちに愛着を持たなければ、人々が読みたいという小説にはならないのではないかと思います。
 どうしても苦手なものを書かなければならないときは、苦手意識を減らして、少しでも物事に関心を持つことでしょうか。やれといわれてもできるかどうかは怪しいですが(笑)、文を書くのに気を楽にするのには、これが一番だと思います。作文などは、この方法がイイかもしれませんね。

 番目の書く内容の体裁を考える、ですが、これは案外漠然としたものです。ほんわかしたノリ、ホラーやサスペンス、SFなどでは、大きく文体や技法が異なりますよね。いつ主人公が殺されるかわからないような場面で「えー? 犯人どこにいるんだろぉねぇ」なんてセリフは言いませんよね。その程度だと思ってもらえればいいです。
 これを鍛えるには、多くの本を読んだり、自分の中の世界観をしっかり持つことでしょうか?頭の中のイメージが全て文章となるわけではありませんから、どれだけ伝えられるかは、慣れる以外にはないかもしれません。
 マラソンも、走り込まないと速くなれないように、文章も、繰り返し書かないと、上手になれないのも一緒です。
 では、先程のネコの話を、ちょっと緊迫感を出して書いてみましょう。 

ウチにはネコがいる、それは、ただのネコではない。今年生まれたばかりの小猫だが、今ではずいぶんとでかくなった。今や、ウチは彼らの遊び場といっても過言ではない。
 ちょうど、遊び盛りというのだろうか。動くものは全て狩れると思っているらしい。私ととて例外ではない。柱の影、テーブルの下、我々から見えないどこかに潜み、爪を立て、それを狙っている。
 激痛が走る。足元には小悪魔のような笑みを浮かべて牙を立てるチビスケの姿がある。どうやら、今日もまた遊ばれてしまったらしい。

 一文一文を、すこし短めにすると、テンポがよくなりますね。そこに、すこし、客観的な文体とを組み合わせると、こんな感じでしょうか。ね、簡単でしょ?

 これから、暇を見て、ちょっとずつ書いていきたいと思います。意見や、こういうことも書いてって言うのがあれば、メールしていただければできるだけ添うようにます。ですが、私は、文頭に書いた通り、そういった講義を受けたことのない人間ですので、あんまり期待はしないでくださいね。特に、倒置法とかなんとか法みたいなものは、ぜーんぜん知りませんし、教えられません(笑) 私のは、全て経験則です(^^)

 千歳の今日の一言「それでは、皆さま、千歳の駄文にこれからもお付き合いください(^^)」


当ページは「千歳忍」の独り言です。
極力真実に基づいて記述するようにしていますが、当方の思い違いや表記の方法によって一般的な解釈と異なる場合が有ります。意見や訂正の要請は大歓迎です。また、書いてほしいネタも募集しています。その場合はこちらまでどうぞ。

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