昭和26年(1951年)
JASRAC No.012-0016-0
越後獅子の唄
作詞:西条八十(C)
作曲:万城目正(C)
歌唱:美空ひばり(倶楽部曲目
MIDI制作:滝野細道
美空ひばりの生涯「昭和の歌姫は誰だ」

(一)
笛にうかれて 逆立ちすれば
山が見えます ふるさとの
わたしゃ孤児
(みなしご) 街道ぐらし
ながれながれの 越後獅子

 (三)
 うつや太鼓の 音さえ悲し
 雁
(かり)が啼く啼く 城下町
 暮れて恋しい 宿屋の灯
(あかり)
 遠く眺めて ひと踊り
(二)
今日も今日とて 親方さんに
芸がまずいと 叱られて
(バチ)でぶたれて 空見上げれば
泣いているよな 昼の月

 (四)
 ところ変われど 変わらぬものは
 人の情の 袖時雨
(そでしぐれ)
 ぬれて涙で おさらばさらば
 花に消えゆく 旅の獅子

 
懐メロ 童謡・唱歌 八洲秀章&抒情歌 昭和戦前の流行歌・新民謡   *2006/SEP/01開設 「細道のMIDI倶楽部」TOPへ
 

越後獅子の唄」は、松竹映画「とんぼ返り道中」の主題歌で、「私は街の子」(松竹映画「父恋し」主題歌、「あの丘越えて」(松竹の同名映画主題歌)と三部作といわれるもので、美空ひばりのリサイタルでも、TVの美空ひばり特集でも、大体3曲メドレーで歌われていました。美空ひばりは、この三部作とこれに続く「りんご追分」で大スターの座を不動のものにしました。9歳でデビューしてこの三部作が13〜4歳のころ、52歳で亡くなる晩年に至るまで「みだれ髪」「愛燦燦」「川の流れのように」と大ヒットと飛ばし続けたのは驚嘆に値します。<とんぼ>といえば、野球などのグランド整備の熊手みたいのを言いますが、バックテンのことも<とんぼ>と言い、「とんぼを切る」などと使います。この「越後獅子の唄」のなかにもある、♪逆立ちすれば・・・♪というのと、映画の題名にもある<とんぼ返り>というのが、親方に連れられて旅から旅へ歩く越後獅子のお家芸でした。また越後獅子とか蒲原獅子などは江戸時代の「角兵衛獅子」の別称で越後の蒲原郡月潟村を発祥とすることから、そうも呼ばれます。飢饉や貧農故の口減らしを兼ねた道中行脚でもあったわけですが、その悲しみが「越後獅子の唄」にはよく歌い込まれています。袖時雨は、袖にはらはらと落ちる涙を時雨に例えた言葉ですが、この歌の場合は、いたいけな子供の獅子が踊る姿を見て、思わず「可哀そうに」と涙をこぼした人のことでしょうか。




美空ひばりの当倶楽部内アップ曲&予定曲

美空ひばりの曲
曲  目 作  詞 作  曲 歌 い 出 し
愛燦燦 小椋佳 小椋佳 愛 燦燦と この身に落ちて
哀愁波止場 石本美由起 船村徹 夜の波止場にゃ 誰もいない
あの丘越えて 菊田一夫 万城目正 山の牧場の 夕暮れに雁が
伊豆の踊り子  木下忠司  木下忠司  三宅出るとき誰が来て泣いた 
越後獅子の唄 西条八十 万城目正 笛に浮かれて 逆立ちすれば
お祭りマンボ 原六朗 原六朗 私のとなりの おじさんは
角兵衛獅子の唄  西条八十 万城目正 生れて父の顔知らず恋しい母
悲しい酒 石本美由起 古賀政男 一人酒場で 飲む酒は
悲しき口笛 藤浦洸 万城目正 丘のホテルの 赤い灯も 
川の流れのように 秋元康 見岳章 知らず知らず 歩いてきた
津軽のふるさと 米山正夫 米山正夫 りんごの故郷は 北国の果て
長崎の蝶々さん 米山正夫 米山正夫 肥前長崎港町 異人屋敷の
ひばりの花売娘 藤浦洸 上原げんと 花を召しませ ランララン
ひばりのマドロスさん 石本美由起 上原げんと 船のランプを 淋しく濡らし
真赤な太陽 吉岡 治 原 信夫 真赤に燃えた 太陽だから
みだれ髪 星野哲郎 船村徹 髪のみだれに 手をやれば
港町十三番地 石本美由起 船村徹 長い旅路の 航海終えて
関沢新一 古賀政男 勝と思うな 思えば負けよ
リンゴ追分 小沢不二夫 米山正夫 リンゴの花びらが 風に散
私は街の子 藤浦洸 上原げんと 私は街の子 巷の子 窓に